彼から見た魔王 その1
その魔族の女は美しかった。
漆黒の闇を思わせる長い黒髪と、不思議な輝きを宿す紅の双眼。
肌は万年雪のように透き通る白さで、魔性と言えるほどに整った容姿であった。
側頭部から伸びる角や尻尾という異形ですら、その身を飾る至高の装飾品のようだ。
人々の注目を集める美しい女は、圧のともなった視線にもまったく意に介せず、多くの者の詰めかけた謁見の間を静かに歩いていく。
清楚な黒い喪服をまとう華奢な身体には、重く無骨な首輪や鎖をいくつも付けさせられている。
誰がどう見ても囚人の装い。
しかし、それらの屈辱的な扱われ方をされていても、女の持つ人外の美しさには一点の曇りもなく、逆に女の美貌をより一層際立たせているようであった。
彼女は芸術の神といえど容易に生み出すことの叶わぬ、美の極みそのものであった。
美しき女を見た周囲の反応は様々である。
ため息を漏らす者。
美貌に嫉妬をする者。
怒りの表情を浮かべる者。
侮蔑の表情を浮かべる者。
冷笑を浮かべる者。
そして……どう嬲ろうかを考える者。
この場にいる者たちに共通しているのは、
誰も彼もが女を自由にできる支配者のつもりでいた。
もし、もしもである……未来を見ることのできる者がこの中にいたのならば、女を謁見の間に通すことは決してなかったはずだ。
あるいは女がこの後に示した望みを、なんとしても叶えようと全身全霊をかけただろう。
ドワーフ族の彼に未来を見通す力はない。
しかし、その女の赤い瞳と視線が合い、彼女の血の色艶を持つ唇がそっと笑みを浮かべたときにはっきりと理解してしまった。
彼女と、自分含めたそれ以外の者たちとの力関係。
それは、支配者と被支配者……捕食者と被捕食者であるということ。
そう、この女は美という儚い存在が形を成した者ではない、死という絶対無二の理不尽が形を取ったモノだということを。
彼がなによりも怖れていた人族とそれに連なる者たちの明確な滅び、そして全ての災いを受けるときが来たのだと。
◇
「ふんっ、くそ婆が」
ドワーフ族の族長である彼は宮廷の廊下を足早に歩き、長い顎髭を揺らしながら口汚く罵った。
先程行われていた会議の内容に、悪態をつきたくなるほど気分を害していたのである。
「なにが分配はご自由におやりなさいだ。この世の支配者のつもりか」
魔族の討伐戦に対しての各国各種族の報賞分配の話であった。
働いた者に対価が支払われるのは正しい世の在り方……それは別によい、問題はその受け取るべき報酬なのだ。
報賞品は魔道具の素材という名の魔族の死体である。
……正直に言うと、彼としてはそのようなものは欲しくはなく断りたいくらいであった。
しかし、一族から多くの兵士を出して何週間にも渡る遠征をした。
当然、少なくない額の金が使われた。
例え気に入らなくても同胞の者を食べさせる義務が、族長の彼にはあるのだ。
金は無から生まれてくる訳ではないのだから。
それにしても腹ただしかった。
誰もが欲望に目をぎらつかせ少しでも取り分を得るために必死だった。
これからしばらくの間は素材の刈り取りという名目で、魔族への根絶一歩手前までの殺戮が続くかと思うと気分が沈んだ。
それら自分を含めた俗物どものやり取りを高見から見下ろして微笑んでいたのは忌々しきエルフの女である。
彼がくそ婆呼ばわりしたのは、この世界に存在する唯一のハイエルフ。
至宝と呼ばれ、美しくも気高きエルフの女王であった。
彼は思う。
何が美しいだ。
何が気高いだ。
何が麗しいだ。
あれほど醜悪で欲深く生き汚い女を、今まで他に見たことがない。
ドワーフは長寿である。
それは彼らの祖の始まりが地上に下った神の血を引く者たちの末裔だからだ。
エルフも同様であった。
むしろドワーフよりも神の特性を損なうことなく受け継ぐ彼らは、この世界で低級神ともいえる存在なのかもしれない。
そしてハイエルフ。
つまり神の直系であるエルフの女王ともなると、その力と神秘性は計り知れないものがあった。
何しろエルフの女王は彼の数倍もの時を生きており、四千年から続く魔王討伐の始まりから参加し、全てを知る生き字引といえるのだから。
苦い焦燥を感じる。
世界の平和を守るための魔王討伐……欺瞞に満ちた言葉に彼はいつも思うのだ。
神の鉄槌の名のもとに行われる聖戦。
だがそこには一欠けらの正当性もない。
人族とそれに繋がる権力者たちの欲望を満たすためだけの虐殺行為でしかないのだ。
何故なら、魔族が闇の森を超えて、人族に対して害を加えたことなど彼が知る限り一度としてないのだから……。
始まりの戦いから、そのような虐殺が行われていたのは分からない。
ただ、彼が戦いに参戦した頃にはすでにそうであった。
何度もそんな戦いを繰り返した彼は、自身に残された寿命はそれほど長くないと感じていた。
肉体の寿命以上に心が疲弊しきっている。
長年の心労がその身を蝕んでいた。
しかし、あのハイエルフの女は違う。
あの女こそが、この世界にとって真の魔王と言える存在である。
もうかなり昔の話になる若き彼の初陣だった第十次魔王討伐戦。
魔王を討取ったその後のことであった。
逃げ惑う無抵抗の魔族たちに対して、歓喜の表情で残酷な殺戮を行う人族とそれに連なる者たちがいた。
それは同胞であるドワーフたちですら、そうであった。
エルフの女王は、己の寿命と美貌を維持するためだけに魔族を殺し、赤子の心臓を自らの手で取り出していた。
『若きドワーフの戦士。まだうぶな坊や。これが魔族と戦い生きるということですわよ』
エルフの女王はそう上品に笑いながら、呆然とたたずむ彼の目の前で、ピンク色の小さな臓器を旨そうに食らって見せたのだ。
吐き気がした……。
どこまでも自分たちの正義を信じて戦った彼は、その戦いの結果が引き起こした悍ましい光景に絶望し、狂った女の頭に大斧を振り下ろしてしまいそうになった。
今思えばそうすればよかった……例えそこで自らの命が奪われ尽きるとしてもだ。
彼はこんなとき、人族の者たちが、短命の者が羨ましく思える。
彼らの百にも満たない短い寿命なら、三百年に一度の魔王討伐という欲望に満ちた殺戮行為に何の罪悪感も抱かないですむだろうから。
「お爺さま、お待ちしておりました」
それは凛とした少女の声であった。
苦い思考に没頭しかけていた彼に呼びかける者がいた。
彼はうつむき気味だった視線をあげた。
人族として見れば小柄で幼い体、しかし同族としては立派な成人であるドワーフの少女。
彼の孫娘であり、そして次の世代を支えていく族長候補であった。
彼女は長い通路の端で彼が来るのを静かに待っていたのだ。
「お爺さま、先程から難しい顔をしているようでしたが何かお悩みですか?」
「ふむ……お前からはそう見えたか?」
孫娘は彼を見たまま無言で頷く。
彼は孫娘の小さな頭に分厚く固い手を乗せるとやや乱暴に撫でた。
孫娘は少し痛そうな顔をしたが、嫌ではないらしく彼のなすがままになっている。
「……すまない」
「お爺さま?」
「魔王討伐のことだ……お前も見ただろう、人族たちの狂乱を、あの魔の城の惨状を」
孫娘は魔の城での、人を人と思わぬ無慈悲な虐殺を思い出し体をぶるりと震わせた。
彼女は今回の魔王討伐戦において、勇者の従者として仲間たちと共に魔王と戦っていた。
そしてその後に、かつての彼と同じようにこの戦いの真実を知ってしまったのだろう。
「……お前たちにはあんな思いを知らずに生きて欲しかった」
「お爺さま……」
「お前の父はこの事実に耐えきれず、数度の戦いののち命を絶つように戦死した。あれは愚直なほどに真っ直ぐで清廉な武人だった……そしてお前の母……儂の娘も後を追うように病で……」
「…………」
「ただ、すまぬとしか言えぬ」
両親の顔もろくに知らぬ孫娘は、静かな表情で首を振った。
瞳には祖父に対しての信頼が見えた。
「お爺さまの苦悩も分かります」
「…………」
「たとえドワーフだけが異を唱えたところで、魔族への虐殺が無くなるとは思えません。そしてそのような発言をすれば、私たちの種族は神の神託に逆らった反逆者として……」
「ああ、そうだ。その通りだ……だがな、このような行為が永遠に続けられると思えん。いつか今までしてきたことの報いを受ける時が来る」
そこまで話してため息をついた。
彼の声は消せない苦渋に満ちていた。
「それは儂らが背負うつもりだった。しかし儂が戦いに出れるのも恐らく今回で最後だろう」
「…………」
「すまぬ、お前たち若い世代に儂らが受けるべき災いを残してしまうことを、こんな不甲斐のない男を許してくれ」
懺悔するかのような老人の謝罪に、孫娘は彼の分厚い手をソッと握った。
そのまま二人はしばし沈黙する。
彼は気遣ってくれる孫娘に感謝をし、気分を切り替えるように尋ねた。
「ところで儂を待っていたようだが、何か用事があったのではないか?」
「……はい、お爺さまに報告しておきたいことがありまして」
ふむっと頷き、彼は白髪混じりの顎髭に手を当てると孫娘に続きを促した。
「昨夜から魔の国に滞在していた者たちとの連絡が突然取れなくなりました」
「なに?」
「魔導具による応答がありませんでした。今朝、転移陣から飛んだ者に確認を行なってもらう予定だったのですが、そちらも未だに連絡がなく……」
嫌な感じがした。
彼は魔王討伐以外にも多くの戦いを経験してきた。
孫娘の報告より悪い出来事など彼の長い人生の中でいくらでもあった。
しかし、その彼の戦知らせが、得体のしれない何かが起きていると告げていた。
「他の者……人族とエルフには伝えたか?」
「いいえ、まだ不確かなことなので……もちろん、他の者には口止めしております」
孫娘のその判断に彼は頷いた。
祖父に褒められた少女は嬉しそうな顔をする。
遠距離にいる者と会話する魔導具。
これはドワーフだけの極秘技術である。
他の種族……特に人族には教える気にも渡す気にもなれなかった。
彼らはどのような技術であれ戦いに使い多くの命を無為に奪うのだから。
ドワーフの族長は何が最善なのかを考える。
しかし彼のそのような悩みはすぐ杞憂に終わることになる。
この王宮に集まった全ての種族にとって、一番最悪な形ではあるが。
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