道具の材料
ああそうか、私には理解できないことだけがよく理解できた。
並べられたテーブルの上に解体の終わったモノが布に巻かれ梱包されていた。
まるで精肉の解体場のようであった。
しかし、ここにある肉は牛や豚ではない……人だったものだ。
人であるのならば……人の形をした者ならば嫌悪感をいだく場所。
吐くことはなかった。
闇の森では血のあふれる生肉を、内臓を、噛み千切って食らい生きてきた。
今の私に死骸で怯えるような、愛らしい感性は残ってはいない。
赤い霧に吐いた息が浮かびあがる。
肉山の中に何人かの人の影が見えた。
スンッ……鼻が気になる匂いを捉えた。
見回すと、広場の奥のほうに見知ったモノがいたような気がした。
ふらふらと誘われるように歩きだす。
周囲の人影すら気にならず、夢を見ているような気持で、現実味のない赤い空間を歩く。
辿りつく……それは一番大きなテーブルに乗せられている。
解体されたそれは首を切られ四肢を切断されて内臓も全部抜かれていた。
死してもなお、あふれるでる魔力を閉じ込めるためだろうか……四方に結界用の魔導具が設置され厳重に封印を施れている最中のようだ。
私はさらに近づく……これは『 』だ……見て匂いを嗅いで理解してしまった。
え? ……ああ、あああっ、ああああああああああっ!!
「
甲高い怒鳴り声と共に、硬いモノで背中を殴られ倒された。
赤く変色した石床に頭を激しくぶつけてしまう。
一瞬の空白と舌打ち。
意識が『 』に気を取られ敵地であることを忘れていた。
肉体の損傷はない……痛みもない。
床に手をつき倒れたまま、私を殴ったらしい男を見あげた。
神経質そうだが透き通る美しい顔立ちに長い耳。
白地に金縁のモールドがされたローブ、手に持つのは私を殴った凶器だろう、ねじくれた木の杖……どちらからも強い魔力を感じた。
男はおそらくエルフ……森の貴人と呼ばれる誉れ高き種族。
神の血をひく直系とされ、同盟連合として人族と共に遥か昔から魔王と戦ってきた者たちだ。
「それは我らが女王陛下に献上する
男はエルフらしい端正な顔をエルフらしくなく歪め、私の体を何度も杖で殴りつける。
よほどお冠らしく執拗にだ。
だけど痛みはない……。
痩せ我慢でも感じてないのでもない。
闇の森で魔獣と戦ってきた私には、この肉体には、その程度の軽い打撃は効かないのだ。
騒ぎを聞きつけた人族の者たち……兵士がぞろぞろと集まってきた。
「人族の兵よ何をしていた! 牝が逃げだしているではないか! 警備はしていたのか!?」
エルフの男は殴るのをやめ兵士たちを甲高い声で怒鳴りつけていた。
兵士の一人が私の体を拘束して腕を後ろに捻じって持ちあげる。
それにも痛みはないが肉体の反応だけで声が洩れた。
右手首に細い金属製らしきリングを掛けられる。
途端に、自身の魔力が外に放出できなくなるのを感じた。
これは魔力を封じこめる魔導具?
だけど、たったそれだけのこと……焦りや恐怖はない。
「はっ、申し訳ありません! しかし魔力封じの腕輪をはめてないところを見ると、この女は城のどこかに隠れ潜んでいたのではありませんか?」
「ふむ……確かに言われてみればそうだな。これほどの魔力がある
エルフの男は私の髪を乱暴に掴むと、強引に引っ張って顔をあげさせた。
そして、ほうっと感嘆したような声をだす。
「我らが女王陛下には及ばぬが大した美貌だ。それにこの魔力量……先ほどの行動といい……なるほど、貴様は魔王の親戚か縁のある者か?」
私は問いかけには答えず、ただ唇を噛み締めた。
エルフの男は私のその反応に気を良くしたのか、小馬鹿にするような口調で喋りだした。
「大方、せめて魔王の亡骸だけは持ち去ろうとしていたところか? 愚かな牝だ、これらすべては我ら女王陛下の所有物だ。それに貴様たちのような役立たずのごみが利用され役に立つというのだ。むしろ光栄ですと、泣いて喜んで感謝して欲しいくらいだよ?」
「役に……立つ? それは、どういう意味ですか?」
「ハッ! そのようなことも知らぬのか! 流石は、流石は
エルフの男は私の髪を掴んだまま顔を近寄せる。
ああ、分かる……生まれ変わる前に周囲の人たちに何度もされてきた表情だ。
エルフの男は愚者に物事を教えるような、見下したニヤニヤとした嘲笑を浮かべていた。
「貴様ら
「……そんなことが」
魔族が……人が……魔導具の材料……?
分からない……このエルフの男が何を言っているのか分からない。
私には、その狂った考えが理解できなかった。
エルフの男は私の混乱をどう読み取ったのかは知らないが、さらなる侮蔑と嫌らしい笑いの表情を見せ、大げさな仕草と甲高い声で語った。
「神が与えた力と定めにより、三百年周期で行われる勇者による魔王討伐。その方法が完全に確立された今、貴様らはただ我らに狩られるために存在する哀れな生き物よ。魔導具の素材となるためだけに何度でも繁殖して増えるのだ。これをサルや家畜と言わずなんというのだ、ああ?」
「………………」
「ふん、もう声もだせぬか? 先代魔王の娘は気が強くて心も強かったぞ。もっとも目の前で魔王の解体ショーを見せてやったら、地べたに頭をこすりつけて、血の涙を流しながら民だけは許してくれと許しを請うてきたがな、キャ、ハハハハハハハハハハハハハ!!」
エルフの男は甲高い笑い声をあげた。
今まで生きてきて色々なものを見てきた。
生まれ変わる前も、生まれ変わったあともだ。
悪いものにいっぱい出会ってきた。
色々な悪いモノを……この肉体で殺し食らってきた。
でもここまでの悪意は……醜悪と思える生き物は初めてだ。
…………。
心が冷めていき私の中の獣性が目を覚ます……。
ひどく、ひどく原始的なそれは、不快な存在を殺せと、その存在を消し去れと、静かに暴力的な唸り声をあげていた。
エルフの男は下劣な笑いを美しい顔に醜く張り付けたまま、人族の兵士に命令を下した。
「この牝は明日には解体する。それまで逃げられぬよう閉じ込めておけ。素晴らしい魔力量だから魔王にも劣らぬいい素材になる。あぁ、女王陛下もさぞやお喜びになり、私にさらなる地位を約束してくださるだろう……」
「はっ、了解しました! ……それでエルフの魔術師さま……この女これほどの美貌ですので、解体する前にできれば少し楽しみたいのですがね?」
「はぁ? 人族は常に発情しているのか? まったく……まあいい、明日までは好きに使え、ただし体を壊すような真似だけはするなよ?」
「はっ! それはもちろんです……へへへ」
人族の男たちが嬉しそうな様子で私を取り囲む。
ひどく興奮した様子で嫌らしい笑みを浮かべていた。
突然の展開に困惑を覚える。
私のようなブスが相手でも女というだけで欲情をするのか?
まるで珍妙な生き物を見たような気分だった。
エルフの男は魔族のことをサルや家畜と呼んだ。
では目の前の男たちはいったいなんだろう?
野生を忘れた愛玩動物だって、野獣に出会えば相手の力量を即座に把握する。
この男たちは凶暴な獣がそばにいるのを理解しているのだろうか?
それとも、自分たちは絶対に断罪する側のつもりなのだろうか?
「おら、早くこっちに来い
「はははっ一生の思い出になるぞ? 明日には骨まで解体されるんだからなぁ」
「ひゃははは、違いないな、それまで俺たちをしっかり楽しませてくれよな?」
――――
ああそうか、私には理解できないことだけがよく理解できた。
両肩を男の手で掴まれる……この男とは別に近くには二人……。
私は遠慮なく獣を解放した。
闇の森でもっとも最強で恐ろしい獣を……。
だらしない笑いを浮かべる男の腕を
指にほんの少しだけ力を入れると、男の腕は呆気なく潰れて千切れ、水道の蛇口を開けたかのように黒く濁った血が噴きだした。
悲鳴はまだあがらない……。
あぁ、初めて魔獣を殺したときより、初めて人を殺すほうが大したことはなさそう……。
その感情に、その事実に、愉悦すら覚えていた。
ぎゃあっ、と、ようやく叫び声があがる。
千切った腕を床に投げ捨て、男が腰に差している剣に手を伸ばす。
掴み、鉄が滑る音と共に引き抜きぬいて、そのまま剣を片手で切りあげた。
男の体は腰から肩にかけて斜めに両断される。
二人目の男はもっと簡単だった。
振りあげた剣の威力をそのままに、体ごと飛び跳ねながら回転させ、鞭のようにしならせた刃が首に当たるように誘導しただけだ。
剣を握る右腕に微かな手ごたえを感じた。
床に足を着け回転をとめたとき、二人目の男に首はなく、その頭はくるくると宙を舞っていた。
一瞬見えた顔はニヤケた表情のままだった。
ぐちゃりと、腐ったものが床に落ちる音……最初の男の体がようやくズレて倒れた。
三人目の男は驚きの顔……しかしまだ状況が把握できていない。
私は地面に片手をつき、足払いのように、男の足に威力の乗った
当たったときに男の足が折れる感触を感じた。
あぁ、人ってひどく脆い……。
そして倒れた男の胸に圧し掛かって膝をのせ、ひくつく喉に剣を突きつけた。
突然の痛みと死の恐怖に、目を見開いて怯える男に問いかける。
「どうですか……私は楽しめましたか?」
返事は聞かず突き殺した。
周りの者たちから見たら刹那と呼べる出来事だろうか?
辺りを見回す……皆驚きの表情をしている。
まあ、常識的に考えてありえない反撃だ。
魔力を封じられた魔族の小娘がたった一人。
ナイフやフォークより重たい物を持ったことがないような華奢な見た目だろう。
この女は決して自分たちに害をなすことの出来る存在ではなかったはずだと、兵士たちの顔は例外なくそう言っていた。
高い魔力をもつエルフなどは、目の前で起きたことが理解できず口を開けて呆然としている。
半呼吸。
そして、その隙を見逃すほど獣は優しくはない。
すでに刃こぼれが酷い剣を逆手に持ち替え兵士の一人に投擲した。
狙いたがわずに胸部に命中して、私はまた一人、命を奪った。
我に返った兵士たちが武器を失った私に一斉に襲いかかってくる。
私は床に両手をつくと、体が倒れるぎりぎりの姿勢で駆けだした。
獣のような短距離の四足歩行。
その動きに対応できない兵士たち二人の隙間をすり抜けて、すれ違いざまに腕をのばし通り魔のように脇腹を切り撫でた。
ザクリッ……と、肉を切断する感触が十本の指に伝わる。
腹を裂かれて臓物と汚物、そして血をまき散らしながら崩れ落ちる二人。
背後から切りかかってきた兵士の剣撃を尻尾を振って弾いた。
鉄同士がぶつかるようなありえない音が鳴って、すぐさま振り向くと、体勢を崩した男が驚きと恐怖の表情を浮かべていた。
肉食獣のように飛びかかって、頭頂部を空中で鷲掴みにすると、そのまま倒立して自らの体をぐるんと回転。
半回転以上まわされ、ボキンと音が鳴って男の首は捻じれて折れた。
最後に残った兵士の目の前に四足で着地する。
すぐ真下から睨めあげるように見つめてニヘラと笑って見せると、その兵士は言葉にならない悲鳴をあげて逃げだそうとした。
しかし手遅れだ。
私の尻尾が片足に絡みつき拘束している。
掴まれた足を必死で引っ張ってもがく兵士の首筋に、黒く光る指を当て切断した。
兵士たちはすべて片づけた……あとは……。
魔力の気配。
振り返りエルフの男へと視線を向ける。
バスケットボール大の炎の玉……男の杖から炎の魔術が放たれ私に直撃した。
一瞬で燃えあがる私の体。
エルフの男は狂気じみた哄笑をあげた。
「きゃあははははっ、見たか! 汚らわしい
男の言葉は尻つぼみとなる。
私は慌てることなく着けていた外套を地面に落とした。
すでにボロ切れと化していたそれは呆気なく燃えカスとなる。
私は何事もなかったかのように純白の婚礼衣装をポンポンと叩く。
そして、引きつった笑い顔をするエルフの男を冷ややかに眺めた。
闇の森の女王の名に相応しい、傲慢で冷酷な態度で。
「ば、馬鹿ななぜ!? 魔力を封じられてるというのになぜ無傷なのだ!?」
エルフの男は炎だけではなく他の魔術も使用して私に攻撃を放ち続ける。
雷、氷、風、岩……。
それを軽々とはじく私の指が、深い漆黒に染まって徐々に輝きを増していった。
「なんだそれは!? その指はなんだ!? 私の魔術がなぜ!? 貴様ら下等な
「その下等な魔族とやらに、貴方の魔術はまったく効いてないようですね?」
「ふざけるな! 図に乗るなよ汚らわしいサルごときがあああああああああぁぁぁ!!」
エルフの男は魔術を出鱈目に撃ちながら、口から唾を飛ばし罵声をあげた。
この闇は、ありとあらゆる物を容易く切断し闇竜のブレスさえもはじく。
私がお母さんたちの魂と共に受け継いだものだ。
たかだか人の身で闇竜たちと互角に渡り合い、闇の森の支配者になった最大の理由である。
これがいったい何なのか……使っている私にも分からない。
ただこの力を使うたびに思うのだ。
聖女たちに慈愛という名の自己犠牲を強いることへ疑問すら抱かない人族。
その行いに涙した者たちの悲しみが泥のように淀んで溜まり、人族たちの明確な罪として生まれてしまったモノではないかと?
ならば私に集まった闇は、この爪は、罪をまとう私の存在はいったい何を成すために?
放たれた炎を指で掴んで、くるりと回転して円盤のように投げ返した。
エルフの男の胸に直撃する。
「ぐわつ⁉」
男は悲鳴をあげ杖を取り落とすと、床を転がり回って体についた炎を必死で消そうとする。
私はゆっくりと歩み寄った。
見あげるエルフの男……その長い両耳を掴んで無理やり上半身を持ちあげる。
「ひ、ひいいい!!」
耳だけで体重を支える痛みに、泣き叫ぶエルフの男。
しばらく男の顔を近距離で眺めた……獣が獲物の品定めをするかのように。
そして、お母さん直伝の人を魅了する優しい聖女の微笑を見せると、色々な体液で顔を濡らす男の表情が引きつった。
その両耳を根元からつぶし引き千切った。
「ぎゃああああああああああ!!」
エルフの男は側頭部を押さえ、甲高い声で再び絶叫した。
指の隙間から血をまき散らし足をバタつかせ、先ほど以上の無様さで床をのたうち回る。
その暴れる胴体を片足で押さえつけて見下ろすと、エルフの男の顔には侮蔑や見下しの表情はもうなく、ただ怯え、力を奪われた惨めな敗北者の姿があった。
「ま、まってくれ……この素材は……い、いや、魔族の死体はすべて貴方様に差しあげます。だから私の命だけは助けてください」
涙を流し助命を請う弱々しく媚びた表情……怒りを覚えた。
あなたは魔族に対して少しでも慈悲を与えたのか?
獣のように唸る。
男の喉を爪先で押さえつけた。
「ぐるひいぃぃ! い、いやだ、じにだぐないぃぃぃぃ!!」
足が沈む。
それ以上、男の声を聞いているのが不快で、喉に当てた爪先に力を入れて踏み砕いた。
石床に大きいヒビがはいり、エルフの男の首はコロンと転がる。
噴水のような血が靴を濡らす。
辺りに新しい血臭が漂う。
私は右手首に付けられた腕輪を、指で引っかけて無造作に切断した。
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