妖精みたい

 お妃とは一応は権力者で命令をすることのできる立場の人間ですよね?



 魔の城から転移した先は、山中らしき場所に設置された石造りの簡素な祭壇。

 周辺には無数の大樹が立ち並び、月に照らされたそれらの影が私たちを押し潰さんとするかのような重圧を放っていた。

 獣どころか虫の声一つも聞こえない静寂が私の中の恐怖を増幅させる。

 精神的ショックで体をまともに動かせない私を侍女たちが支え、すぐにその場から離れた。

 普通に考えて真夜中に慣れぬ山中での移動は無謀であるが、万が一にも人族の追手がかかる可能性もあり、少しでも離れた場所に避難する必要があった。


 獣道に沿って木々の間に入ると月の光は途切れて完全に暗くなる。

 進めるのは魔族ある侍女たちには暗闇を見通す暗視の能力があるからだ。

 それでも暗闇の中で魔獣を警戒しながらの歩み、そしてお荷物な私がいるため距離は稼げていなかっただろう。

 そんな中、一旦休憩をすることになったのは、侍女たちには私の様子が限界に見えたからなのかもしれない。


 侍女たちは私を柔らかい草の上に座らせ、婚礼衣装の首回りや腰に手を入れて動きやすいように緩めて調整してくれた。

 それから、鞄から皮水筒と砂糖菓子を取りだして手渡してくれる。

 私は皮水筒を口にあて、ややカビくさい水を飲んで深く息を吐いた。

 酷かった体の震えと頭痛は収まっている、しかし、勇者たちのことを考えると寒気と吐き気がぶり返しそうで恐ろしかった。


 城の皆はどうなってしまったのだろうか。

 あの襲撃を知らせてくれた兵士は助かったのだろうか。

 私も残って戦ったほうが良かったのではないだろうか。

 でも、勇者たちと戦えたのだろうか……人を殺すことができたのだろうか。


 そのような益体もないことが延々と頭の中で巡る。


 座り込んだまま、働く侍女たちの姿をぼんやりとながめた。

 彼女たちは手荷物の確認をしながら、これから先のことを話しあっていた。

 そして気がつく。

 二人は鞄以外にも剣や槍といった重たい荷物を背負って、私を支えて愚痴のひとつもこぼさずにここまで運んでくれたのだ。

 ただ状況に流されるだけで、そんなことすらも気がつかなかった自分に恥ずかしさを覚えた。


 砂糖菓子を頬張ってボリボリと砕き、水を飲んで体内に流し込む。


 糖分はとても重要である。

 体内で高エネルギィへと変換されるのだから。

 生きるために意識を切り替える。

 強制的に心が切り替わる。

 その程度もできなくて、闇の森で生きていくことは不可能であったから。

 だいぶ落ち着き、休憩のおかげで体の感覚も戻ってきた。 

 念じて立ちあがる……私は動ける……動くことができると。

 軽く気合いを入れ、地面に置いてあった二つの肩掛け鞄を両肩に掛けた。


「なっ!?」「お妃様!?」


 気づいた侍女たちが声をあげて驚き、慌てて私に詰め寄ると鞄を取りあげようとしてくる。

 お、意外と鋭い動きだ!?

 私は腰をおとし、取られまいと両手を広げヘイヘイとディフェンスをしてしまう。

 なぜか侍女たちも腰をおとし、三人で睨み合ってヘイヘイヘイとしてしまう。


「いけません! 些事は私どもが行いますので、お妃様はお体を大事にしてくださいませ!」

「も、もう体は大丈夫ですよ? 二人だって疲れてるでしょう? 今度は私が運びますよ」

「そんな、そんなことをお妃様にさせるわけにはまいりませんわ!」


 少しだけうんざりした。

 どうにも魔の城の侍女さま方は、私のことを華奢な生き物とでも思っている節がある。

 もちろん彼女たちも、闇のなんたらという私の恥ずかしい二つ名を知っているはずだが、それでも深窓の令嬢を扱うような丁重さで接してくるのだ。

 私は納得してもらうため腕の裾を捲りあげると肘を曲げ、ムウンッと気合いをいれた。

 そして、ちょっとだけ膨らんだ二の腕を侍女たちに見せながら、誇らしい気持ちでぺチぺチしてみせる。


「これでも私は闇の森で生きてきた女です。このくらいの荷物なんて苦にもなりませんよ、何でしたらそちらの荷物も全部背負いますよ?」


 侍女たちは私のプニプニな腕を見て、口を押さえながら上品な悲鳴をあげた。


 話し合った結果、私はかなり荷物を減らした鞄を一つだけ持つことになった。

 中身はすぐに食べられる甘い保存食。

 お腹が空いたら食べてもいいとまで言われ……まるでおやつ袋を貰った子供だ。

 闇の竜を転がせる程度の腕力はあるのに、なんだか釈然としない。



 それからまたしばらく歩くと途中の麓に猟師小屋を発見した。

 警戒しながら中に入ると無人で埃が微かに積もっていたが、小屋自体は新しいモノらしく特に手入をしなくても使えるものだった。

 距離は稼げている。

 周辺に危険がないことを確認すると今夜はその小屋で過ごすこととなった。


 小屋の中の暖炉に薪がくべられ、パチパチと音を立てながら火が燃える。


 その光景には不思議な安堵感と懐かしさがあった。

 侍女が小屋で見つけた鍋でお湯を沸かしている。

 夜も遅い時間だが、今朝からあまり食べれなかった私のために食事の準備しているのだ。

 料理を作る前に「もしも食べれましたら」と聞いてくれたのが有り難く、そして気を使わせたことが申し訳なかった。

 例え気分が沈んで食欲がなくても、生きるにはエネルギィが必要だ。

 私は少しでも体力をつけるために喜んでお願いした。


 火に当たる私の目の前で侍女が料理を作る。


 お湯が沸騰した鍋の中に、塩の浮いた乾燥肉と干し野菜をナイフで細かく削って入れ、粉状の調味料と手で千切ったハーブも加えてかき混ぜている。

 辺りに食欲をさそう良い匂いが漂い始める。

 流れるような手際に感心する、無駄のない動作というものは見ていて飽きず、美しさを感じさせるものだ。

 例えば、ラジオ体操のお兄さんの動きとかね?

 自分の想像に可笑しさを覚え、思わず頬を緩ませる。

 そんなどうでもいいことを考えていたらお腹が品なくグゥとなった。

 赤面はしない、この生理現象もまた、私が生きている証なのだから。


「え、えへへ……」

「ふふっ」


 それでも淑女らしく、叱られる前にお上品にごまかし笑いをする。

 侍女は微笑むと木製の皿にスープをよそって手渡してくれた。


「お妃様、粗末なものしか用意できませんでしたが、どうぞ召し上がりくださいませ」

「ありがとう、とても美味しそうですね」


 粗末だなんてとんでもない。

 闇の森で生肉をかじ……粗食に慣れている私にとっては素晴らしい御馳走だ。

 スプーンを手にする、澄んだ色のスープを口に含む。

 舌で感じる塩とハーブの素朴な味がとても美味しくて夢中で飲んだ。

 胃に落ちたその熱が活力を与えてくれるようだった。


 シェフを呼んでください、このスープ、生肉一塊分の満足度に匹敵します。


「本当に美味しいです。二人も私に遠慮しないで食べてください」


 こんなときまで私の給仕に徹するつもりだったのか、侍女たちは困ったように顔を見合わせる。

 私がスープを皿に注ぐと、彼女たちは同時に肩を落として溜息をつき、そして素敵な笑顔をみせると食事を始めた。

 硬いビスケットやパサついたチーズなども分け合って食べ、その日の食事は終了した。



 侍女たちは今夜は寝ずの番を二人ですると私に告げた。

 小屋の中とはいえ今だ山中である、人族の追手がくる可能性もあったからだ。

 彼女たちも疲れているだろうに、私を守るために無理をしていることはすぐに分かった。

 その気持ちは有り難い……しかし、私は気配が迫れば寝ていても目を覚ます。

 眠りが浅い体質は闇の森で生きてきた獣としての習性である。

 闇の森に限ったことではない、寝ている獲物は襲わない、そんな優しい獣など存在はしないのだから。


 弱肉強食とは食うか食うかだ……あら、なんだか言葉がおかしいですね? 


「私が危険を察知できますので、二人とも寝ていても大丈夫ですよ」


 そういうわけで、さり気なく提案をしてみたのだがなぜか苦笑いと共に却下された。


「では、私も見張りを分担します……」

「そのようなことをお妃様にしていただくなんて、とんでもございません!!」


 凄い勢いで断られた。


 ……あれ?

 

 お妃とは一応は権力者で命令をすることのできる立場の人間ですよね?

 なにか権力の仕様に不具合が発生している模様です。

 侍女さま方が私の言うことをまったく聞いてくれません。


 不本意な気持ちを抱えたまま私は就寝することにした。

 

 深夜、何度も意識を覚醒させる浅い眠りを繰りかえす。

 すぐそばで侍女の……女性の体臭と体温を感じる。

 寝ているとき、近くに誰かがいるというのは正直に言うとひどく落ちつかない。

 なぜなら食事と排泄、そして睡眠が生き物とって最も無防備な時間だから。

 唯一の例外が魔王だろうか……?

 ただあのときは嬉し恥ずかしのアレヤコレヤを頑張って、非常にお疲れだったので深く眠れたって感じですかね……うふふ。

 

 ……魔王は大丈夫だよね?


 焚き火の音と薄闇の中で不意に思ってしまう。

 あえて考えないようにしていたことだ。

 じわじわと浸食してくる不安に、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。


 あるいはそれは、現実逃避というものだったのかもしれない。


 楽しいことを考えようと思考が続く。

 城に戻ったら魔王に思いっきり甘えて様々なことをねだろう。

 私の性格で甘えられるか分からないけど可愛らしく甘えてみよう。

 あ、そうだ、新婚旅行とか行きたいし、魔の国の色々なところも見てみたい。

 ここは王族らしく贅沢に温泉宿の貸切湯で二泊三日とかも良いかも。

 浴衣姿で温泉卵とかラーメンを食べて、城の皆に配るお土産に温泉饅頭とかタペストリーを買って、それから夜は旅館で素敵な桃色遊戯を……ダメ、今は発情してはいけませんよ私!



 思考を切る、変なことを考えず体力を温存しよう。

 闇の森までは何があるのか分からないのだから……そう思い私は再び眠りにつくことにした。



 ――――――――――


 眠りの中なのに、誰かの夢を見ていた気がした。

 夢の中の私は男の人になっていて、激しい戦いの末に固い地面に倒れていた。

 胸からは生きるために必要なモノが流れ、そう、命を維持するための力が致命的なほどに零れて落ちていた。

 体は酷く重たくて、腕どころか指の一本すらも動かせない。

 私は誰かの、よく知っているはずの誰かの名前を呟いていた。


 ああ、夢の中の出来事のはずなのに、なぜ、私はこれほどの悲しみを覚えるか。


 だが彼には安らぎもあった。

 今まで背負ってきた重い荷物をすべて降ろしたような開放感……。

 同時に、あとに残してきた愛すべき者に対しての、やるせない切なさも感じていた。


 本当に、本当に不思議な夢……涙がこぼれた。


 ――――――――――



 息苦しさに目を開けると、侍女たちの胸が私の顔を左右から挟み込んでいた。

 窒息しそうなほどの密度はボリューミー。

 魔族女性はおっぱいがいっぱいな人が多く、どちらかというと控えめで慎ましい私は肩身が狭かったりする。

 魔王はお手ごろサイズの私が一番よいと言ってくれたけどね……うふー。

 とまあ、そんな豊かな彼女たちは私を守るかのように抱きついて、すっかりと寝入っていた。

 人族の女性に比べたら魔族の女性は強靭だけど、それでも昨夜から私と重い荷物を運んで、気を張りながらの強行軍はかなり堪えたはずだ。

 私はありがとうねと感謝しながら、スヤスヤと寝ている彼女たちの胸の拘束から抜けだし静かに小屋の扉を開けて外にでた。


 山の清浄な空気を全身で感じる、日はまだ昇ってはいない。


 辺りは暗いが地平は薄っすらと明るくなってきているようだ。

 夜と朝の合間に見える本当にわずかな時間は黎明というのだろうか……?

 衣服を汚さないように注意しながら膝を抱えてしゃがみ込んだ。

 闇の森で生きていた頃、この時間に起きてなにをするわけでもなく、薄闇の中で霞んでいく星空をただ独りで見あげていた。

 なにを考えて生きていたのだろうか?

 本当にちょっと前のことだというのに上手く思いだすことができない。

 それほどに今が過去を忘れるくらいに多くを得ているということだろうか?


 やがて顔を見せた朝日が山肌を染めるように照らして、夜の残滓を静かに消していく。

 その温かい光が心にたまって淀んだ泥を浄化してくれるようだ。

 美しい光景を見届け、私は立ちあがると背筋を思いっきり伸ばした。


「よーし、今日もがんばるぞっ!!」


 そう決意も新たにしたとき、小屋の中から騒がしい声が聞こえてきた。


『大変! お妃様がいないわ!』『あなた、なにやっていたのよ! 探すわよ!!』『もう、もう、あの方はお城にいたときから、どうしてこう妖精みたいにフラフラしてるのかしらっ!』『同感だけど言ってる場合じゃないでしょう!』『ええ、ええっ探さなくてわ!』


 あら、なにやら大変なことになっているみたい?


 眺めていると小屋の扉が荒々しく開き、同時に外に飛び出してきた侍女たちと視線があった。

 沈黙、しばらく見つめあう。


「おはようございます、二人とも朝から元気ですね?」

「「お、お妃さまぁ~~~~~!!」」


 こうして騒がしくも朝の準備を済ませて私たちは山を下りたのである。

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