魔王様の復讐話

婚礼の日

 ああ、これは、この世界にきたときに見たことのある光景だ。



 私は昔を思いだす。


 朝の知らせに城壁から名も知らぬ鳥たちが飛んでいく。

 彼らの羽ばたく先は遥か遠くの地平だろうか?

 見あげると今日という日を祝福するかのような澄んだ空が広がっていた。


 魔の国、荘厳な石造りの白亜の王宮。


 その控え間の一室で私は多くの侍女たちに囲まれていた。

 私が身にまとうのは純白の婚礼衣装。

 豪奢な刺繍のほどこされたそれは、どれほどの手間と時間がかかったものだろうか。

 私は夜も開けぬうちから肌を磨かれ髪に香料を塗られて整えられていた。

 そして丁寧に丁重に化粧を施される。

 朝焼けの靄が生じる時間、姿見の鏡には完成された花嫁があらわれた。

 何人もの侍女が私の姿を見ては恍惚とした溜息をもらしている。

 その反応から、どうやら私の花嫁姿は馬子にも衣装よりは宜しいようだ。

 ほんの少しだけ女としての優越感を覚えた。

 

 今日、私は魔王と結婚式をあげ夫婦となる。


 そう、この日の主役は私である。

 本来であれば私には得られるはずのなかった幸せだ。

 そんな幸運が今この手の中に確かにある。

 傲慢になっても仕方がないと笑ってほしい。

 椅子から立ち上がると侍女たちが私のまとう長いベールにそっと花を添えてくれた。

 薔薇に似た花びら、香る上品な匂いも心地がよい。

 私は侍女たちに付き添われて長い廊下を歩き儀式の間へと向かった。


 儀式――魔族たちには祈る神というものが存在しない。

 彼らが祈りを捧げ、誓いを立てる相手は魔族の祖先たちだ。


 緻密なレリーフが施されている重厚な扉を抜けて私たちは儀式の間へと入室した。

 薄暗い室内は壁ぎわに並べられた蝋燭の光で幻想的な雰囲気をかもしだしていた。

 部屋に入った私を集まり並ぶ者たちが一斉に見つめる。

 集まる視線と深い溜息が聞こえた。

 失望された過去のトラウマが蘇る。

 だが彼らのそれは落胆ではない、恐らくは花嫁を見た感動のはずだ。

 大丈夫、今の私は美しいのだから自信をもて。


 気圧されながらも私はそう念じて部屋の中央へと足を運んだ。


 ほのかな光が魔の国の重鎮の方々と貴婦人たちを次々と映しだす。

 煌びやかな衣装を着けた彼ら、私が通ると頭を垂れて敬意を示してくれる。

 自分が偉くなったような勘違いの気持ちが生まれてしまう。

 しかしそれは、魔王の伴侶になる者に対しての敬意であり私に対してのものではない。

 これから先、それが本物になるよう私自らが示していかなければならない。

 そう、一人一人の顔を記憶に焼き付けながら驕りそうになる心を引き締めた。


 通路の終わり、祭壇の前に彼がいた。

 魔の国の王、魔族の王、魔王である。


 その頭髪は赤く燃え、瞳は澄んだ炎のようだ。

 逞しい長身に魔族特有の整った綺麗な顔立ち。

 婚礼の黒い礼服を身にまとう彼は、いつもの派手で雑な雰囲気が見事に消えていた。

 唯々、怖いほどに美しくて見惚れるほどに妖艶で凛々しかった。

 彼と目があう。

 私は微笑みを作ると彼の前で静かに立ち止まってうつむいた。

 

 黒髪黒目のどうしようもなく地味でブスな女……それが私である。

 普段であれば美貌の彼に対して、釣り合いが取れるのか劣等感を覚えていただろう。

 しかし、この婚礼の日のためにありとあらゆる侍女たちからの拷問……ではなく、美容術に耐え忍んできた。

 今日の私はその集大成、素晴らしく美しいはずだ。

 たぶんその、大丈夫、問題ない。

 彼の反応は……あれ、呆然としているが……ふ、不評だったのかっ!?


「真の美とはこのことか、言葉にできぬ……驚かしてくれるな、息が止まるかと思ったぞ?」

「………………」


 なぜ彼は、こうも私を喜ばせて困らせる発言をするだろうか?

 意識もせずに口角があがって、頬が熱くなっていくのを感じる。

 彼がお世辞ではなく、本心から褒めていることが分かるからだ。

 このような場所でなかったら飛びはね回って、闇の森まで全力疾走していただろう。


 恋愛脳と笑いたければ笑え、それほど今の私は幸せなのだから。


「ありがとうございます魔王……陛下」

「ああ、ああ……」


 お礼を言う私に、彼はこちらを見たままで答えた。

 ひょっとして私に見惚れて惚れ直しているのかな? 

 でも、言葉にだしては聞けない、恥ずかしいし。

 代わりに届いて私のテレパシィ。

 視線だけの無茶な問いかけに、彼はハッとし、そしてうんうんと頷いてくれた。

 口下手な私の心の内までも読める凄い人である。

 一先ずは安心する。

 ああ、よかった、魔王には素晴らしく好評なようだと。

 そして心から感謝する、ありがとうございます侍女のお姉さま方。

 私の脳内感謝の言葉に、脳内の彼女たちが素敵な笑顔で微笑んでくれた気がした。


 惚気る私たちにしびれを切らしたのか、儀式の見届け役である長老様がコホンと咳払い。

 咎めるような仕草だがその視線は温かいものだ。

 私たちは顔を見合わせて笑い、二人で並んで儀式の祭壇の前に立った。


 厳かな空気の中で婚礼の儀式が始まる。

 長老様の口からは祝詞の言葉が紡がれる。

 ともすれば、ぼんやりとしそうな不思議な空気の中、私と彼は定められた手順通りに儀式を執り行っていく。

 やはり、緊張する。

 この日のために何度も、予行練習をしたから間違えはないはずだけど、私はこの手の本番に弱いタイプなのだ。

 そんな私の様子に気づいたのか魔王はさり気なく手を握ってくれた。

 微笑まれる、雑なように見えて彼はいつだって細かい気配りができる人だ。

 硬くなった私の緊張を解き解すかのように、そっと耳元で囁いてくれた。


「大丈夫、お前にとってこの程度は、闇竜に勝つよりも遥かに容易いものだ」

「………………」


 おい、こらっ……コホンッ。

 たまにずれたことも言うけれども、気持ちだけは受け取ります。

 ありがとうございます私の愛おしい魔王ダンナ様。

 こうして定められた儀式を終え、あとは新たに追加された儀式を執り行うだけになった。

 皆の視線を集めながら、私と彼は互いに向かい合った。


 ええ、結婚式では当然ある誓いの口づけですよ。 


 あのですね、本当はこれは魔族の婚礼の儀式には含まれないモノなんです。

 私が元いた世界の婚礼はどのようなものがあるのかを彼に聞かれ、拙いながらも身振り手振り腰振りで色々と説明してみたところ。


『ん? 皆の前で愛を誓いあって接吻をするのか…………良いな、それは良いぞ!!』


 派手好きな魔王はノリノリで儀式に追加してしまった。

 止めるべき周りの重臣の方々も、なぜかノリノリで了承してしまった。

 私は恥ずかしいから、止めましょうよとテレテレしながら言った。


 えへへ、うふー。


 彼が私の腰に手を伸ばして、体を支えながらそっと引き寄せる。

 私は彼の首の後ろに手をまわすと、猫背気味の背をビシッと伸ばした。

 支える彼の手は、私の重さ程度では微動だにはせず、ああ、逞しい。

 抱き合ったまま至近距離で見つめ合う……やんだわぁ、あたい恥ずかしい。

 彼の顔がそっと近寄ってきたので爪先立ちをして、私はゆっくりとまぶたを閉じた。

 素晴らしいです、まさにこれこそが女の子の理想、爪先立ちキスです。

 

 そしてそのままで、しばし待つ。


 ん……あれ?

 まだキスしてこないけど、ひょっとしてもうされてしまわれましたか?

 仮面ってくらい厚めの化粧を施されているから、唇の皮膚感覚が鈍って気がつかなかった……のかな?

 ………………。

 私が目を開けると魔王のご尊顔がすぐ目の前にあり、しかもニヘラと笑っていた。

 そしてすばやく強襲される。

 彼の唇と私の唇がむちゅと、がっちりばっちりと皆の前で合体した。

 私は目を開けたままで赤面する……それは狡猾な魔王の罠だった。


 こうして鳴り響く拍手を遠くに聞きながら、私達の婚礼の儀式は無事に終了したのだ。



 だがしかし、王族の婚姻である以上はこれで終わりではありません。


 城の外庭が見下ろせるバルコニーに赴き、集まった魔族の民の前に出ることとなる。

 それは新たな王族の顔見せであった。

 本日だけは城の外庭まで解放され、一般階級の魔族たちでも入城することができる。

 魔王に手を引かれて私はバルコニーへと向かった。

 私の体を支える彼はここでもさり気なく気遣ってくれる。

 つかんだ手をにぎにぎしたら、にぎにぎと返された……うふー。

 やがて微かな騒めきを私の耳が捉える。

 そのまま広いバルコニーにでると多くの人の声が聞こえてくる。

 緊張で立ち止まる間もなく、魔王に外庭が一望に見える位置まで連れていかれた。


 私たちが顔を見せた瞬間、世界が爆発した。


 眼下に集まる魔族の民は私の想像以上に多かった。

 怒号にも似た歓声が私の全身を打ちのめす。

 陸上競技の運動場に匹敵するほどの広さをもつ外庭に、隙間なく多くの人が詰めかけていた。

 老若男女、様々な人が、どの顔も皆、満面の笑顔で手を振っている。

 あちこちから祝いの花が舞う、そんな彼らにむかって手を振る魔王陛下も満面の笑顔だ。

 歓声がより大きくなっていく、まるで地鳴りのように。

 自意識過剰などではなく、魔王の横にいた私にも視線が集まり注目されていくのを感じた。

 厚化粧の下の頬が熱くなる、熱い、熱い、熱いよ……ど、どうしようこれ。

 自分でも驚くくらいに鼓動が早くなっている、私のような小市民にこの重圧はキツイ!? 

 どうにかしようと小さく手をあげて振ると歓声が更に激しさを増した。

 

 私の意識は、そこで真っ白に変わり途切れた。


 気がついたら控室の長椅子に横座りしながら手を振っていた。

 正面に置いてあった大きい鏡に映っていた私は、微笑みながら手を振っていたのだ。

 自分のオートマチックな行動に驚いてしまう。

 侍女たちはそんな私に『大変ご立派でしたよ!』『とても素敵でしたよ!』と大変な勢いで褒めてくださった。

 この人たちは隙あれば私を褒め殺そうとするので、素直に称賛を受けるのは非常に危険だ。

 元底辺ゆえに身の程は知っているつもりです、調子には乗りませんから……うふーうふー。




 夜もふけ、支配階級の方々を招いた披露宴が城内の大広間で行われた。

 私はそこでも微笑みを浮かべるだけの人になってしまった。

 魔族の方々も、そんな場慣れしてない私に考慮してくれたのか、話しも程々に切りあげてくれたので正直助かった。

 魔王と二人で宴の様々な出し物、演奏や手品などをイチャイチャしながら鑑賞して楽しんだ。

 無駄に高い動体視力を使って手品のタネを心の中で暴いていると、隣に座る魔王が私をじっと見つめていることに気がついた。


 また私に見惚れている……というわけではなさそうだ。

 少しだけうかがうと、彼はひどく思いつめたような顔をしている。

 私は体ごと横をむいて、魔王の顔を正面に収めて見つめ返す。

 どうしたの? とは聞かない。

 多くの言葉はいらないし喋るときはいつも彼から……決まりという訳ではないけどなんとなくそれが私たちだから。

 彼はハッとしたような表情を浮かべ、それからいつもの雑そうだけど、とても安心できる微笑みを見せてくれた。

 私の首筋に手を当てると頬に触るような軽い口づけ。


「妃よ、我は何があってもお前のことを守ってみせる」

「……魔王?」


 それは今まで聞いたことがないような硬い声だった。

 その言葉に嬉しさよりも、なぜか不安を感じてしまう。

 だからだろうか、私はそんな嫌な空気を跳ねのけようと考えなしで返答してしまった。


「そういう台詞は私より強くなってから言ってくださいね?」

「………………」


 魔王が酸っぱいものを食べてしまったかのような顔をした。

 ……なんで私、こういう解きに限ってイケてない発言しちゃうのかな?

 良い女というものはですね、さり気なく男の人を立てて褒める発言をするものなのですよ……そう侍女さま方がしたり顔で仰っていたのにっ!


 自らの失言にあわあわしていると魔王は軽く溜息をついた。


「まったくもって返す言葉がない」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、今はいい。お前に頼ってもらえる男になるよう努力をするさ」


 魔王はクツクツと笑いだし、私もつられて笑ってしまう。

 ああ、こんなやり取りは前にもあったなと優しい気持ちになりながら。



 その時だった。

 夜の闇を引き裂く爆発の音が城下街の方から起こったのは。

 爆発は一度だけではなく断続的に何度も聞こえてきた。

 窓から見るとあちこちで燃えあがる炎と黒煙が、闇夜の街を赤くごうごうと照しだしていた。

 家臣たちが慌ただしく動き、周囲が騒がしくなった。

 魔王は顔を険しくすると私から離れ、集まった者たちに次々と指示をだしていく。

 私はその喧騒に不安になりながらも、妃として自分のできることを考えたが特に思いつかず、職務を果たすために走っていく人たちをぼうっと眺めていることしかできなかった。

 そんな所帯なさげ立っていた私に気づいたのか、魔王はそばにくると片手で抱きしめて背中を優しく叩いてくれた。


「妃よ。状況はまだ詳しく分からぬがすぐに落ちつく」

「う、うん。ごめんなさい何の役にも立てなくて」

「気にするな、妃の仕事とはそのようなことでもないしな」


 魔王は私を慰めるようにそう言うと、ニヘラといつもの雑な笑いを浮かべた。


「むしろこういう時こそ、王族たるもの悠然と構えていればよい。なにもしなくても下々の者は、それを見て勝手に落ちついてくれるというものだ」

「な、なるほどっ!」


 流石は王さまだ! 無能な働き者、有能な怠け者ってよく聞くし!

 単純な私は確かにと納得して気持ちが少しだけ軽くなった。

 だが、大広間の扉が激しく叩かれ開け放たれた瞬間、私の心は再び不安に囚われた。

 兵士が入ってきた。

 力なく、よろよろと入ってきたのは城勤めの兵士だった。

 彼は体中を泥と血に塗れ、酷い傷と火傷を負っていた。

 両脇を仲間の兵士に支えられ、息も絶え絶えで部屋に入ってきたのだ。


「どうした! 何事があった!?」


 魔王は私の体を抱きしめたまま兵士に声を掛けた。

 兵士の人は懸命に報告する。


「て、敵襲にございます……敵は人族……城下にて奇襲を受けました。城下の外にも、人族と思しき……多数の兵士の影が見えました」

「じ、人族だと? ま、まさかここに近づくのを、奇襲をかけられるまで気がつかなかったというのか!?」


 家臣の一人が呻くように叫んだ。


「奴らは城中を目指して攻め込んで来てます……せ、先陣を切るのは……ゆ、勇者にございます!!」


 そこまで言うと、その兵士は血を吐いて崩れ落ちた。

 大広間に悲鳴があがる。

 そして私は……勇者という言葉で。


 心臓の鼓動が早打ち、呼吸が困難になった。


 途轍もない吐き気がして立っていられなくなる。

 足が震え、前屈みになりながら胸をきつく押さえて呻いた。

 そんな私を見て魔王が慌てて体を支え背中を擦ってくれた。

 視界が激しく揺れていた。

 頭をガンガンと打ち鳴らされるような酷い頭痛がした。

 私が今の私として生まれ変わる前の記憶が鮮明に思い出され、口の中に苦い味が拡がる。

 どんなに目をつぶっても耳を押さえても忘れられない。

 あの勇者と女たちの人を人と思わない残酷な仕打ち、そして悪意に満ちた笑い声が。


 馬鹿にされて、傷つけられて、嬲られて心を砕かれて、最後には魂を奪われて殺された。


 昔のことなのに……もう終わった生まれ変わる前のことなのに、どうしようもなく怖くて怖くて怖くて、体が震え喉からは声にならない嗚咽が次々とあふれでてくる。

 汗が噴きだして涙がまったく止まらない。

 本当に昔のことなのに、何よこれ、何なのよこれは……私はそう心の中で叫んでいた。


「やつらの侵略が始まったということか……すぐに応戦する、兵を集めよ!」


 魔王の声に私は我に返った。

 彼は私の体を強く抱きしめると、逞しい胸の中に抱きあげてそのまま歩きだす。

 見あげた魔王の顔は険しく、私には分からぬ、なんらかの決意が宿っているように思えた。

 私たちの後ろを側仕えの侍女が二名続く。


「あ、あの、魔王?」

「案ずるな、人族如きこの魔王の敵ではないわ」


 いつもは通ることのない狭い通路、その先を抜けると小部屋の前に辿りつく。

 部屋の前に立つ兵士が、魔王に敬礼をすると古びた扉を開けてくれた。

 扉を潜るようにして部屋に入ると床には、かすれた文様――古びた魔法陣が設置されていた。

 これは……脱出用の転移魔法陣?

 魔王は私の体をそっと床に降ろし、控えていた侍女に渡した。

 そして転移魔法陣に魔力を注ぎながら私に説明をした。


「負けるつもりはないが念のためだ。転移陣でお前を遠方へと飛ばす。しばらく歩けば闇の森に辿りつくから、あの場所……泉の祭壇で待っているがよい。あそこならば人族もそうそう手出しはできぬ。森の獣たちも女王であるお前を守ってくれよう」

「そ、そんな! 待ってよ魔王、勇者がいるのよ、あなた一人では殺されるかも……わ、私も戦うよ! どんな相手だって二人なら何とかなるはずだよ!」


 勇者たちが怖かった……人と戦うことが怖かった。

 それでもここで、魔王と離れ離れになるのは嫌だった。

 あるいは、そのときの私は本能で気づいていたのかもしれない、これが彼との今生の別れになると。


「無茶を言うな、こんなにも震えているではないか? たとえ竜を倒せる女傑であろうとも、酷い仕打ちをしてきた者どもが心底恐ろしいのであろう?」


 私の強がりは、あっさりと魔王に看破されてしまう。

 彼は語らなくても私の心を察してくれる人だから。

 魔王は私の髪を一房手に取ると、愛おしむかのように指で梳いて口づけをし、優しい微笑を見せてくれた。


「わ、私は……」

「我とお前はすでに夫婦だ。汝は我が伴侶、我が魂の番」

「魔王……私は、私はっ!」

「お前の夫としてすべてのかたをつけてくる。それにこれほど美しく愛おしい妻を残して逝けるものか……妃よ必ず迎えにいく」


 魔王の体温が私から離れた。

 侍女たちに頼むと一言だけ告げ、彼は転移魔法陣を起動させた。

 狭い部屋に魔力が満ち複雑な文様に光が宿る。


 ああ、これは、この世界にきたときに見たことのある光景だ。


 私をこの世界に絶望と共に叩き落した光景だ。

 頭痛と吐き気、恐怖と怯え、体は震え凍えるように寒い。 

 それでも私は必死になって魔王の姿を目に焼きつけた。

 彼はどこまでも、どこまでも澄んだ美しい表情を浮かべていた。



 そしてそれが、私が最後に見た愛しき魔王の生きた姿だった。

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