闇の森の女王
アタシは
拳を受けたあの人は空を自由に飛んで、引力にひかれて地面に落ちた。
綺麗に三回転半、横方向に転がって、変な角度で腕を折り曲げ地面にうつ伏せで止まった。
もちろん、魔王に対しての恐怖はあったわ。
アタシがこの世界に来る羽目になった……人族のいうところの世界の平和を脅かす元凶とやらが目の前に現れたのだから。
しかし逃走する気にはならなかった。
なぜなら、そのときのアタシは闇の森の頂点に立つ存在だったから。
臆病者のアタシにも闇の森の獣として誇りというものがあったのよ。
で、構えたまま少し待ったけど、あの人が立ちあがる気配はなかった。
軽く気絶していたみたい?
まずは慎重に力試しの牽制くらいのつもりだったから……ひどく拍子抜けしたわ。
ん? 別に嘘は言っていないわよ、そんな話は信じられないって?
だって、ねぇ……父親の武勇伝を目を輝かせてねだる幼い頃のあなたに、あの人がアタシの拳一発で沈むような柔い男だなんて……そんな夢を壊すような真実は伝えられないでしょう?
嘘だと思うのなら当時から城に仕えている者に話を聞いてみなさいな、みんな例外なく顔をそむけると思うから。
ふふ、そんなに頭を抱えないでよ、だからアタシも細かい話はしたくはなかったの。
それにね、この話にはまだ続きがあるんだから。
あの人がなんと、膝をガクガク震わせながらも立ちあがってきたのよ。
ええ、それには私も感心したわ、中々の闘志だったわね。
あの人が何か言おうとしていたから、アタシはテテっと近づいて。
裏拳をぶち込んだわ。
……なにかしら、その何とも言えない顔は?
うん、いくらなんでも容赦がなさ過ぎではないですかって?
甘いわね、当時の生きるか死ぬかの闇の森では当然のことよ。
相手が何を仕掛けてくるかも分からない状況となれば尚更ね。
情けをかければ次に死ぬのは自分、獣はそれほど優しくなければ余裕もみせないものなのよ?
あの人が再び立ちあがってくる気配はなかったので、その場から立ち去ったわ。
倒したとはいえ人肉を食べる気にはなれなかったからね。
倒した獲物は敬意を持って食べる、これも闇の森では常識なのよ?
そんなことは
……ちっ、温すぎるわね最近の若い
ん、まあ、これがアタシと
ところが次の日のことよ。
あの人はまた来ていたの。
昨日の今日で、別れたときはかなり瀕死な様子だったけど凄い回復力よね。
あの人はアタシを見るなり目を見開いて指さして――
アタシはその顔に蹴りを入れたわ。
今度も空飛んで地面に落ちて縦方向に七回転して止まった。
一連の動作が前より洗練されていて見事だったわね。
うん、せめて話くらいは聞いてあげてください?
甘いわね、闇の森では……もう、その話はいいって?
それからというもの、あの人と頻繁に遭遇するようになった。
こちらから襲いかかったり、向こうが先に見つけてアタシが飛びかかり、また次の日はアタシから……そんな繰り返しがしばらく続いた。
魔王の目的は明らかにアタシ。
そして殴られるためだけに連日懲りずにやって来る。
あの当時は、あの人のことを少々……ううん、かなり不気味に感じていたわね。
そんなある日のこと、あの人はアタシを発見すると両手をあげ敵意がないことを示した。
それから持っていた荷物を投げて寄越してきたわ。
広げたら女物の衣服一式、訝しがるアタシにあの人は後ろを向いて。
「後で殴ってもよいからその衣装をまとってくれ! 言葉が通じるのだ服の着方くらいは理解できるだろう? 罠ではない、変な呪いなどかかってない衣だ! 闇の森の女王とはいえ、女が裸体を晒すのはよろしくはないからな!!」
うん、なんで裸だったのかって?
生まれ変わってから闇の森の獣とあの人以外には会ったことがなかったからよ。
衣服なんて手にする機会はなかったし、強靭な体のせいで必要も感じなかったからね。
それに服を着ていたとしても獣たちとの戦いで破けて、すぐ着れなくなるわよ。
それでも羞恥心くらいはもってください?
いいかしら? 生き物はみな、裸一貫で生まれて死んで裸になるのよ、その間の生が全裸でも全然問題はないとは思わない?
なんなら今からでも全裸で過ごしていいくらいだわ。
失礼ね、倒錯者ではなくて自然の摂理に従っていただけよ。
とまあ、闇の女王とか意味の分からない呼ばれ方をしたことに、そのときは疑問を抱いた。
少しだけ迷ったけど折角だし服を着ることにしたの。
服には魔力が宿っていたけど害を成す類の物ではないとすぐに分かった。
ご丁寧な事に髪留めや下着と靴まで入っていたわ。
着替え終わったことを伝えると、振り返ったあの人は驚いた表情で何も言わなかった。
それからしばらく呆然とアタシを見ていた。
見つめられて居心地が悪かったけど、流石にお礼くらいは言おうと思ったから待ってたわ。
そうしたらあの人は我に返って、それから腕を組んでウンウンと頷きだしたの。
その行動がよく分からなくて、なんだか無性に苛ついたから殴っておいた。
なによニヤニヤして?
え、お父様はそのときに、お母様に一目ぼれをしたんですね?
さて、どうかしら、当事者のあの人はいないし、今となっては分からないわね。
まあ、そのようなことがあってから、あの人と頻繁に会うようになった。
あの人はアタシ相手に修練をするため。
アタシはあの人が持ってきてくれるお土産……魔族の趣向品などを楽しみにしてね。
お互いのことを色々と話したわ。
あの人に対して、あなた程度が魔王ならアタシは大魔王ね……なんて口が滑って言ったら、まったく返す言葉もないってクツクツと笑っていたわね。
ふふっ、魔王という肩書や見た目の割には優しくておおらかな人だった。
アタシがこの世界にきた経緯や勇者の話とかも勿論したわ……あの人は珍しく顔を曇らせていたけど、そのときのアタシは深く考えもしなかった。
そのような関係を続けてから数年過ぎた頃かしら、あの人もかなり強くなっていた。
お互いがして欲しいことをなにも言わなくても察する程度の仲にはなっていたと思う。
ところがある日、いつもは明るいあの人が溜息をついていたの。
なにがあったのかは知れないけど、悩んでいることだけは分かった。
力になりたくて心配事があるなら話くらいは聞いてあげるとアタシが言うと、あの人が珍しく緊張した真剣な表情になって……。
「闇の森の女王よ、美しき獣の乙女よ、我……魔の王の伴侶となってくれ!」
ええ、気づいたら告白されていた。
いつにもなく静かで……そして熱い視線で見つめられていたわ。
それまで、あの人にそんなことを言われるなんて考えてもみなかったから本当に驚いた。
それで、どう返答をしたかって?
混乱して殴り倒して……逃げてしまったわ。
ねえ、そんな呆れた顔をしないでもらえるかしら?
なにしろそのときまで、男に愛をささやかれた経験なんて皆無の女だったんだから。
ええ、そうね、恥かしながら純情だったわね。
本当にどうしたらよいのか分からなくて、しばらく闇の森を走りまわって目につく魔獣を薙ぎ倒していたわ。
えっ、迷惑夫婦? もう、そのときは本当に余裕がなかったのよ。
……結局ね、あの人の求婚を受けることにしたの。
お互いの立場や生き方、生活の違いなども色々と考えはしたわ。
そのときはあの人を愛しているのか、男女の愛というものがまだよく分かっていなかった。
でも、あの人のことは嫌いではなかったから……ううん、一緒にいて心地が良かったから。
だからアタシは求婚を受けることにしたの。
安易かしら? でも男女が一緒になるってその程度の気持ちでいいと思う。
失敗したらそれを糧にすればよい、互いを尊重し思いやる気持ちがあれば大抵のことはどうにかなるのだから。
そう決めて、あの人を探したわ。
するとアタシに殴られた場所で、悲壮感を漂わせながら木の根元に深く座込んでいた。
普段の余裕そうな姿は見る影もなかった。
ぶつぶつと独り言を呟く姿を見ていたら、なんだか悩んでいたのが馬鹿らしくなってね、こっそり近寄っていって、いつもの修練のように殴り倒してあげたの。
それから驚くあの人を掴んで立ちあがらせて、その頬に口づけをしたのよ。
なによ、またニヤニヤしだして……え、凄く素敵だって?
……そうかしら、ありがとう?
そうしてアタシはあの人の治める国、そう、この魔族の国にくることとなったの。
◇
闇の森に隠されていた転移陣から魔の国に飛んだわ。
王城についてからは色々なことがあったわね。
最初に気になったのは、会う人の誰もがアタシの顔を見るとしばらく呆然となることかしら。
自分の顔が大したことがないのは自覚していたけど、毎回露骨に驚かれると流石に変な顔なのかと萎縮したわ……だって、魔族って美人さんが多いから。
どうしたのよ、溜息なんかついて?
お母様はご自分の容姿に対して、どうしてそれほどに評価が低いのですかって?
そうは言われましても……たまに鏡を見て、アタシってば一応は整った顔なのかしらと思うこともあるけど、もう見せたい相手もいないし正直どうでもいいことだわ。
それから、アタシがなにより心配していた虐めとかはなかったわね。
むしろ驚くくらい歓迎をされたわ。
その理由なんだけど、あの人は周りの者たちからどんなに熱心に勧められても、お妃をもらうどころか、女に興味すら抱かなかったらしいのよ。
家臣たちも世継ぎは無いものと諦めかけていたとか。
それがあくる日から、女物の服や小物を大量に抱えて頻繁にでかけるようになったから、これはもしやと大騒ぎだったらしい。
我らが魔王陛下にも遅れながら春がきたのか、なんてね。
そういうことでいつ妃候補がきても大丈夫なように、部屋から側付き侍女の手配、はたまた教育係りの選抜と、ありとあらゆる事態に備えて準備していたとか。
それとね、アタシは魔族の間でも結構な有名人だったらしいのよ。
闇の森の女王、闇の森の魔女、闇竜の支配者……と、噂になっていてね。
闇竜と単独で戦うアタシの姿を、たまたま目撃した人が広めたようね。
アタシはただ闇の森の頂点を目指して暴れていただけなのに、力を信奉する魔族たちの中では凄まじく神聖化されていてね……特に同性の、侍女たちの尊敬と崇拝の眼差しがなんだか申し訳なくて気恥ずかしかったわ。
でもまあ、その噂のおかげであの人と出会うことができたのだから、良くも悪くもないのかしら。
そうそう、側仕えの侍女たちは城生活に慣れないアタシを気遣って、お城や城下町の様々なお話を面白おかしく教えてくれたわ。
見た目は若々しい彼女たちだったけど、百年以上の経歴をもつ古参の侍女ばかりだった。
そのときのアタシには考えつかなかったけど、それだけの期間を勤めあげていた侍女をそばに置くということは妃候補としても異例で、アタシに対しての期待が大きかったのだと思う。
ただことあるごとに「あなた様はご自身の容姿に対してなぜにここまで無頓着なのですか?」とか「折角これほどの美貌をおもちなのに本当に勿体無い」とか繰り返し、お世辞を言われるのには参ったわね。
ええ、そういえばそれは今でも言われているわね。
もうあなた、溜息ばかりついていると幸せが逃げるわよ?
あの人が気分転換にと何度も城下町に連れて行ってくれたわ。
アタシのためにということもあるけど、あの人自身が城に篭っているのが苦手だったのね。
魔王陛下の脱走癖は魔族の間でもかなり有名でね、あの人は明らかに目立つ容姿なのに城下街でも自分が魔王だとバレていないつもりだったのよ。
街の人たちもそれを察して知らない振りをするの。
ふふ、おかしいでしょう?
アタシは笑いを堪えるのに必死だったわ。
ええ、そうね……あの人は、なんだかんだ言って皆に慕われていたのね……。
お城では礼儀作法や教養、他にも様々なことを習ったわ。
あの人には、前の世界や生まれ変わりのことも含めてすべてを話していたけど、説明が面倒で家臣たちには闇の森育ちとだけ伝えていたのだと思う。
そんな野育ちだと思っていた野蛮な女が、下手な知識階級の者よりも色々なことを知っていて習得していくものだから、周りの者たちはかなり驚いていたわね。
まあそれも、前の世界で学んだ礼儀作法がわりの躾と教養がわりの知識という下地があったからかしら。
世界が変わったとしても人が品を感じる動作や行動というのは大抵は似通るものよ。
すべてがすべて、上手くいったという訳ではないし失敗することも多々あった。
それでもあの頃のアタシは、あの人との未来を見据えて充実していたわ。
アタシが女としてもっとも輝いていた時期だったと思う。
◇
「それからしばらくして、あの人との婚礼の儀式が行われることになったの」
そろそろアタシがこの子に語れることも無くなってきたわね。
「これが御伽話ならば……王様と妃様は末永く幸せに暮らしました。そう終わるところなのかしら? でもね、アタシとあの人の御伽話は残念なことに違ったようだわ」
「…………お母様」
「あとは貴女も知っている通りよ。多くの魔族が命を奪われた忌まわしき戦いであの人と別れ……そして再び生きて会うことはなかった」
アタシの手の平に娘の手が重ねられる。
この子のさりげない優しさが心にしみる……アタシは話を締めくくることにした。
「ええ、そう、二度とね。これがアタシとあの人との初めから終わりまでの物語」
「はい……ありがとうございました。お母様」
「ふふ、一応は満足できたようね?」
娘は私の言葉に目を閉じる……少しだけ悲しげだった。
アタシはニヘラと笑うと彼女の頭を静かに撫でてあげた。
あの人譲りの炎のように真っ赤な髪だけど、あの人とは違いサラサラと流れるような滑らかな手触りであった。
――そう、ここまでが愛すべきこの子に話すことのできる物語。
ああ、この先は決して誰にも語ることができぬ。
ひたすらに人族を憎み。
ひたすらに殺戮に明け暮れた。
一人の
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