聖女たち
目を覚ますとアタシは不思議な場所に立っていた。
床も壁も天井も、すべて乳白色の濃い霧におおわれた空間。
闇のような白以外には何も存在しない場所。
でもね、不思議と不安や恐怖というものを感じなかった。
自分の体を見ると勇者に刺されたはずの傷はどこにも見当たらず、それどころか服すらも破れていなかったわ。
アタシは何が起こったのか理解できず、その白い空間でしばらくたたずんでいた。
すると突然、空間の一部が蜃気楼のように歪んで一人の少女が現れた。
アタシよりも年下に見える小柄な少女。
恐ろしほどに整った顔立ちだけど、その表情は柔和で見ているだけで心が安らぐ。
そんな優しくて温かな雰囲気を持った人だった。
彼女はニッコリ微笑むとアタシに語りかけてきたわ。
「初めまして、十三番目の聖女よ」
「え……ええっ!?」
彼女は確かにアタシを聖女と、そう言った。
驚いたわ、だって、アタシの知っている聖女というのは王族のお姫様のことだったんだから。
戸惑い慌てるアタシに彼女も疑問を覚えたらしく。
「違うのですか……? 何か事情がありそうですね……もしよろしかったら、ここまでのあなたの旅の話を聞かせて頂けませんか?」
そう丁重に呼びかけてきたの。
でもそんな小さな少女に対してさえ、アタシは呻いて返事をすることができなかった。
そのときのアタシは美しい容姿を持った女たちに散々虐められ、何かを言おうとするだけで殴られ蹴られて人以下の存在にまで落とされていたから。
少女はそんなアタシを哀れむでも蔑むでもなく、優しく……本当に優しく微笑んでくれた。
不快ではなかった……むしろ彼女の笑顔に安堵できたわ。
「ではまず、わたくしたちの話からしますね」
少女は静かに語り始めた。
「わたくしは始まりの聖女……そう、聖剣を得るために、この身を捧げた愚かしき女です」
それは聖女と聖剣と、そして勇者と神の真実の物語。
神のお告げによって始まった聖剣を手に入れるための生贄の儀式。
最初の生贄は聖女と呼ばれた孤児の娘……穏やかな美貌の少女。
それ以降、聖剣の生贄となる女を聖女と呼ぶようになった。
「しかし、それは神が自らに捧げられる人族の信仰を増すための……勇者の悲劇の英雄譚を万人に広めることを目的とした虚飾だったのです」
聖剣とは生贄という代償がなくても造りだせる程度の道具。
そう、本来ならば必要のない犠牲。
人々の心と力を一つの方向性にまとめるために、神と呼ばれる存在が考えた演出だったの。
精神という糧をより効率よく搾取するためにね。
「始まりの聖女であるわたくしが、神の言葉を盲目的に信じ疑いもしなかったために、この場所に落ちて事実を知った後も止めること叶わず、わたくしに続く聖女に苦しみを与えたことを……深く、深く、謝罪します」
始まりの聖女は悲しげに目を閉じてすべてを語り終えた。
アタシは彼女の話がすんなりと心の中に落ちて理解できた。
祭壇の泉での不自然すぎる勇者たちの行動。
憎しみをぶつけ、見くだす対象であったアタシが死んだというのに、哀れむでも嘲るでもなく、次の瞬間には最初からいなかったように振る舞っていた。
ええ、それで聖女の語る話が真実だと実感できたのよ。
あの出来事は、あの場にいたすべてが……神とやらに誘導された結果であったのだと。
涙は……こぼれなかったわ。
そのときは感情というものが擦り切れて、ボロボロになっていたのかもね。
そんなアタシの周りに、いつの間にか十二人の聖女が立っていた。
清楚な聖女たちは空気のように静かにたたずんでいて、人間不信に陥っていたアタシでも恐怖を感じることがなかった。
聖剣を造りだすためだけに、ありとあらゆる種族から選ばれた十二人の贄の聖女たち。
その中にはトカゲを直立させたような……リザードマンという種族の人もいた。
爬虫類を擬人化したような恐ろしい顔なのに、その表情は本当に美しいと感じた。
聖女にはエルフやドワーフや獣人……他にも人族に見えたが少しずつ姿に差異のある人たちだった。
みんな、始まりの聖女と同じように穏やかに微笑んでいたわ。
彼女たちの陽だまりのような優しさに比べたら、聖女のお姫様なんて、それらしく着飾っているだけの紛い物がいいところだったわね。
始まりの聖女は床に座り、アタシの手を取って隣に座るよう促がしてきた。
座ると他の聖女も車座で腰を下ろしていく。
そしてアタシは十二人、すべての聖女に見つめられた。
「あ、あの、わ、私は……」
「ここには、誰もあなたを責める者はいません。怒りも、悲しみも、苦しみも、あなたの思うまま、望むまま声にだしてみてください」
緊張でどもりそうなるアタシに、始まりの聖女がそう伝えてくれた。
彼女の握ったままの指から、その熱から、語るための勇気をもらったわ。
アタシの口から言葉が、本当に自分でも驚くくらいスラスラと言葉がでてきた。
転移したときに馬鹿にされ不本意な失望と落胆をされたこと。
旅の間に理不尽にいじめられて、人間扱いすらもされなかったこと。
祭壇の泉について、その美しい光景にもう一度頑張ろうと思えたこと。
そのすぐあとに殺されて、魂すら奪われ、誰にも見てもらえず、看取られず消えたこと。
…………。
そして、前の世界でのこと。
できの悪いアタシを身内として見てくれない家族や親戚のこと。
ウジウジしていただけの情けない自分、頼れる人もいなく、いつも一人で孤独だったこと。
短い人生で辛かったことや惨めだったことのすべてを話していた。
聖女たちはみな、自らの命を世界のために他人のために投げだして捧げた人たちよ。
彼女たちの過酷で熾烈な生き様に比べたら、アタシの苦悩なんて生ぬるいものだったと思う。
でもね、どの人もアタシの言葉にうなずいて、嘆いて、悲しんでくれたわ。
その不思議な空間の中だったから、アタシは自分を守るために心を偽らず、彼女たちの優しさに偽りがないと知り、色々な鎖から解放されて救われることができた。
ん、ちょっとやだ、なんであなたが泣きそうな顔をしているのよ?
ほらほら、泣かないの、あくまで大昔の話だからね?
今はあなたや皆がいて幸せなんだから大丈夫、ほら大丈夫よ。
すべてを語り終えたとき、いつの間にか始まりの聖女がアタシの体を抱きしめていたわ。
まるで幼子にでもするかのように、背中を優しく撫で叩いてね。
始まりの聖女がアタシにしてくれたことは、それまでの人生で感じたことのないものだった。
それは欲しくても与えてもらえなかった……母親の無条件の愛が一番近いものだったのかも。
そのせいかしら、始まりの聖女に対して思わず「お母さん」と呟いてしまったの。
彼女はアタシから体を離すと、大きい目を丸くしてキョトンとした表情をしていたわ。
やっちゃった! ってやつね。
ふふ、そりゃ、メチャクチャ恥ずかしかったわよ。
そうね、普通は自分よりも幼い見た目の少女にお母さんなんて言わないものね?
うつむいているアタシを始まりの聖女はしばらく見つめて。
「わたくしが、わたくしたちが貴女の母様ですか?」
ええ、もう止めを刺されたというのかしら。
天然だったわね彼女は……羞恥で頬が熱くなったわ。
上手い言い訳の言葉も考えつかず、なんとか失礼しましたと頭を下げたら、始まりの聖女がいきなりクスクスと笑いだしたの。
うん、その反応は予想もしていなかったからびっくりした。
それだけではなく周りの聖女も一斉に笑いだしてね。
でも、彼女たちの態度に恐怖は湧かなかった。
だってそれはアタシが散々浴びせられてきた侮蔑や嘲笑ではなく、喜びからでた優しい笑い声だったから。
人は嬉しさで笑うことができる……それを思いだして、気がついたらアタシも彼女たちと一緒になって笑っていたわ。
そうして、その不思議な空間で聖女たちと一緒に過ごすことになったの。
彼女たちはまるで本物のお母さんのように、代わる代わるアタシに膝枕をしながら髪を梳いて、この世界の様々な物語や御伽話……そして出来事などを語ってくれたわ。
眠りから目を覚ますと、必ず誰かがそばにいて一人になることは無かったけど、それに息苦しさを感じることはなかった
むしろそうやって、アタシを常に構って甘やかしてくれることは喜びだった。
それまでのアタシの人生の中で一番穏やかで平穏な時期だったわね。
そんなあくる日のこと。
いつもと同じように膝枕をしてくれた始まりの聖女が、何ともいえない……アタシに懇願するような口調で語りかけてきたのよ。
「わたくしたち、十二人の身に残る魂を少しずつ寄り集めて合わせれば、あなたに新たな命を与えることが……この世界で新たな命として生まれることができます。今とは違う姿になりますが、もしも、もしも宜しければ今一度この世界で生きてみませんか?」
突然の提案にアタシは困惑した。
だって、彼女たちと共にあることに何よりも幸せを感じていたし、それにそのときは生き返ってまでも望むことは何もなかったからね。
「あなたは、わたくしたちとはまったく違います。自ら望まずして贄になった可哀想な人。だからこそ、この世界であるがまま自由に生きて欲しい……」
始まりの聖女は言葉をいったん切ると、目を閉じて再び語りだした。
「ううん、違います。本当は違うのです。これは、わたくしたち、女に成れなかった女としての身勝手で浅ましい願い……」
アタシの周りにはいつの間にかすべての聖女が立っていた。
十二人の聖女たちの声が重なり唱和する。
アタシは聖女の真摯な願いを、唯々、聞いていた。
『あなたは苦しむかもしれません。あなたは悲しむかもしれません。ですが、あなたをわたくしたちの本当の子供に……わたくしたちをあなたの本当の生み親に……わたくしたちをあなたの本当の母にさせて頂けませんか?』
それは自らの生きた
「あ、あああ――!!」
体がね……震えたわ。
言葉を上手く伝えることができなかった。
それまで、アタシにこれほど愛を語ってくれる存在に出会ったことがなかった。
これから先も出会うことがないと思えた。
溺れるほどの愛を与えてくれる、この優しい人たちとずっと一緒にいたいと……離れたくないと思ったわ。
…………。
ええ、迷いはあった。
戸惑いもあった。
でもそれ以上に彼女たちが、この世界に存在したという確かな証になりたいと思った。
だから生まれ変わることを、彼女たちの本当の娘になることを決意したのよ。
アタシの言葉を聞くと聖女たちは嬉しそうに微笑んだ。
そして、一人ずつアタシに寄り添って、愛しむかのように抱擁してくれた。
一人、また一人と抱きしめられるたびに、アタシの中に暖かい力と、生きるための熱い意思が流れこんでくるようだった。
最後に始まりの聖女が私を抱きしめてくれた。
最初に抱いてくれたときとは違う、とても力強い抱擁だったわ。
『あなたがどのような生き方をしても、わたくしたちは認めます。全てに否定されたとしても、わたくしたちはあなたを肯定します。喜びも、怒りも、悲しみも、全てはあなただけのもの、わたくしたちは、あなたが健やかな生を送る……それだけを望みます』
勝者になどならなくてもよい……ただ生きていてくれれば。
そう伝えるそれは、どこまでも優しくて厳しい母の愛の言葉だった。
親が愛すべき子に、その子がまた自らの子へと伝えていく命の歌だった。
そう、アタシからあなたにも……伝わっているはずよ。
「いってきます、お母さん」
アタシは彼女たちに別れを告げた。
二度と戻ることの出来ない別れ……でも不思議とね、涙がこぼれることはなかった。
抱きしめられたまま目を閉じて、いつもの微睡のような緩やかな眠りについた。
…………。
…………。
見えたのは光だった。
目を凝らさないと見えない、本当に細い光。
光はどんどん大きくなっていった。
いえ、違ったわね。
アタシがその光に凄まじい速さで近づいていったのよ。
光に包まれた瞬間、アタシは痛みを感じた。
勇者に命を奪われたときに匹敵する痛みだった。
アタシは絶叫した。
唯々、耐えるように叫び続けた。
………………。
今考えると、あれは出産のときに感じる痛みだったのね。
母体が苦痛を感じるように生まれてくる子も痛みを感じるのよ。
だから赤子は生まれたときに思いっきり泣くの、自分はここに居ますよって。
そうやって絶え間のない痛みの中でアタシは目を覚ました。
「ああっ……あああっ!!」
叫び寝ころび見あげた空の……絶望的なまでの蒼が目に焼きついたわ。
アタシはこの世界で一人になったことが、寂しくて悲しかった。
アタシをこの世界に生んでくれたことが、嬉しくて誇らしかった。
ろくに力の入らない、ちっぽけすぎるアタシの体。
震えて怯えて生まれたての子鹿のように無様に大地を転がったわ。
何度も、何度も、起きあがるのに失敗して土まみれになりながら、両手と両足と
そこはアタシが死んだ闇の森の祭壇の泉。
その石碑の前にアタシは確かに立っていた。
アタシの再誕の日……ええ、今でも鮮明に思い出せるほど、とても美しい風景だったわ。
◇
アタシは生まれ変わり新たな体を手に入れた。
まあ、今の体なんだけどね。
十二人の聖女のそれぞれの因子を受け継いでいるらしく、それまでの体が笑えるほどの桁外れの身体能力と魔力、そしてある特殊な特性をもっていた。
外見の特徴としては……耳が長かったり、頭の横に角が生えてたり、尻尾があったり、一部トカゲ肌だったりと、まあ色々。
ええ、どう考えてもリザードマン母さんの因子が強烈にでていたのよね。
ん、お母様は竜人だったのではないですかって?
違うわよ、アタシは竜人ではなく、十二分の一リザードマンというのが正確なところかしら。
そうやって新たな生を得たアタシは貪欲に生きることにしたの。
具体的には強靭な魔獣が徘徊する闇の森で、アタシは頂点を目指したわ。
ええ、並みいる魔獣たちを掴んでは投げ、掴んでは投げの激しい闘争の日々を送っていたの。
特に闇竜たちとの闇の森の覇権をかけた熱い戦いは今でも忘れられないわね。
え……お母様、おかしいですって?
どうして先ほどまでの優しい話から、そのような殺伐とした流れに変わるのですかって?
そうは言われましても……生まれ変わってから闇の森をずっとながめていたら、生きることはこれ戦いと、そう自然と思えたからなんだけど?
闇の森の女王。
闇の森の魔女。
闇竜の支配者。
んん……ああ、その頃からかしら、そんな風に呼ばれるようになったのは。
何というのかしら、若気の至りとは恐ろしいものよね?
というか、闇の森の女王の名はあなたが継いでいるじゃない。
まあまあ、呆れないでよ。
闇の森の頂点に立ったアタシのおかげで、娘である貴女も魔獣たちに襲われることもなく、それどころか闇竜に護衛してもらって自由に遊べた上に
そうやってアタシは、闇の森の中で原始的ながらも充実した日々を過ごしていたわ。
ところがあくる日のことよ、アタシの前に赤毛の派手な男がやってきた。
「フハハハッ! 我は魔王なり! 闇の森の女王とやらよ、貴様はそれなりの強者らしいな? 我と戦う栄誉と名誉を与えてやるぞ!!」
ええ、そうよ……あなたの父親でアタシの夫。
それがアタシと先代の魔王との初めての出会いだった。
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