第153話 人でなしと復讐者4
「いまさらなんの用だ、三神。私の邪魔をしにきたか?」
「まさか。昔の友人が同じ職場に勤めていると知ったのでな。顔を見に来ただけだ」
京子は嘘を言ってるように思えなかった。
だが――夏穂や命が彼女の世話になっていることは丈司も理解している。この状況で現れたということは、なにかしら意味があっての行動のはずだ。
それに――
いまの三神京子は丈司と同じく怪異の専門家でもある。かつてのような無力な大学生というわけではない。
警戒しておくのは当然だが――昔の知り合いと話をするというのは丈司としてはやぶさかではなかった。
「なにを狙っているのか知らんが――まあいいだろう」
もし、京子がなにか邪魔をしてくるのであれば――迎撃すればいいだけだ。京子は専門家であるといっても、怪異そのものになった丈司の敵ではない。
「それで、なにを話すというんだ? お前が話をしに来たというのだから、そちらにはなにかネタがあるのだろう?」
丈司はそっと京子の様子を盗み見た。
彼女は――大学生の頃とそれほど変わっていなかった。無論、二十五年も前のことだから、あのときよりも大分垢抜けた印象になっているものの――根本的な部分は変化していない。
いや――
根本的な部分など変化するものではないのだろう。
人間が根本から変わるときというのは――死に匹敵する衝撃と挫折を味わったときだけなのだから。
「まあそう言うな。それとも、お前は昔に知り合いと話をしたくないのか?」
「…………」
飄々とした様子の京子に対し、丈司は無言での否定をした。
「話をするのは別に構わないが――いまは色々とやることが溜まっている。お前に構っている時間はない。同じ職場に勤めているんだ。話す機会などいくらでもあるだろう」
向こうは寮のカウンセラーだが、今日のように校舎まで来ることは頻繁にあるはずだ。つい最近まで、お互い認識できていなかったのが不自然といえるだろう。
「その通りだ。だが、あまり時間も残されていなくてね。今日このタイミングでないと話せないんだよ」
「……なに?」
丈司は訝しげな顔を京子に向ける。
京子は――特に変わった様子はなかった。こちらに攻撃を仕掛けてくる気配もまるで感じられず、なにか別の意図が隠されているようにも思えない。
なにか――あるのだろうか? 丈司は少しだけ警戒を強めた。
いまの京子は――自分たちの間にある力の差を充分理解しているはずだ。
それでもなお、彼女は自分と話をしようとしている。かつての京子は――このように話し好きではなかったと記憶しているのだが――
「いつからだ?」
京子は重々しい口調で丈司に問いかけた。
「いつから、というのはいつのことかね? この学園を拠点にしたのは十五年前。私が復讐を誓ったのは二十五年前のあの日――つかさが無意味に死んだその日からだ」
「二十五年――四半世紀にもわたってお前は復讐のために生きてきたというわけか」
「そうだ。それは同情か? それとも憐憫か? どちらであろうと私には必要ない」
そんな人らしい感情など、とっくの昔にどこかに置いてきてしまった。いまとなってはそれがどのようなものだったのかもよくわからなくなっている。
「私にも訊きたいことがある。私がここに根を張っていると知ったのはいつだ?」
「ついさっきだよ。本腰を入れて調べ始めて、やっとここにいるのがお前だと知った」
丈司の問いかけに対し、京子は少し自虐が感じられる口調で答える。やはり、そこには自分と敵対する意思は見られない。
「それは何故だ? 私が里見夏穂に手を出したからか?」
「ああ。かつての友人として忠告しておこうと思ってな。いくら相手が強大だからといって、あれに手を出すのはいささか危険だ」
「危険か……確かにその通りだ。
だが――危険だというのなら私もさして変わらない。私も彼女と同じく――怪異になった身だ」
丈司の言葉を聞いて、京子は一瞬こちらに視線を向けた。そこにはなにか――複雑なものがあったように感じられる。
「それに――私と違い、彼女は望んでああなったわけではあるまい。肉体と怪異の分離うまくいけば、彼女は人に戻れるかもしれない」
「そうだな。
だが――完全に混ざり合っているものを無理矢理分離して、分離された側が無事である確率など皆無だろうよ」
「…………」
その指摘はまったくその通りだ。
丈司は分離が終わった夏穂が無事であるなど微塵も思っていない。
ただの被害者でしかない少女を犠牲にして――自分の愚かしい復讐を達成しようと考えている。鬼畜の所業と言われても仕方がない。
「では、もう一つ問おう。復讐を達成したら――お前はどうするつもりだ?」
「…………」
そんなもの――なにも考えていなかった。
あの日以来――丈司の中にあったのは必ず復讐するという決意だけだ。それ以外なにも残されていない。
いや、違う。
復讐以外のことなど考えたくなかったのだ。
復讐以外のことを考えてしまったら――かつての恋人への思いが薄れてしまうと思ったから。
それが――哀れで愚かなものであるのは重々理解している。
それでも――そうせずにはいられなかったのだ。
彼女を襲った邪悪な運命のことを知っているのは――もう自分だけだから。
それに――
復讐のために、人を食らい鬼と化した自分が――戻れるはずもない。
だが――それでもいいのだ。そうすれば、無意味に死ぬしかなかったつかさの思いだって少しは晴れてくれるに違いないのだから。
「……そうだろうな。そうでなければ――二十五年もかけて復讐を達成しようなど思うわけもないからな。無益な質問をしたようだ」
京子はぶっきらぼうな口調になって謝罪の言葉を述べる。
「さらにもう一つ問おう。夏穂をどうやって無力化した?」
「いくつも当て馬を用意して彼女にぶつけて――その特性を調べ上げたまでのこと。
そして――彼女の怪異が行う報復を防ぐ手段を見つけた。ただそれだけだ」
「そうか」
京子の口調は少しだけ悲しそうだった。どうして悲しそうにするのか、丈司には理解できなかった。
「お前がどのような手段を持ってあいつを無力化したのかなんてどうでもいいが――旧友として一つ忠告しておこう」
「……なんだ」
「お前が手に入れようとしているあれは、お前が思っている以上に際限がない。
そして――
進化というものは、起こるときはいつも劇的だ。過酷であればあるほど、進化というものは起こりやすくなる。それは怪異であっても例外ではない」
「それがどうした?」
「お前が何年も考えて行った手段を、進化というものはいつも簡単に凌駕する、と言いたいだけだ。お前だって、それくらいは理解していると思っていたが」
「……なに」
京子のその言葉を聞き、身体の中で『なにか』がざわめいた。
京子は――なにを言っている?
やはり――なにか手を隠しているのか?
「安心しろ。私はお前になにかするつもりはない。お前になにかできるほど自分の力を驕れるほど出来がいいわけでもないからな。
では、そろそろ私は失礼するよ。巻き込まれたくないのでね」
そう言い残して、京子は丈司のもとから離れていく。身体の中では相変わらず『なにか』がざわついていた。
――一体どういうことだ?
あいつは――なにを知っている?
丈司は言いようのない不穏さを抱いていたそのとき――
身体の中にあったざわめきが一気に巨大化し、腹の裡から『なにか』が無理矢理出てくる感覚を味わった。
――まさか。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
背後から水っぽい音が聞こえてくる。
そちらを振り向くと――
異空間で――死に続けていたはずの夏穂の姿があった。
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