第152話 人でなしと復讐者3

「少し顔色が悪いようですが――どうかしましたか?」


 そんな質問をしてきたのは、丈司と同じくこの学園に赴任している男性教師だ。丈司よりもひと回りほど年下の、あまり教師らしくない風体の男である。


 月華学園は、全寮制の女子校であるために、男性教師は自分と彼しかいない。そのせいか丈司もその男性教師とよく一緒にいることが多くある。


「ええ。ちょっと風邪気味のようでしてね」


 風邪――というのは当然嘘である。丈司の顔色が優れていないのは間違いなく、先ほど、夏穂の怪異に触れたせいだ。彼女と戦闘になって一時間ほど経過しているが、未だにその影響は抜けてくれない。


 だが――そんなことは彼に言う必要性はまったくないし、風邪だろうが怪異の影響だろうが、事情を知らなければ同じようなものだ。そういうことにしておいたほうが面倒ではない。


「あら、そうですか。最近インフルエンザが流行り始めているようなので気をつけてくださいよ。ぼくには宮本先生くらいしか気軽に話せる相手いませんし」


 ははは、と男性教師は軽やかに笑う。

 やはり、その姿は教師にはそぐわない。彼が身にまとう雰囲気は、外資系企業かITベンチャーにいるほうが自然な感じがする。


「大丈夫ですよ。もうすでに予防接種は済ませてありますから」

「そうなんですか。僕はまだ行けてないんですよね。なかなか時間が取れなくて」

「早めに受けておいたほうがいいですよ。年明けごろには本格的に流行り始めるでしょうし、教師がインフルエンザで休むというのも生徒にあまり示しがつきませんからね」

「そうですね。ま、教師とはいえ、僕らも人間ですから、インフルエンザにかかるときはかかってしまいますが――病欠というのが生徒に対して格好つかないというのは間違いありません」


 どうするかなあ、と小さく男性教師はぼやいた。

 彼も色々と業務に忙殺されているのだろう。


 最近はよく知られるようになったが、教職というのはかなりブラックな仕事だ。授業やテスト作成などの通常業務に加えて、部活動の担当になれば、休みなどなくなる仕事である。幸い、月華学園は潤沢な資金のある私立であるために、平均的な公立校に比べればその負担はかなり軽減されているが――それでもやることは非常に多い。


「ま、とにかく気をつけてください。それでは私は少し失礼します」


 丈司はそう言って立ち上がった。


「おや、今日はお帰りですか?」

「いえ、他にやることがあるので、今日も残業ですよ」


 丈司のその言葉を聞くと、男性教師は「そうですか」とだけで言って、それ以上なにも聞いてこなかった。ありがたい限りである。


 丈司は職員室を出て廊下を進んでいく。歩きながら、異空間に押し込んだ夏穂が未だに死に続けていることを確認した。


 この月華学園の敷地は丈司の領域となっている。この学園に赴任してから、少しずつ作り変えてきた結果だ。いまでは息をするかのごとく、この学園の敷地内で起こることを把握できる。


 そして――

 夏穂を取り込んだ異空間は、丈司の体内に等しい。ゆえに、なにか異常が発生すれば簡単に察知可能だ。


 彼女は――まだ死に続けたままだが、分離はまだ完了していないようだ。あとどれくらいかかるだろうか? 丈司の想定よりも時間がかかっていた。やはり、何事も見積もり通りというわけにはいかないということらしい。


 夏穂の怪異を手に入れたら――自分はどうなるのだろう? ふとそんなことが疑問になった。


 自分は――鬼だ。

 復讐に取り憑かれた鬼。

 人を食らった鬼。


 復讐のために多くの罪悪を積み重ねてきた。

 復讐を達成したら――果たして救われるのだろうか?


 ――そんなはずはない。


 復讐を達成したからといって、鬼と化した罪悪を積み重ねた自分がもとに戻るわけもなく――救われもしないだろう。


 救いなど求めていない。

 救いを求める考えは、あの日――つかさの遺体を自分の胃にすべて押し込んだときに捨ててしまった。


 だから――

 自分は復讐を達成したとしても救われることはない。


 だが――

 それでも構わないのだ。


 誰も彼も救われなかろうと、これだけはやらねば気が済まない。

 つかさにあのような運命を与えた者たちに報いを受けさせなければ、鬼に身を堕とす以上に自分を受け入れられなくなるだろう。


 でも――

 もし、つかさにあのような運命を背負わされていなかったら――自分はどうなっていただろう。


 まともな人生を――歩めていたのだろうか?

 さっきまで話していた彼のように――順風満帆でまともな人生を送ることができたのだろうか?


 いや――

 普通の人生を歩むことはできたのだ。


 つかさを襲う運命に逆らおうとせず、なにもしなかったのなら――

 つかさの死体を食ってしまわなかったのなら――

 つかさの死を、どこにでもありふれた死として受け入れていたのなら――


 丈司は、普通の人生を歩めていたに違いない。


 だけど――丈司はそれを選ばなかった。

 つかさの運命に逆らいたかった。

 死してなお利用され侮辱される彼女を救いたかった。


 その決断は――間違っていなかったはずだ。

 きっと、彼女の死から目を背けていたら――自分は死んだように生きていただろう。それには――耐えられない。


 それでも――

 つかさと幸せな人生を送れたら、と思うことはある。


 決して救われなかった彼女の運命を打破していたら自分はどうなっていたのだろう。そんなことをたびたび思うことがある。


 ――よくわからない。


 つかさを救えていたのなら――いまよりも幸せになれていたことは間違いないはずなのに――その確信が持てなかった。


 ――どうしてそんなことを考えている。


 あの日救えていたら――など無意味だ。いまここにいる自分は――彼女を救うことができなかった。できなかった「もし」を考えてどうする?


 そもそも――

 ただの無力な大学生に過ぎなかった自分では――どうあがいてもつかさを救うことはかなわなかったはずだ。彼女を襲っていた運命は――ただの人間がどうにかできるものではなかったから。


 ――いまはやるべきことだけを考えろ。

 丈司は自分にそう言い聞かせた。


 あと少し。

 あと少しで――つかさを侮辱した者たちに対抗しうる刃を手に入れられる。

 それを使って――復讐を達成して――それから――


「それからどうするつもりだ?」


 背後から聞こえてきた声に丈司は振り向いた。


「久しいな」

「ああ」


 そこにいたのは――かつての同じ大学に所属し、友人でもあった三神京子の姿があった。

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