第151話 人でなしと復讐者2

「…………」


 先ほど自分が倒した少女がいた場所に丈司は目を向けた。そこにはなにも異常は残っていない。どこにでもある床が広がっている。自分の手で、正常な人生を歩めていたのなら自分の娘であってもおかしくない彼女を手にかけても――丈司にはなんの感慨も浮かばなかった。罪悪感も――歓喜すらもない。ただ虚無が広がるばかりだ。なによりも――夏穂の中にいる怪異を求めていたというのに。


 殺し続ける――いささか乱暴な方法ではあるが――効果は発揮したといえるだろう。いま自分が、夏穂の報復を受けていないことがなによりの証拠だ。


 夏穂は――自分が掌握している異空間に放り込んである。かつて彼女を呑み込んだ異空間の怪異の中だ。かつては無力であるとして一度捨て置いた怪異であったが、いまでは里見夏穂を封じ込めておくために調整してある。怪異を掌握している丈司は自由に行き来可能だが、それ以外の者は不可能だ。


「……く」


 自分の中にある異物が冷たく猛っていた。それはまるで、絶対零度の刃は自分の体内を引き裂いているような感覚。痛みはなく、冷たさのある不快感が身体の中を疾走する。先ほど取り込んだ夏穂の中にいる怪異の影響だ。


 その言いようのない不快感に、多少顔をしかめつつ、丈司は「なるほど」と一人で呟き、そして頷いた。


 これに触れた者がすべからく廃人同然と化したのも無理はない。この醜悪さは多くの人間にとって耐えがたいものだろう。身体の内側から自身を否定される感覚――それはなんともおぞましい。丈司も人であったのなら耐えられなかっただろう。


 だが――

 宮本丈司は人ではない。

 一応、見てくれこそは人間に間違いないだろうが、中身は人間と大きくかけ離れてしまっている。


 二十五年前――かつての恋人を、災厄をまき散らす人ではない『なにか』だった彼女を守るために――その身体をすべて身体に取り込んだことで、丈司の身体は人間ではない『なにか』に変質してしまった。いま身体の中を疾走している感覚はそのとき味わったものとどこか似ているように思える。


 だがら――丈司は耐えられた。

 夏穂の身体の中に巣食う、怪異の捕食者の牙から。


 それに――

 夏穂の身体からあの怪異を分離させたあとは――自分の身体に保存しておかなければならない。恐らく――外にあれを封じておくというのは不可能だろうから。


 怪異の保存は、かつての恋人を食らったことで――丈司が得た力の一つだ。


 怪異を蒐集し、保存し、そして――かつての恋人と同じくそこにいるだけで災厄をまき散らす。この学園がこのように怪奇現象が頻発すようになったのは、その環境だけではなく、丈司のせいでもあるのだった。


 恋人への復讐のために、そのまわりあるものをすべて犠牲にする――まるで安っぽい感動の押し売りをする三流映画のようだ。そう思うと、自分はどこまでも道化で滑稽な存在なのだろう。


 しかし――

 道化で滑稽だとわかっていても――止まるつもりはなかった。


 ここで止まってしまったら、彼女が――災厄をまき散らす身体にさせられて、無意味に死んで、最終的にその遺体を丈司に食べられてしまった結城つかさがあまりにも不憫だから――止まれるはずもない。


 丈司はあたりに誰もいないことを確認したのち、下へと向かった。

 下――というのは、いまいる体育館棟の下の階ではない。

 丈司が向かったのは、先ほど里見夏穂を放り込んだ異空間だ。


 この学園とまったく同じでありながら本質的に異なる世界。人は誰一人として存在しない。いまそこにいるのは、人間に似た化物のような『なにか』だけだ。


 夏穂は、先ほど丈司に倒された場所と同じ場所で倒れていた。身体中から血を垂れながしているその姿はとても痛ましい。いまもなお、殺され続けているのだからそれは当たり前のことなのだが。


 その姿を見て、哀れだと思ったものの――それ以上の感情は湧き上がらなかった。やはり、丈司の心を支配しているのは、どこまでも続く虚無である。


 丈司は、夏穂に向かって一匹蛇を放った。蛇は夏穂の血に染まった病的に白い肌にかみつく。


 いま放った蛇は夏穂の肉体から怪異を分離する毒を持つ。さて、西澤小夢によってもともと分離は促進していたはずだが――どれだけ時間がかかるだろうか。腕時計で時刻を確認する。現在の時刻は午後四時を回ったところだ。


 だが――

 それほど時間はかからないだろう。彼女の状態は、丈司に敗北する以前からかなり追い詰められていた。下校時刻になるくらいには終わっているだろう。


 終わる――

 それは――この二十五年間、ずっと思い続けていた願いが叶えられるときがきたということ。


 それなのに――

 やはり丈司を支配しているのは虚無だ。歓喜も昂揚もない。これは、間違いなくなによりも――望んでいたはずのことなのに。


 夏穂の中にいる怪異を使えば――復讐は達成できる。なにしろあれは、怪異に対して絶大な力を誇る最強の矛だ。千年の歴史を持つ、魔術師の家系であっても、あれを防ぐのは困難のはずだ。


 そして――それ以外にも、この二十五年で丈司は様々な怪異を蒐集してきている。戦力としては申し分ない。それだけのものを、積み上げてきた。


 だから――

 できるはずだ。


 結城つかさに生きる絶望を与えた者すべてに復讐の喝采を。かつて、なにもできなかった無力な男は――二十五年もの歳月をかけてやっと一つの達成しつつある。


 お前らがそこまで災厄を望むというのなら、私がお前らに対してそれを与えてやる。


 喜べ。

 結城つかさを侮辱した者たちよ。

 私が――お前らの望むものを与えてやる。


 他に誰の姿もないこの異空間で、宮本丈司は強く決意した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る