第145話 人でなしと妖精と4

 カウンセリングルームを出た夏穂は、再び体育館棟に向かって歩き出す。


 夏穂を取り巻く状況は相変わらずだ。自らの裡にいる怪異が肉体とのバランスが崩れ、分離しかかっている。余裕は残されていない。早く命を助け出さなければ――


 また、いつ小夢が攻撃を仕掛けてくるかわからない。いつ幻覚攻撃をされてもいいように夏穂は身構えて進んでいく。


 歩きながら――考える。


 この学園で起こっていた数々の出来事には裏があった、ということについてだ。

 京子が夏穂に対してあまりいい感情を持っていないからといって、そんな嘘をわざわざつくとは思えないから、十中八九それは正しいのだろう。


 だが――

 その『誰か』とは誰だ?

 命が転校してきてから――もしかしたらそれ以前に夏穂が関わった怪異事件も――手を引いていた『誰か』とは何者だ?


 そこで――

 夏穂はまず自分に近い人間が思い浮かんだ。


 姫乃――入学してきた初日何故か告白してきたあの娘は――どうだ?


 いや、と夏穂は首を振って否定する。

 姫乃は高校からの入学組だ。入学以前からこの学園に足を運んでいたとは考えにくいし、そもそも部外者は簡単には入れない。部外者がこの学園中に仕掛けができるはずがない。だから違う。


 なら――

 きらはどうだ?


 彼女は中学からここに通っている。姫乃のようについこの間まで部外者だったわけではない。時間はある、と言えるが――


 やっぱりそれも考えにくい。

 中学からなら大体五年ほどだ。京子が言うにはこの学園に手を入れられていたのは少なくとも十年はかかっている、と言っていた。


 それに――

 きらは怪異に対してある種の忌避感を持っている。そんな彼女が、積極的に自分から怪異に関わるようなことをするとは思えない。


 それなら――誰だ?

 誰がこの学園に手を入れているのだろう?

 そして――命をさらった小夢の裏にいる『何者か』は一体誰だ?


 わからないことが多すぎる。小夢を倒して、命を取り返したら一度引くべきだろうか?


 ――駄目だ。


 もし、小夢の裏にいる、そしてこの学園に色々仕掛けてきた『何者か』が夏穂を狙っているのだとすれば――夏穂の肉体と怪異とバランスが崩れているいまは好機だ。これを逃すとは思えない。小夢がやられたとなったら――必ずなにか仕掛けてくるはずだ。


 そのとき――


 キイ、キイ、キイ、と耳障りな鳴き声が耳に入ってくる。ふとあたりを見回すと光る粉が自分のまわりを覆っていた。どうやら、思索にふけっている時間は終わりらしい。


 身体のいたるところにキイキイと鳴き声を上げる光る粉が付着していく。その鳴き声があまりにも耳障りだったので手を近場の壁に叩きつけた。キイキイと鳴く光る粉は潰され、ケミカルな色をした液体で夏穂の手がべっとりと汚れてしまう。


 しかし――いくら潰しても潰しても、光る粉はどこからともなくやってきて、耳障りな鳴き声を上げながら夏穂に取りついてくる。この光る粉はなにか意思を持っているのか、それとも――夏穂に光る粉を惹きつける『なにか』があるのか――どちらなのかわからないが、光る粉は無間地獄のように延々と夏穂のもとへとやってきた。


 それでも――夏穂は歩く足を止めることはない。足を止めてしまうことだけは許さない――そう考えていた。ここで自分が折れてしまえば、命を助けられる者はいなくなってしまうから。


『潰すなんてひどいじゃない。その子たち、わたしの子供なのよ』


 光る粉で埋め尽くされた空間内に生クリームを百倍濃縮したような甘い声が響く。


 西澤小夢だ。

 あいつの声を聞くと、いまでも怒りで内側から破裂してしまいそうになる。身体の末端にある感覚が曖昧になった。


 だが――ここでそうなってしまうわけにはいかない。どうせ破裂するのなら――小夢のもとまで行ったほうがいい。それまで、なんとか耐えなければ。


『そんなに怖い顔しないでほしいわ。あなた、見た目はいいんだし、そんな顔をすると台なしになるわよ』


 小夢は余裕に満ちた声をどこかから響かせる。小夢の声を聞いていると、耳が犯されているような錯覚を抱いた。


 あたりを埋め尽くしている光る粉が音もなく集まって、人の形になっていく。


『あなた、魔女なんて言われてるそうね。それなら仲よくしましょうよ。わたしも似た超なものだし、仲よくできると思うの』


 小夢は胸焼けして、一ヶ月はなにも食べれなくなってしまいそうなほど甘ったるい声で夏穂の耳を犯していく。


 なにを言っているのか、小夢の言葉を否定する意味を込めて、夏穂は自分の手を乱暴に払って人の形になった光る粉を振り払った。


 しかし、振り払った腕で形が崩れても、すぐにもとの形へと戻ってしまう。


 人の形になった光る粉は音もなく崩れたと思ったら、淫靡な感触で優しく夏穂の身体にまとわりついていく。


『ねえ、そんなつれない態度とらないで、せっかくだし仲よくしましょうよ。わたし、友達が欲しいの。わたしと同じ人でなしの友達が。ね、いいでしょう? 後悔はさせないわ』


「…………」


 優しく撫でられる感触に、こちらの意思とは関係なしに身体が反応してしまう。撫でられる感触は首、腿、腕、胸とどんどんと広がっていく。まるで全身を犯されているかのようだった。


『あらあら。魔女なんて言われていてもあなたもやっぱり女の子なのね。ちゃんと反応してるじゃない。いいわよ、そういうの。わたしの友達になったらいくらでも気持ちよくしてあげるわ――と言いたいところだけど、あなたは先客がいるから、まずはあいつに渡さないとね』


 全身を優しく犯されながら、夏穂は静かに小夢の言葉をかみ締める。

 あいつ――やはり、小夢は誰かの差し金で動いているらしい。


 夏穂を狙っているというそいつが、学園で数々の怪異事件を起こしていた『何者か』なのだろう。それを聞いて快楽に溺れかけていた夏穂はすぐに立ち直った。


 自分のまわりがどうなっているのかまったくわからない。

 だけど――この状況を打開するにはこうするしかない。


 どろり。


 夏穂は自分の裡に溶けている怪異を自らの意思で開放する。黒い奔流が身体中から溢れ出し、まわりを埋め尽くしていた光る粉を食らいつくしていく。ものの一秒とかからずに、あたりを支配していた光る粉は、わずかな残滓だけになった。


 自分のまわりに不快なものがすべていなくなったのを確認して、夏穂は再び歩を進めていく。


『ひどいわ。随分と乱暴なことをするのね。

 でも――それは悪手よ。だって、わたしの子供たちを食べてしまったんですもの。どういう理由かわかって?』


 夏穂によって自分の手先を壊滅させられたというのに、わずかに残った光る粉から響く小夢の声はまだ余裕に満ちている。まだなにか、手の内を隠しているのだろうか?


『ま、いいわ。体育館棟まで来なさい。続きはそこでやりましょう。お楽しみはあとまで取っておく性質なの。じゃあね。待ってるわ』


 そんな声を響かせて、わずかに残っていた光る粉は雲を散らすように影も形もなくなった。


「……っ」


 先ほど怪異を解放してしまったことによって、またさらに肉体とのバランスが崩れてしまった。四肢の感覚が曖昧だ。視界の位置が高いから、まだなんとか立っていることはわかるが、果たしてどこまで保つか。


 だが――

 止まるわけにかいかない。


 ここで止まってしまったら――いまの自分に残されたわずかな誇りすらも消滅してしまう気がする。


 暗黒をさらに濃縮したような黒い『なにか』を身体の末端から漏らしながら、夏穂は自らに起こりつつある分離を堪えながら体育館棟まで足を運んでいく。

 きっと、命は私に助けて欲しいと思っているはずだから――

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