第144話 人でなしと妖精と3

 里見夏穂と三神京子の関係性に言えることはそれほど多くない。


 生徒とカウンセラー、夏穂の現在の保護者である叔母の同級生、そして怪異の専門家と、怪異になってしまった娘――夏穂と京子の関係を表すものはそれくらいだ。


 夏穂は慇懃にカウンセリングルームに足を踏み入れ、いつものようにシステムデスクの前に腰かけてきた京子のもとへと向かっていく。


「……どうした」


 京子はいつものように不機嫌そうにしていた。夏穂は京子が椅子から立ち上がる前に、自分の手を彼女が座る机に思い切り叩きつける。


「どういう……ことですか?」


 夏穂は、人らしさを失ったはずの自分がどうしてここまで怒っているのかまったくわからなかったが、それでもそうせずにいられなかった。


「命が誰かにさらわれました……」

「なに?」


 京子は驚いたように眉根を寄せる。


「なに言ってるんですか? ここでなにかやってる奴に命がさらわれたんですよ。どうしてそんな反応してるんですか?」

「…………」


 夏穂の言葉に対し、京子は沈黙したままだ。それを見ていると、どんどんと苛ついてくる。そんなもの、とっくの昔に失っているはずなのに――またどこか壊れてしまったのだろうか。


 なにか言葉を言うたびに夏穂の狂騒は大きくなっていく。自分は――そんなにあの娘ことが大事だったのか、なんてことをどこかにいる冷静な自分が分析していた。


 しかし――怒りに突き動かされる自分を止めることはできなかった。


「いや……すまなかった。命を襲っている妖精の裏にいる何者かを調べようと思っていたのだが――まさかそんなことになっていたとは。

 いや、もしかしたら、私も命がさらった妖精になにか影響を受けていたかもしれん。話を聞いた限りでは相当な力を持っているようだからな」

「…………」


 今度は夏穂が沈黙した。

 そうだ。京子は専門家である以前に人間だ。人間であるのなら、あの小夢が及ぼす強い影響を完全に無効化するのは難しいだろう。


 専門家だからいって、完璧でも万能でもない。それを思い出して、いくぶんか夏穂は冷静さを取り戻した。


「……すみません。少し頭に血が昇ってしまったようです」

「いや、気にするな。命がここに来たときにわたしも状況を軽く見ずについていってやるべきだった。それならこんなことになっていなかったかもしれん。もう遅いが」


 京子の口調は自重しているようにも、恥じているようにも感じられた。


「というか、命ここに来たんですか?」

「ああ。お前がいなくなったと言ってな。お前のことだから心配するなとは言ったが、なにやら妖精に襲われているようだったから、妖精を払う護符を持たせてやったんだが――それでもいなくなったことを考えると――失敗したか、あるいは別の誰かの邪魔が入ったか、だが――」

「別の誰かって――」


 考えられるのは――


「ここ最近、お前のまわりでは怪異がらみの事件が起こっていただろう? そのあれこれに手を引いている奴だ。命がここに来たあと、そいつについて調べてみようと思ったんだが――どうにもうまくいかなくてな。なにか邪魔をされているらしい」

「邪魔……」


 京子が追えない、となると――最低でも彼女と同等レベルの専門家がこの学園のどこかにいるということになる。


 やはり――ここに、京子以外の『何者』かがかかわっているのは確かなようだ。

「命をさらったのは――私を狙っているからでしょうか?」

「だろうな。お前の中にいる怪異は非常に有用だ。特に怪異を扱う者にとってはいくらでも使い道がある。そうならないようにするために、小春が私のところに預けたんだが――どうやら先回りされていたらしいな」

「先回り?」


 夏穂はその言葉に首を傾げる。


「この学園で怪異が発生しやすいのは、ここの環境のせいだけではないことがわかった。どうやら誰かによって手を入れられた結果、必要以上に怪異が発生しやすい環境になっているようなんだ。それも少なくとも十年は時間をかけている。恐らく、わたしがここに赴任する以前からいたのだろうな。それでは私にも手の打ちようがない」


 確かにその通りだ。

 京子がここに赴任する以前から、この学園が、彼女より先んじていた誰かの手によって怪異が起きやすいように改造されていたのなら、対処は難しいだろう。


「命をさらった妖精も――そいつの差し金ですか?」

「恐らくな。だから、妖精を倒したら終わりだと思わない方がいい。そろそろ、裏で手を回すのはやめて、表に出てくるころだろう。そいつをどうにかするまでは気を抜くな」

「気を抜くな……京子さんからそんなことを言われるとは思いませんでした」

「……不満か?」

「いえ、そういうわけではなく。京子さん、だって私のこと嫌ってるじゃないですか」


 夏穂の言葉に京子は一瞬だけきょとんとした顔を見せ、すぐに気を取り直して――


「別に嫌っているわけではない。ただお前みたいに人であるのをやめているような奴が嫌いなんだ」


 と、ため息をつくように言った。


 人をやめているような奴が嫌い――それがなにを意味するのかまったくわからないけれど、確かに自分みたいなのが不愉快だと思うのはわりと自然なことだろう。


「なんだか事情はよく知りませんけど、とにかく行ってきます。もし帰ってこなかったら骨とか拾っておいてくれませんか?」

「なにを言っているお前に拾う骨などどこにもないだろう」

「……そうですね。それでは失礼します」


 夏穂は踵を返してカウンセリングルームを出た。


 妖精――西澤小夢。

 そして――この学園で起こっていた怪異事件に手を引いているという何者か――


 いまに見ていろ。

 私の大切なものに手を出したこと死ぬよりも後悔させてやる。

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