第139話 命の戦い6
必死になって歩いているうちに、寮のカウンセリングルームに辿り着いていた。
あのあと――あたりが光る粉に包まれてから、あの娘は接触してきていない。こちらがなにもできないとわかっているから手を出してこないのか、それとも――
カウンセリングルームの前でわたしはゆっくりと深呼吸をする。
わたしは――三神先生があまり得意ではない。
いつも鋭い目で不機嫌そうにしていて――単純に怖いからだ。
夏穂ちゃんは「別に怖い人じゃないから大丈夫よ」なんて言っているけれど、夏穂ちゃんの感覚はあまりアテにならない。わたしから見ても彼女の感覚はかなり外れていると思うくらいなのだ。もちろん、夏穂ちゃんのことは大好きだけど。
扉をノックしようとして、直前で手が止まった。
本当にノックして、大丈夫なのだろうか?
いつも夏穂ちゃんに言っているように、不機嫌そうな顔をしてなにか文句を言われたりしないだろうか? それを思うと、手が止まってしまう。
だけど――
このまま躊躇していれば、あと二人残っている追手に、寮にいることが気づかれてしまうかもしれない。そうなる前に――三神先生の助けを乞わなければ。
あたりを見回してみる。
大丈夫。いまはまだ誰もいない。恐らく、寮に逃げたことはまだ察知されていないはずだ。だが、時間はあまり残されていない。
三神先生は――授業をサボってこんなところにいるわたしになんと言うのだろうか?
三神先生と二人きりで話したのは転向してきたとき以来だ。それ以外ではいつも夏穂ちゃんが隣にいてくれたし、わたしのほうからなにか話すことはほとんどなかった。だから、ちゃんと話を聞いてくれるか心配だ。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
追われるときとはまた違った緊張感がわたしの中を支配する。
そのとき――
それほど遠くない距離から、足音が聞こえてきた。
やばい――もうこちらに逃げてきたことを察知されてしまったのだろうか?
焦ってどうしたらいいのかわからなくなったが、すぐに気を取り直して落ち着きを取り戻し、扉をノックして三神先生の返答を待つ。
すぐに扉の向こうから「入っていいぞ」という声が聞こえてくる。
その声を聞いて、わたしはほっと息をついてから扉を開けてカウンセリングルームの中に入った。
「どうした授業中に?」
と、ぎろりとした目つきで三神先生がこちらを見つめてくる。怒っているわけではないというのは理解していたけれど、反射的にびくっとしてしまった。なにか言わなきゃ――と思うけれど、こんな状況になってもわたしの喉は震えてくれなかった。
「どうした? 別に授業をサボろうが私の知ったことじゃないから遠慮しなくていい――と、思ったが、お前は喋れないのだったな」
やれやれ、と少し面倒くさそうに三神先生は机から立ち上がってこちらに近づいてきた。わたしよりも頭一つ分くらい身長が高いので、近くに来ると圧倒されてしまう。
どうしよう……と、思って――それからスマートフォンを取り出してメモ帳を起動し、素早く文字を打ち込んで、三神先生にそれを見せた。
「ちょっと借りていいか?」
三神先生はそうわたしに質問する。わたしが頷くと、わたしの手からスマートフォンをすっと抜き出した。その目つきとは裏腹に優しい手つきだったのでわたしは少しだけびっくりしてしまった。
「夏穂がいなくなった……か。お前の様子からして、あの馬鹿が勝手にどこかふらふらと行ったわけではなさそうだ。そうでなければお前が私のところに一人では来ないだろうしな」
三神先生は事情を察知したのか、扉に向かって歩いて、扉に鍵をかけたのち、わたしにスマートフォンを戻した。
意外にも素早くこちらの状況を理解してくれたのは嬉しかったけれど、展開が早すぎてなにから言ったらいいのかわからなくなってしまう。
わたしは深呼吸して、なにから言えばいいのか情報を整理していく。
そして――
一緒に歩いていたら、いきなり夏穂ちゃんが消えてしまったこと。
知らない女の子がそれをやったかもしれないということ。
その女の子が他の生徒を操って自分を追いかけてきていること。
その三つを話した。
あの女の子から無理矢理キスされたことは話したくなかったし、話す必要もないと思って話さなかった。
それを聞いた三神先生は――
「次から次へと――忙しいことだ」
と、吐き捨てるような口調で言う。
「まあいい。その娘は――顔も名前もわからないのだな?」
はい、とわたしは頷いた。
「となると、どこかから紛れ込んだ可能性が高いな。どこからだ。ここ最近、妙なことが起こり過ぎだ。偶然とは思えないが――」
三神先生は不機嫌そうな顔をしたまま、腕を組んで考え始める。一分ほど考えたのち、彼女の視線より遥か下にあるわたしに気づいて――
「……すまなかった。お前の問題の解決が先だったな」
と、少しだけ申し訳なさそうな声を出して謝罪した。まさか謝られるなんて思っていなかったので、わたしはどうしたらいいのかますますわからなくなってしまう。
「夏穂については心配しなくていい。いなくなったとしても、死にはしないさ。そもそもあいつはすでに死んでいるようなものだからな。ま、心配なのはわかるがね」
はい、とわたしは無言で頷いた。
「それで、お前が襲った奴だが、他の生徒を操る以外になにかしていなかったか?」
三神先生からそう問われて――
わたしは――さっき言わなかったことを話した。
集まった光の粉が人型になって、キスをされたことを。
「……そうか。嫌なことを話させてしまったな。それで、なにか身体に影響はないか?」
わたしは頷く。
誰かもわからない相手にいきなり唇を奪われて不快だったけれど、それ以上になにか身体に影響はない。
「やはり……お前の身体には干渉できんか。よしわかった。これを持っていけ」
そう言って三神先生は机からなにかを取り出してこちらに放り投げてきた。いきなり投げられたのは落としそうになったけれど、しっかりと手で受け止めた。
投げてきたのは――
みかんほどの大きさのボール、のようなものだった。
「お前らが襲われているのは妖精の類だ。それを使えば妖精を追っ払える。だが、一度しか使えないからタイミングはよく考えて使え。人を誑かして騙すのは妖精の得意技だからな」
妖精――あの娘は妖精だったのか。そんな風には見えなかったけど――でも、そう言われて納得できた。
「……どうした? まだなにかあるか?」
いえ、とわたしは心の中に呟いて首を横に振った。
本当は一緒についてきてほしかったけれど――それを言えるほど、わたしには度胸はなかった。
それに――
こんな状況になったら、わたしのことなんて構っていられないだろう。
なんていっても、三神先生は怪異の専門家なんだから。
わたしは扉の前でそっと一礼して――一度三神先生に視線を向けたのち、閉められていた鍵を開けて外へと歩き出した。
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