第140話 命の戦い7

 カウンセリングルームを出たわたしは、一度あたりを見回してから歩き出した。


 そして――

 歩きながら、先ほど渡されたボールのようなものに目を向けてみる。


 みかんほどの大きさの球――特になにかあるように見えないけれど――本当にこれであの娘を倒せるのだろうか? 少しだけ心配になる。


 いや――

 ここでわたしを騙す理由など三神先生にはないはずだ。だから、これが偽物であるとは思えない。


 やはり――

 三神先生に一緒に来てもらうべきだっただろうか?


 誰か一人いれば、それだけで安心できるし、三神先生ならたぶん、操られている娘と出くわしてもなんとかできる――はずだ。それを言うことができなかったのを少しだけ後悔する。


 寮を出て外に出る。もう冬になるというのに、夏ではないかと思うほど身体が緊張で熱くなっていた。


 できるだけ、校舎から影になる部分を選んで進んでいく。目指すは――体育館棟。あそこに――あの娘がいる。


 右手はポケットに入れた先ほどのボールを投げられるようにしておき、左手は追われるようになってからずっと持ったままのモップを振り回せるように体勢を整えておく。


 果たして――このまま体育館棟に行けるだろうか? 行けたのならいいけれど。


 だが――

 そううまくいかないのが現実だ。あの娘は――なにか邪魔をしてくるかもしれない。さっきみたいに。


 それを思い出すと、先ほどキスされたときの快感と不快感を思い出してしまい、気持ち悪くなった。


 すぐ近くに水道があったので、まわりに誰もいないのを確認したのちに蛇口をひねって自分の口を水で濯いだ。


 それでも不快感は消えてくれなかったけれど、幾分かマシになったのは事実。わたしは気を取り直してから歩みを始める。


 そのとき――


 わたしの正面から誰かがが歩いてくるのが見えた。わたしのことをすぐに認識して、駆け足でこちらに向かってくる。


 あれは――あのときわたしを追いかけてきたうちの一人だとわかって、はじめは逃げようと思ったけれど――


 逃げては、また夏穂ちゃんのことを助けられるのが遅くなってしまうと思い、勇気を振り絞って彼女に立ち向かうことにした。手に持ったモップを構える。


 大丈夫だ。相手は自分とたいして変わらない女子生徒だ。身体能力にはそれほど差はないはずだ。病院で襲ってきた死体に比べればたいした相手ではない。恐れるな。ヒカリはいなくなって、わたしにはそれくらいできるはずだ――


「――――」


 言葉にならない呻き声をあげながら名前の知らない女子生徒は突進をしてくる。その動きは獣じみていた。

 わたしは手に持っていたモップを構えて、その娘に向かって突きを繰り出した。


 しかし――


 彼女はそれをさらりと避け、わたしに向かって手を伸ばしてくる。わたしはとっさにモップを持ち替えて防御するが、相手はこちらに一切躊躇していないせいか、見た目以上に力が強かった。だんだんとわたしは彼女に後ろに追い詰められていく。


 授業が終わるまでまだ時間があるから、誰かがたまたま通りかかるなんて幸運には見舞われないだろう。彼女は――わたし一人でなんとか撃退しなければならない。


「――――」


 人間の言葉とは思えない呻き声を上げながら、女の子はモップで必死に防御するわたしに向かって力をさらに強めていく。


 この――と思って、わたしが繰り出したのは前蹴りだった。思い切り前に向かって力をかけていた女の子の鳩尾にわたしの蹴りが当たり、彼女はそのまま後ろに二歩ほど後ずさる。


 なんとか振り払ったものの、蹴りを出した反動でわたしはそのまま尻もちをついてしまった。すぐに立たなきゃ――と思ったときにはもう遅かった。鳩尾を思い切り蹴られたはずの女の子はすでに立ち上がろうとしていたわたしにのしかかっていた。両手をわたしに向かって突き出してくる。


 彼女の両手はわたしの首にかけられて、そのまま力づくで首を絞めつけられる。女の子の腕をつかんで必死に引きはがそうとするものの、わたしに腕の力ではびくともしなかった。首を絞められたわたしは、どんどんと意識が遠くなっていく。


 この娘は――わたしを殺そうとしているのだろうか? 操られている女の子の目は虚ろで、意思のようなものはなに一つとして見えない。蹴りを繰り出そうとしても、彼女の足でわたしの足を押さえられてしまって繰り出せなかった。


 さらに首にかけられる力は強まっていく。

 殺される――そう思ったときに――


「――――」


 どこかでよく知っている声が聞こえた気がして――

 わたしは半ばやぶれかぶれになって、自分の頭を思い切り相手に向かって突き出した。


 頭と頭がぶつかり、思い切り脳が揺さぶられる感覚と鈍い痛みが広がる。思い切り頭をぶつけられた彼女は、そのときの衝撃でわたしの首から手を離して、そのまま後ろに倒れ込んだ。


 じんじんと広がる頭の痛みを堪えながら、わたしはふらつきながらも立ち上がり、頭突きをかました女の子の状態を一応確かめてみた。


 大丈夫。生きている。


 これで二人――だけど、一度倒しただけでは洗脳が解けないのなら、さっき倒した一人はもう回復しているかもしれない。


 後ろを確かめてみる。

 誰もいない。

 早くここから離れて、体育館棟に向かおう。


 そこで――わたしは自分のポケットを確かめてみる。ポケットには、先ほど渡されたボールが入っていた。落としていないことを確かめたのち、わたしは少しだけ安心する。


 落としたモップが目に入った。

 どうする――持っていこうか?

 いや――

 両手が自由になる方がいいかもしれない。


 それに――

 相手は人ならざる存在なのだから、たかが木のモップを振り回したところでなんとかできる相手ではないだろう。


 モップは――必要ない。

 勝手に持ち出したものを放置するのはよくないと思ったけれど、戻している時間も余裕もないので、そのまま放置しておくことにした。


 よし――

 痛みに堪えつつ、ふらつく足をなんとか奮い立たせて、わたしは体育館棟に向かって歩き出した。

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