第137話 命の戦い4
どうする――わたしは狂騒に襲われていた。
わたしはいま『なにか』に狙われている。先ほど、テレパシーみたいに話しかけてきたやつに。
どうして自分が狙われているのかはわからない。けれど――とにかくそういうことらしい。
息を整えたわたしはすぐさま速足で歩き出した。ずっとこの場所にいたら、あの女の子に操られた生徒たちがすぐにやってくる。一ヶ所に留まっているわけにはいかない。なんとかして動き続けて、撃退しなければ――
ふとそこで、わたしはこの感覚をどこかで体感していたことを思い出した。
なんとも言えない高揚感と恐怖が入り交じった不思議な感覚だ。
そうだ――わたしはこの感覚を知っている。
もう一年くらい前になるけれど――ヒカリと出会った病院でこのような出来事をすでに経験している。
ただ、唯一違うのは――サポートしてくれるヒカリがいないということ。ヒカリの力を借りることも、ヒカリに任せることもできない。自分の力だけで――病院でやったような立ち回りをしなければならない。
それを思うと――自分にできるか、と不安になった。
だが――
いなくなった夏穂ちゃんを見つけるためにも――夏穂ちゃんに心配をかけないためにも――わたし一人でできなければならない。これは、わたしの戦いだ。
わたしは心を奮い立たせ、廊下の角から首を出して先を覗いた。その先には――誰の姿もない。
そのとき――
授業が始まるチャイムが鳴った。そういえば、そろそろ昼休みが終わる時間だったことを思い出す。
とは言っても、この状況で教室に戻るわけにはいかない。あの娘はわたしのことを明確に狙っていたのだから、どこのクラスに所属しているのかくらいは把握しているだろう。それなら――
すでに教室には――伏兵がいるかもしれない。
あの娘に操られている者は先ほどやってきた三人だけとは限らない。わたしが所属しているクラスに戻ることを考えているだろう。そのくらい頭は回るはずだ。
それに――
いまの状況でクラスに戻ったら、なにも関係ない娘たちが巻き込まれることになる。
夏穂ちゃんなら――そんなの知ったことじゃないって思うかもしれないけれど――わたしは、夏穂ちゃんのそういうところはあまり好きではなかった。わたしと共有できるものがあっても、相容れない部分はある。
それに――
きらちゃんが巻き込まれることになったら、わたしは耐えられない。
あの娘は――夏穂ちゃん以外で、ここではじめてできた友達だ。こんなわたしでも――ちゃんと付き合ってくれている。『悪魔』の件で巻き込まれてしまった彼女を――また巻き込んでしまうわけにはいかない。
授業が始まった廊下は静寂に包まれていた。この状況なら――自分を追っているのが誰なのかすぐにわかる。
どうする――と、再びそう思う。
少なくともいまの段階では敵は三人。あの娘たちはどのような行動をしてくるだろう? 歩いて、身を隠しながらそれを考えてみよう。
恐らく――操られている娘たちには特殊な力はないはずだ。もしかしたら、操作によって馬鹿力を発揮するかもしれないが――それは人間の範疇を超えるものではないだろう。うまく立ち回れば、対応できる――と思う。
ならば――
一対一の状況で、不意をつけば、彼女たちを倒すことはできるだろう。
しかし――
相手は、操られているだけの人間であることを忘れてはならない。
人間は案外簡単に死んでしまう。なにも悪いことをしていない――被害者である彼女たちを自己防衛のためといっても殺すわけにはいかない。わたしが非力だからといって殺せないとは限らないのだ。
そもそも――
操っている大本をなんとかできなければ、倒しても意味がない。それに恐らく、操れるのは三人まで、なんて制限はないはずだ。時間が経てばもっと増えると踏んでおいたほうがいい。
ど、ど、ど、と――緊張と昂揚と恐怖のせいで心臓の鼓動が加速する。
だが――
その感覚に懐かしさを覚えている自分がいた。
やっぱり、いまでもわたしは死に惹かれているのかもしれない。そうでなければ、自分が狙われている状況で気分が高揚するはずがない、と思う。
なにか――ないだろうか?
わたしはあたりを見回した。
近くには消火器があったが――こんな重たいものは持ち歩けないし、こんな重いもので殴ったら死んでしまうかもしれない。とりあえず却下。
そうだ――
と、そこでわたしは思い出した。
自分があの娘たちを倒す必要はない。わたしは三神先生のところに行くつもりだったのだ。怪異の専門家である三神先生なら――操られている娘たちも、操っているあの娘もなんとかできるのではないか?
それだったら――
三神先生がいる、カウンセリングルームまで逃げればいい。
それで、事情を説明して――協力してもらおう。
わたしはいまいる場所から寮までの構造を頭に思い出してみる。
距離はそれほど遠くない。遠くないが、誰かに追われているいまの状況では最短距離で行くのは恐らく無理だろう。
敵は恐らく――分かれてこちらを追ってきているはずだ。分かれて誘い込んで、包囲する。そうなったらおしまいだ。どうやればそれが避けられるだろうか?
正直なところ、避けられるかどうかはわからない。
だけど――避けられなければわたしは捕まるしかなくなる。それなら、避けるしかないのだ。
ふとそこで掃除用具箱が目に入った。その中には――古びたモップや箒などが押し込まれていた。その中にあったモップを一本取り出して進んでいく。
全員を倒す必要はない。
しかし――こちらが少しでも有利な状況にするためには最低一人は倒さないといけないだろう。
どうやって倒す?
病院のときと違って、操られているのは死体ではなく生きた人間だ。あのときのようなことをやったら死んでしまうかもしれない。わたしはぎゅっとモップを握りしめた。
ヒカリなら――この状況でどうするだろうか? それを少しだけ考えてみた。
ヒカリと一緒だったのはわずかな時間だ。それでも、ヒカリがいたときの日々はまったく薄れていない。いまでも、はっきりと強く思い出せる。ヒカリがいたときのことは――それくらいわたしの記憶に焼きついていた。
ヒカリなら――
相手が生きている人間なら、殺さないだろう。
だが――自分を狙う者に対して容赦はしないはずだ。ヒカリはとても。勇敢で心優しかったから。
この瞬間に――ヒカリがいてくれたらどれほどよかっただろう。
でも――それは叶わない。
ヒカリは――遠くに行ってしまったし、わたしを守ったせいで、誰かを守るために使っていた力を失ってしまったのだから。
それに――都合のいいことは都合よく起こらない。現実の世界はそういうふうにできている。
すると――
正面から足音が聞こえて、わたしはさっと曲がり角に隠れた。正面から――なにか身体から狂気をにじませた女子生徒があたりを見渡しながらこちらに向かっていた。先ほど、わたしを追いかけてきたうちの一人だ。ここからでも顔が見えるから、間違えるはずもない。
敵はすぐそこにいる。
しかし、こちらから出ていくわけにはいかない。倒すつもりなら、なんとかして不意をつかなければ――
ど、ど、ど、と――心臓が破裂してしまうのではないかと思うほど鼓動が加速する。
ヒカリ――わたしに力を貸して。
曲がり角の奥から、わたしはそんなことを願っていた。
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