第132話 妖精の愛16

『魔女』の奴をどうやって殺してやろう? いまの薫子の思考をすべて支配しているのはその殺意だけであった。


 なんていってもこれは小夢の願いである。自分を救ってくれたあの可愛い小夢の頼みを断るなんてできるはずもない。彼女が望むのであれば、薫子はどんなことだってできる。そうすれば、あの娘は自分を気持ちよくしてくれるから……。


 それに――

 もう自分の両手は血で染まっている。そのとき付着した返り血はすべて洗い流したはずなのに、自分の両手は赤く見えた。


 絶対に罪に問われることがないとはいえ、薫子がつばさを殺してしまったのは事実だ。それはどうしようもない。


 だからといって、それがなんだというのだろう?


 人なんて世界中のどこでだってたくさん死んでいるじゃないか。そのうちの一人殺したところでなんだというのか。薫子が一人殺したところで世界はなにも変わらない。いつも通り何事もなく世界は回っている……。


 ならば――

 もう一人殺したって同じじゃないか。


 それに――殺すのはあの不気味なことこのうえない『魔女』である。あんな化物、殺してしまったほうがためになるはずだ。だって、人間に害を為す化物なんだもの。人間はいつの時代だって化物を殺してきた。それならば、この空間ではなくとも罪に問われることなんてない――


「ふふふ」


 薫子の笑みには底知れない狂気が滲んでいた。

 自分がおかしくなっている――その自覚はあったけれど、自分の中に渦巻く狂気は冷静になることを許さない。もっと狂え、もっと狂え、と薫子のことを煽りたてる。


 そして――


 この狂気に支配されたいまの薫子でさえ、小夢は受け入れてくれるだろう。彼女は自分のことを全肯定してくれる。そうでなければ――『魔女』を殺してくれ、なんて頼まないはずだ。


「ひひひ」


 薫子は校舎を回って何本か刃物を調達してきた。大きなのこぎりと包丁を三本ほど。これでできるだけ残酷に『魔女』を殺してやるつもりだ。


 つばさは殴り殺したので、今度は刺したり斬ったりしてやるつもりだった。そちらのほうが無残な姿にさせられると思っての判断である。きっと、残酷な方法で殺すほど、小夢は喜んでくれるに違いない。そんな確信があった。


 そして、そのあとに待ち受けているのは――


 小夢によって与えられる甘い褒め言葉と淫靡な快楽――それを思うだけで腹の底が熱くなってくる。はしたない、と思うけれど、その湧き上がる情欲は留まることなく巨大化していく。


「くけけ」


 いまの自分を見たら友人はなんと思うだろう? きっと、どこかおかしくなったと思うに違いない。


 だが――


 小夢以外にどう思われたところで、いまの薫子はなんとも思わない。いま薫子の中心にあるものは小夢だけである。小夢さえいれば、薫子は満ち足りていられるだろう。他の存在など木っ端に過ぎない。道端に落ちている木っ端が気になって仕方ないなんて人間がいないのと同じように。はっきりいって、どうでもいい存在だ。


 あの『魔女』を殺したら、小夢はどんな言葉を投げかけてくれるのだろうか? それを思うだけで身体中が熱病に罹ったかのように熱くなる。


 自分はいま小夢に必要とされている――その事実ほど尊いものはない。彼女に必要とされているのなら、自分の死すら躊躇なく選べる。小夢は、この世界においてどんなものよりも尊ぶべき存在なのだ。


 狂気に満ちた笑い声をあげたまま、薫子は『魔女』が寝ている教室にまで辿り着いた。薫子は一切躊躇することなく扉を開けて中に入る。『魔女』は自分がこれから殺されることなんて夢にも思っていないのが明らかな状態で眠りについているようだった。


 薫子はそのまま『魔女』に馬乗りになり、持ってきた包丁の一本を取り出して、彼女の胸に向かって振り下ろした。


 ぐずぐずのスライムを刺したような感触が両手に広がった。『魔女』なんて言われるだけあって、刺した感触も気色悪い。


 刺した包丁を、カエルを切り開くかのように下へ向かって力づくで引いていく。汚い音立てて、やけに冷たい返り血が自分の身体に降りかかっていくが、まったく気にならない。


 生きたまま切り開いてやったのに、『魔女』は悲鳴の一つすらあげなかった。生きたまま身体を切り開いてやったらどんな風に泣いてくれるか楽しみにしていたのに、少し残念である。


 家庭科室からかっぱらってきた包丁はたいして切れ味はよくないはずなのに、『魔女』の身体は簡単に斬れた。やっぱりこいつ、人間じゃないのかもしれない。


 下腹部のあたりまで切り裂くと、そのまま強引に手を突っ込んで傷口を思い切り開いた。中に広がっているのはグロテスクな色と形の臓物の数々。どうやら、魔女にも内臓はあるらしい。


 開かれた身体の内部に手を突っ込んで一つ一つ確かめながら臓物を引き出していく。引き出した臓物には特に興味がないのでそこらに投げ捨てた。臓物の、べたべたした柔らかい感触はなかなか癖になりそうだ。


 気がつくと、『魔女』の臓物をすべて引き出してしまっていた。


 なんだ、中身を全部出せば『なにか』見つかるかと思ったのに、なんにも変わらないじゃないか。


 でもいいや。ちゃんと殺したんだし。これで小夢も喜んでくれるだろう。こんな血まみれで血なまぐさいと小夢に嫌がられてしまうかもしれない。シャワーを浴びて返り血と臓物の欠片を洗い流してこよう。そう思って立ち上がったその瞬間――


「え?」


 中身をすべて引きずり出された魔女の身体は消え、その代わりあたりを支配しているのはこの世のものとは思えない暗黒。この明かりの絶えた異界ですら見たことがなかったほどそれは暗い。

 それが――


「ぁ……」


 あたりを支配した暗黒は自分の身体の中に侵入してきて――

 薫子はなすすべなくあたりを支配する暗黒に蹂躙されていった。

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