第133話 妖精の愛17

 里見夏穂が意識を取り戻すと、すぐ横であられもない姿になって薫子が倒れているのが目に入った。


「利用された挙げ句の結末がこれとはなかなか悲惨ね」


 薫子はなにか言葉にならないうわ言をただひたすら呟いている。傍からみるとその姿は悲惨極まりないが、彼女の呟いている言葉は幸せそうだった。なにかいい夢でも見ているのかもしれない。


 しかし、夏穂はそんな状況になっている薫子など気にも留めず、このおかしな事態を終わらせるために歩き出した。


「一つ訊きたいのだけど?」


 夏穂は自分の裡にいるオーエンに質問をする。


『なんだ?』

「私、あいつになにされたの?」

『胸のあたりから開きにされて、内臓全部引きずり出されてたぞ』

「……随分と目茶苦茶なことをやられたわね」


 だが、夏穂は自分がされたことをまったく気に留めていなかった。彼女にとって自分が殺されることなど日常茶飯事である。こんなことを気にしていては、人から踏み外したまま生きてなどいけない。


「あの娘、どうなるのかしら?」

『さあな。戻っても戻らなくても俺たちには関係ないだろ。それとも気になるのか?』

「いいや全然。ただ訊いてみただけ」


 ここからどうやったら戻れるのか夏穂にはわからないが、死んだら戻れる、というのは充分あり得るだろう。無事に戻れるかどうかは不明だが。


 夏穂は人の絶えた異界の校舎を進んでいく。

 行く場所はもうすでに決まっている。

 いくつか教室の扉を開けてみて、三つ目でその場所に行き当たった。


「戻ってきたのね……って、あら」


 小夢はわざとらしく驚いた顔をして夏穂に視線を向けていた。彼女からは、敵意のようなものは見られなかった。


「てっきりもう分離してる頃合いだと思ったけれど――どうやらわたしの予想は外れたみたいね」

「おかげさまで」


 夏穂は、自分がこの空間に足を踏み入れて間もない頃から、ここは自分とオーエンを分離するための空間であることはわかっていた。


 だから――というわけではないが、なにをされているかわかっていたおかげで、小夢の目論見通りにはならずに耐えきれたというわけである。


「それにしても――随分と悪辣ねあなた。なにも知らない人間を唆して、私のことを殺させようなんて」

「褒めてくれるの? 嬉しいわ。でも、あの娘たちだってわたしのことを求めていたのよ。それならわたしから求めたっていいと思わない?」

「この校舎を、人を消耗させるような作りにしておいてよく言う」


 ここにある校舎は――一見、まったく学園のものと同じに見えるが、実は細部が異なっている。


 ところどころに意識できないくらい小さな異常が隠れており、無意識的に人間を消耗させる作りになっているのだ。小夢に唆されて、凶行に及んでしまう程度にはこの場所は狂っている。


「それに――あなた、あの二人になにをしたのかしら? 魅了の魔法?」

「そのようなものね。だって私は妖精だもの。人間を魅了するなんて簡単よ。あの娘たちみたいになにかトラウマがあるともっと簡単になるわ」


 小夢の身体から、光輝く鱗粉のようなものが流れ出していた。


「じゃ、あんたをどうにかすれば、私はここから出れるのかしら? ここから出るには妖精を殺せばいいんでしょう?」


 夏穂は暗闇に閉ざされた異界を見渡しながら言う。


「さあ、どうかしら」

「そもそも――あんたは誰の差し金で動いているわけ?」

「それをあなたに言う必要って、わたしにはないわよね」

「……そうね」


 夏穂は自分の身体から暗黒をにじませる。怪異を食らう正体不明の暗闇。暗闇は微妙に歪んだ床を這いながら小夢に向かって進んでいく。


 しかし――

 小夢は逃げようとしない。


「逃げないの?」

「だって、あなたが抱えてるそれの性質を考えたら、この状況じゃわたし詰んでるじゃない。それとも、逃がしてくれるの?」

「いいや」

「でしょう。わたしはここで終わり。好きにしてちょうだい」

「…………」


 この娘は誰の差し金で動いていたのだろうか。それが少し引っかかる。妖精を自称する娘も――命が転校してきてから頻発している怪異事件になにか関係していることは間違いないはずだが――


 この様子からして、口を割らせるのは不可能だろう。

 それなら――さっさと排除してしまったほうがいい。


 夏穂の身体からにじみ出した暗黒は音もなく小夢のことを貫いた。暗黒に貫かれた小夢は真っ黒な反吐を吐いたのちくずおれ、そのまま動かなくなった。


 さて――これでどうなるだろう、そう思っていると――


 いつの間にか、明かりのある校舎へと夏穂は戻っていた。どういうわけかもとの場所はやけに喧騒に包まれていた。なにか学園内であったのだろうか? 気になったものの、そんなことを訊ける相手は夏穂にいるはずもなく、「まあいいか」と呟いて歩き出す。


 ポケットに入っていたスマホを取り出した。


 時刻は――夏穂があの異界に入ったと思われる時間から二時間ほどしか経過していなかった。命はどうしているだろう? いきなり別れてしまったから、心配しているかもしれない。


 のんびりと校舎を進んで、寮へと向かっていく。


 異界と違って、こちらは寒かった。外に出るとその寒さはさらに増した。もうそろそろ十二月になるのだから当然なのだけれど。

 寮へと辿り着いた夏穂は、真っ直ぐ自分の部屋に向かう。


「あれ?」


 部屋のどこにも――命の姿は見られなかった。

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