第115話 災厄を呼ぶ悪性16

 もう自分にはどうにもできないのだろうか? 丈司を襲っていたのは表現しきれないほど大きくて強い挫折感と絶望だった。


 いくら考えても、どのように考えても――つかさが救われる方法は思いつかない。昨日、彼女の家を離れたあともそればかり考えていた。


 死ぬか、自分も含めた多くの人が無意味に死ぬか――どちらか片方しか選べないと思うと、どこまでも無力な自分に苛つくばかりだ。本当に、どうすればいいのだろう?


 いや――どうしたいのかなんて決まっている。

 つかさを救うのだ。


 あのような重荷を背負わせた彼女を――救ってやりたい。なにも悪いことをしていない彼女が――他人の悪意に襲われていただけの彼女が救われないなんて許されることではないのは当たり前のことではないか。どうして、彼女のまわりにいる奴らはつかさが犠牲になって当然と考えているのだろう? あり得ない。あっていいことでもない。


 しかし――

 自分にできるのは――この手で彼女を殺してやることだけだ。なにか起こってしまう前に――なにか起こって、彼女が耐えられなくなってしまう前に、その命を――


 そこまで考えて、丈司は首を振った。

 ――駄目だ。


 どうして当たり前のことみたいにそんなことを考えている? そんなこと、間違っているに決まっているじゃないか。


 かちかちかちと誰もいない部室に響くのは無機質な時計の音。規則的に鳴らすその音が無性に癇に障る。近くにあるものをなにもかも壊してしまいたい衝動に襲われた。


 どうしたらいい?

 つかさはなにも悪くないのに――どうして、あんな目に遭わなければいけないのだろう?


 つかさの幼さの残る笑顔が浮かんだ。少し前には、当たり前に見られた笑顔――昨日見た彼女からはそれは完全に失われていた。昨日見たつかさにあったのは、なにもかも諦めてしまった者の目――あの目を思い出すと、死んでしまいたくなるほど苦しい。


 こんなこと、絶対に間違っている。

 間違ったことを正当化していい理由などどこにもないはずだ。


 ――許さない。


 つかさにあんな運命を背負わせた者たちに報いを受けさせてやる。彼女を救えないのならせめて、その復讐だけでも遂げなければ、自分で自分を許せない。


「一日見ない間にすごい顔になったな」


 いつの間にか部室の扉が開かれていて、そこには東郷の姿があった。昨日と同じく、ラフな格好だ。丈司は望んでいない来訪者に視線を向けた。東郷は――昨日そこにあった軽薄な笑みはまるでない。冷徹な――殺し屋のように思えた。


「きみがそう思う気持ちも理解できる。結城家の者たちが結城つかさにやった所業を考えれば、きみが抱く憎悪は正常なものだ。俺だって、彼らがやったことを鬼畜の所業だと思うさ。はっきり言って反吐が出る」


 東郷は不快感を隠そうともせず、吐き捨てるように言う。

 その言葉を聞いて、東郷はたった半日でこの街でなにが起こっているのかを把握したということを理解した。


「だが、結城家に復讐するのはやめておけ。俺も曲りなりに専門家をやっているから、奴らがどれほどのものかを知っている。奴らは強大だ。きみ一人でどうにかできる相手じゃない」


 そんなことはわかっている。

 だけど――怒りで言葉がまるで出てこない。


「正直なところ、結城家が関わっているのなら俺だって足を突っ込みたくはなかったさ。なにしろ相手は千年続く魔術師の家系だ。怪物に等しい。はっきり言って、俺なんかじゃ到底敵わない」


 飄々と東郷は言う。その口調とは裏腹にこちらに対して向ける目はとても冷たい。


「まあ、しかし――今回の件は向こうも織り込み済みだったようだ。俺がこの件に手を出してもお咎めなしってのはありがたい。心置きなく俺は問題の解決を図れる」


 東郷がなにを言っているのか――丈司には理解できなかった。


「どうしてそんな顔をしている? これでも俺は専門家だ。相手が千年続く化物であっても、交渉くらいはできる。なにが起こるかわかっていただけあって、東京に連絡役を寄越してたしな」


 藤井のことだ、と丈司は思った。


「東郷さんは――なんとも思わないんですか?」

「なんとも、とは?」

「あなたがやろうとしていることはつかさを殺すってことでしょう! なにも悪いことをしていない彼女を殺すことをなんとも思わないんですか?」


 丈司はそう叫んだ思い切り机に拳を振り下ろした。

 しかし、東郷はまるで動じない。ただ冷静に、入口に佇んだままだ。


「思わない、と言えば嘘になる」

「だったら!」

「だからといって、俺の後輩や無関係な人が巻き込まれるのをよしと言えるほど俺は大人でも子供でもないんだ。俺がやるのは問題解決のために取れる最善を尽くすだけだよ。それがプロってもんだ。


「それに――俺だってよく知っている後輩があんな風になっちまってるんだ。それをなんとかしたいって思うのが心情ってもんだろ? もうこの事態は、結城つかさを殺さなければどうにもできない。藤井とかいう、こっちに来てる結城家のメッセンジャーからそう聞いたよ」

「…………」


 丈司はなにも言い返せない。

 東郷が言っていることが――客観的に考えれば正しいと理解できてしまったから。


「俺を許せとは言わない。俺を正しいと思えとも言わない。間違っているのは、まだ二十歳かそこらの女の子にあんな運命を背負わせた結城家の鬼畜どもだ。きみが抱いたその感情は間違いなく正しい。


「だが――正しいだけでは現実ではなにもできやしないんだ。結局ね、この現実っていうのは力あるものが正義なんだ。きみも俺も、結城家に踊らされているだけなのは理解しているさ。俺に――きみも彼女も救うだけの力が俺にあればよかったんだが――現実はそうじゃなかった。ただそれだけの話さ」


 悲しくて――残酷な現実だがね、と東郷は付け足した。

 東郷は相変わらず冷徹な口調だったが、そこにはなんとも言えない怒りのようなものがにじみ出ているように思えた。


「俺の心証になるが、藤井から聞いた話ではもう猶予はなさそうだ。事後工作ができ次第――今日の夜にでも結城つかさのところに行って、この事態を止めてくる。きみがどうするかは自由だ。止めはしない。だが、邪魔をするのならこちらも、はいそうですかと大人しくしているわけにはいかないがね」


 殺す――と言わなかったのは東郷なりに慈悲だったのかもしれない。

 だけど――そんな慈悲などあってもなくても同じだ。

 言葉を使わなかっただけで――現実が変わるわけではないのだから。


「じゃあな」


 東郷は、一度丈司に視線を向けたのちに短くそう言って、ドアから離れていった。


 結局、丈司は最後の最後までなにもできなかった。

 東郷からとどめの刃を突き刺された丈司は――誰の姿もない部室でただ呆然としているしかできなかった。


 たぶん――自分はどこまでも敗北者だったんだろう。そういう星のもとに生まれていた。


 そうでなかったのなら――よかったのに。

 宮本丈司は――それ以外なにも考えられなくなった。

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