第114話 災厄を呼ぶ悪性15

 つかさの住むマンションの前まで来たところで、丈司はどうするべきか逡巡した。


 自分は本当に彼女と会うべきなのかと。

 会ってもいいのかと。

 躊躇する。


 しかし――

 藤井の話が本当であるのなら、このまま放置しておけば街はアメリカで起こった消失事件のようなことが起こってしまう。


 なんとかしないと――

 だけど――つかさを殺すわけには、いかない。


 どうすればばいい?

 どうすればつかさも街の人たちも救えるのか?

 本当になにもないのだろうか?


 これだけ人も手段も道具もあって――自分にできる手段がこれしかないのなんておかしいではないか。


 なにか、なにかできる手段があるはずだ。


 つかさと会って――話ができれば、それがわかるかもしれない。わからなくても、なにかきっかけだけでもつかめれば――


 丈司はもう一度逡巡し、つかさのマンションへ足を踏み入れた。


 エレベーターを使ってつかさが住んでいる階へと向かう。今日ばかりはエレベーターがかなり遅いように思えた。


 エレベーターが到着し、つかさの部屋の前へ。丈司の心臓はばくばくと大きく鼓動を打つ。彼女の家に行くことなんてもう何度もやっていることのはずなのに――緊張して仕方なかった。これも――自分が見えている世界が変わってしまったせいなのだろうか?


 よくわからないけれど――

 たぶん、そうなのだろう。


 丈司はインターフォンを押した。押してから、自分の胸が万力で押し潰されるような圧迫感が感じられる。これでもうあとに退くことはできなくなった。その事実に、押し負けてしまいそうになるが、丈司はなんとか自分を保つ。


 つかさを救うために。

 救いのない彼女に救いの手を差し伸べるために。

 僕は――ここまでやってきたんだ。


 なんのために、部長の異変を聞きつけてやってきた東郷につかさの話を黙っていたのかを思い出せ。


 つかさを救いたいからだろう。それを忘れるな。


 そして扉が開かれる。扉の向こうからつかさの姿が見えた。彼女の姿は少し前に見たとき様変わりしてしまった。やつれて、目には隈がべっとりと貼りつき、身体もどこか動かしづらそうにしている。明らかに不健康であるとわかってしまう。可愛くて健康そうにしていた彼女しか見たことのない丈司にとってその姿は衝撃的だった。


「丈司……くん」


 つかさは丈司の顔を見て、自分が彼女の秘密を知っていること察したらしい。

 丈司は――なにも言えない。


 なにも言えなかった。

 だって――どう考えてもつかさは加害者だとは思えなかったからだ。

 彼女は被害者だ。


 なんの理由もなく、自分が望んだわけでもなく悪性をばらまく存在にさせられた――被害者に他ならない。

 そうじゃなかったのなら――つかさはこんな顔しなかっただろう。


「つかさ」


 しばらく無言の時間が続いたあと、丈司は重々しく言った。しっかりと、言わなければならない。


「丈司くん、その……わたしのこと、藤井に聞いたんでしょう?」

「ああ。聞いた。きみがこの街で起こっていることの原因だって話も、きみが死ななければこの事態は止まらないとも」

「それなら――私を殺すの?」

「そうじゃない。僕はきみを殺したりなんかしない。殺すものか。きみは僕にとって大切な人だ。被害者でしかないきみが救われないなんてあっていいはずがない。僕が助けてやる。このままだと、きみは――」


 恐らく、東郷はすぐにつかさのことを知るだろう。本物の専門家であるのなら――この街で起こっている怪現象の原因がつかさであることをすぐに見抜くはずだ。


 そうなったら間違いなく――

 東郷は、つかさを殺すだろう。

 つかさが死ぬところなんて見るのはごめんだ。


「逃げよう」

「え?」

「ここから逃げれば、もうあんな事態は起こらなくなるだろ。誰も知らない場所まで――一緒に」


 丈司の言葉を聞いて、つかさはさらに顔を曇らせる。そこにあるのは想像を絶するほどの絶望。彼女は――すべてを諦めている。丈司にはそれがはっきりとわかってしまった。


「駄目だよ、丈司くん」


 つかさの声は鉛のように重くくすんでいる。もう自分は救われないことを確信しているみたいだった。


「わたしはどこに逃げても、ここと同じようにしてしまう。わたしが離れたところで――わたしが振りまいた悪性は消えることはない。そういう風にできているの。それが起こる前に逃げ続けたとしても――すぐにわたしが行ける場所なんてなくなってしまう。

 わたしはね、自分の家が嫌で出て行った日から救われないのは決まっていたの。その日が――みんなと楽しく過ごしているときに来てしまっただけ。それに、わたしが振りまいた悪性はわたしが死ねば治まる。だから、わたしを――」


 殺して――と言ったつかさの声はとても悲しそうに聞こえた。


「そんな……」


 丈司は怒りに震えていた。あまりにも怒りすぎて、自分がどうなっているのかもよくわからなくなっているほどだった。


「そんなこと……あっていいはずがない! きみはなにも悪いことなんてしていないのに、どうしてそんな目に遭わなければならないんだ!

 間違っているのは、きみにそんな重荷を背負わせたきみの実家の人間だろう! きみが死ぬことなんてない……! そんな考えは――間違っている」

「そうわたしを思ってくれるのは嬉しい。だけど、わたしはただ悪性をばらまくことしかできない存在なの。

 怪現象の極地『選別現象』を呼び込むために作られた存在でしかないわたしには――普通の生活なんて望むべきじゃなかった。なにもかも甘かった。わたしにできることなんて――ない」

「……殺す」


 自分の奥底からにじみ出してくるのは想像を絶するほどの怒り。つかさをこんな風にしかできない存在にしてしまった者たちへの怒りで、丈司の身体は溶けてしまいそうになっていた。


「きみをそうしたやつを全員殺してやる。なにも悪くないつかさにこんなことをさせた報いを受けさせ、死ぬよりも後悔させてやる」


 身体が燃えるほど熱い。でろでろと溶けてしまいそうだ。


「駄目!」


 つかさの体温と身体の柔らかさが感じられて、丈司ははっと我に返った。


「駄目。そんなことしたら、丈司くんも酷い目に遭わされちゃうよ。そんなの駄目。丈司くんは、せっかく自分の好きなように生きられるんだから。そんなことしちゃ駄目。お願い、だから……」


 つかさは丈司の身体にすがりついたまますすり泣いていた。すすり泣く彼女を見ていると、また怒りがこみ上げてくる。


「じゃあ、きみはどうやったら救われるんだ?」


 丈司は問う。縋るように、つかさに問うた。


「わたしは救われない。そういうものなの。わたしを殺せば、丈司くんはまた元通りに生きられる。だから、わたしのことなんて忘れて欲しい」


 そう言った彼女の言葉はとても悲しそうだ。


「できることなら――丈司くんの手でわたしのことを殺してほしい。それだと、救われないわたしも少しは救われた気分になれるから」


 つかさは背一杯の笑みを見せてそう言った。その笑みは――とても痛ましい。見ていられなかった。


 丈司は、絶望に包まれたまま、つかさのアパートをあとにした。

 もうなにもかも救われないことは明らかなのに――まだなにかできることがあるのではないかと考えていた。


 救われない彼女に救いの手を――宮本丈司は生まれてはじめて神に対して祈った。

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