第110話 災厄を呼ぶ悪性11

 藤井を案内したのは、大学から歩いて五分ほどの場所にある喫茶店だった。昼になると混み始めるが、この時間帯だとほとんど客はいない。


 はじめは部室にしようかと思ったが、もしかしたら小春や京子がやってくるかもしれないのでやめておいた。恐らく藤井も、丈司以外と話すつもりはないだろう。


 喫茶店に入り、一番奥にある席につきコーヒーを二つ注文して、店員が離れてから――


「一応、忠告しておきます」


 と、藤井が言う。


「私がこれからする話は、あなたにとって不快な話であると思います。聞いて後悔するかもしれません。それでも聞きますか?」


 藤井は個性のない声と口調でそう言った。丈司はその口調に怯みそうになったが、ここまで来て引くわけにはいかない。つかさの身になにが起こっているのか、ここで起こっていることとなにか関係があるのか、知らなければならない――そう思った。


 それがどれだけひどい話であっても構わない。ここでやめてしまったら、話を聞く以上に後悔すると思ったから。


「大丈夫です。話してください」

「……わかりました。では――」


 と、藤井は一度咳払いをする。


「そういえば、あなたのお名前を聞いておりませんでした? 嫌でなければ教えてくれませんか?」

「宮本……丈司です」

「それでは宮本さん。よろしくお願いします。

 宮本さん、お嬢様のご実家――結城家についてなにか聞いていることはありますか?」

「京都にある古い名家だっていう話を小耳に挟みました。知っているのはそれくらいです」


 つかさが――実家について話したがっていないことには触れなかった。その必要はないと判断したからである。


「ええ、その通りです。あまり詳しくは私も存じ上げませんが、なにしろ千年以上前から続いている家系のようですから」

「千年……」


 それが本当なら、とんでもなく古くから続いている家だ。生まれてまだ二十年の丈司にだって途方もない時間である。


「そして、結城家にはもう一つの側面があります」

「側面?」

「はい。結城家は陰陽師の末裔です。安倍晴明に師事していたという話ですが、詳しい資料は残っていませんので詳細はわかりません。まあとにかく、結城家はいまもなおその力を保っている魔術師の家系であることは間違いありません」

「…………」


 魔術師――なんだか途方もない言葉のように感じられて頭がくらくらした。


 だけど――

 曲がりなりにも『本物』の怪異を見たことがある丈司には、それが嘘とは思えなかった。


「とは言っても、近代に入ってからは陰陽師としての力を使うことはほとんどなく、実業家として活動がメインですが」


 そして、藤井は京都に本社がある一流企業の名前を口にした。学生の自分も知っている大きな企業だ。


「ですが、実業家としての結城家は今回の話には関係ありませんので、ご興味があるのなら自分でお調べください」

「……ということは、陰陽師としての結城家が、つかさに関係あるってことですね」


「はい。その通りです。

 ところで、宮本さんは『選別現象』というものを知っていますか?」

「……いえ。それは、どういうものですか?」

「怪現象の極地、人の幸福の裏側、悪性の顕現、呪い殺しの悪夢――様々な言われたかたをしていますが――その目的はただ一つ、人間のすべてを否定すること」

「人間の……すべてを、否定」

「それによって否定されたものは文字通りなにも残らない。意味も理由も脈絡もなく起こっては人間を殺して否定するだけの悪夢――それが『選別現象』です。

 十年ほど前、一夜にしてすべての人間が消滅した事件があったのを知っていますか? 表沙汰にはなっていませんが、あれは『選別現象』のよるものです」


 確かあれはアメリカのニューヨークで起こった事件だ。小さなアパートの住人が一夜にして全員がなんの痕跡も消失した事件。あれを耳にしたときはまだ小さかったけれど、とても恐ろしい事件だと思ったのをはっきりと覚えている。


 だが――


「お嬢様とその現象になんの関係があるのか? という顔をしていますね。お待ちください。話には順序というものがあります。これも関係のある話ですのでしばらく聞いてください」

「……わかっています」


 いままでにないほど丈司の口は重くなっていた。

 嫌な予感がする。

 聞いてしまったら、ここで終わってしまうような気がしてならない。

 いまならばまだ引き返せる。

 これ以上、先に進んだら――


「『選別現象』が起こり出したのは二十世紀に入ってから――人類の文明が劇的に繁栄を始めた時期と重なっています。人間の数が爆発的に増加し、悪性そのものも大きくなった結果ではないかと言われていますが、詳細はまだわかっておりません」


 やめてください、その話はもう聞きたくありません。その言葉を言おうとしているのに、口は動いてくれなかった。


「そして、近代より実業家として活動していた三代前の結城家の当主が――新たに起こり出した人類の災厄に興味を抱いたのです。どうしてそんなものに興味を持ったのか、わたしには想像つきません。受け継いできた陰陽師としての血がそうさせたのかもしれませんし、そうではないかもしれない。はっきりとした記憶は残っていませんから」


 藤井の口調には澱みがない。滔々と、そして個性を欠いた声と口調で喋り続ける。


「『選別現象』に興味を持った結城家は――実業家としての活動を続けながら、現代に潜む魔術師として活動を始めた。経済的に成功をして資金が潤沢にありましたから、裏で活動するのはそれほど難しくなったようです。

 それから五十年ほどの時間と、数え切れぬほどの失敗と血を積み重ねて――一つの成果を創り出した」


 やめろ。


「無自覚に悪性をばらまき感染させ、感染から感染を呼び――最終的に『選別現象』を引き寄せる存在を創り上げた」


 やめろ。

 頭がいたい。ここは、どこだ? まわりのせかいがぐちゃぐちゃじゃないか。


「それが、つかさお嬢様です」


 言葉は――なにも出てこなかった。

 どうしてこんなことになっているのかもわからない。僕がなにをしたっていうんだ?


「私が東京まで出てきたのは――家を離れたお嬢様が外界にどのような影響を与えているのか経過観察をするためです。経過は――思ったよりも早かった。恐らくもう、止まらないでしょう」

「……このままだと、どうなるんですか?」


 その言葉を、丈司はなんとか絞り出した。息が苦しい。酸素が薄いんじゃないのか。


「どれほどの規模になるかは不明ですが――『選別現象』を引き起こします。お嬢様と、あなたが暮らすこの街で」


 その話の通りなら――『選別現象』が起これば――

 丈司の知っている人間も、知らない人間も関係なく、多くが死ぬ。

 自分にとって誰よりも大切な――つかさが原因となって。


「一つだけ、止められる方法があります」


 こちらがなにを思っているのか察してかは不明だが、藤井はそんなことを言った。


「『選別現象』が起こる前に、お嬢様を殺せばいい。そうすれば、あなたのご学友が無意味に死ぬことは避けられます」


 なんだそれは。あまりにも救いがなさすぎて、自分でも理解できないほど感情が混沌と渦巻いた。


「別にあなたにそうしろというつもりはありません。あなたがなにを選択しようが、私のやることは変わりありませんから」

「あなたは、なにをするんです?」

「『選別現象』が起こればその経過と規模の確認。発生したかどうかにかかわらず、お嬢様が死んだのなら、その死体の回収です」


 握り込んだ拳から――血が滲んでいた。もはや自分がどうなっているのかもわからなくなってしまうほどに。


「救いのない話であるのは理解しています。本当にひどい話です。正直なところを申し上げれば、私だってこのようなことはしたくない。ですが、私は結城家の人間には逆らえないようにできていますから」

「藤井さん、あなたは――何ものなんですか?」

「私は式神です。均一化され、人に似せただけの便利な道具ですよ。使う人間に対して逆らう道具なんてあなただって使いたくないでしょう? 生まれながらにして、私は逆らえないようになっています」


 そう言った藤井には自嘲のようなものが感じられた。


「どうして、僕にこんな話を?」

「道具なりにお嬢様のことが哀れだと思ったのかもしれません。誰かが殺してくれたのなら、人としての尊厳は守られるでしょうから」

「…………」

「それでは、私は失礼させていただきます。ここのお代と――なにかあればこちらに連絡してください。東京にいる間はこちらに滞在しておりますので」


 藤井がそう言って差し出したのは一万円札と、泊っているホテルの名前と電話番号が書かれたメモ用紙。


 呆然と、手に血をにじませながら一万円札とメモ用紙を見つめている丈司を一度見据えたのち、藤井は歩き出した。なにも言葉を発せられなくて、丈司は藤井を止められない。どこまでも無力な存在に過ぎなかった。


 それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか? とても長いようにも、短いようにも思えた。


 だけど――いくら考えても、つかさを救う方法など見つかるはずもなかった。

 運命というやつは――どこまでも残酷なのだと二十歳の青年は知ったのだ。

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