第109話 災厄を呼ぶ悪性10
「部長が失踪したって……それは、どういう……」
「そのままの意味だ」
小学生にしか見えないくらい身体の小さな小春が、普段あまり聞く機会のない真面目な口調で言った。
「昨日の夜、借りていた本を返しにいったんだが、帰ってなくて、今日の朝に行っても返ってきてなかった。夜通し遊んでてまだ帰ってきてないだけかもしれないが、あの部長だと、どうにもそうとは思えなくて。なにか嫌な予感がする」
小春の口調には焦りが見える。
失踪――昨日、須田の話を聞いて――そして、急におかしくなった須田を見た自分には聞き流すことはできなかった。
「……警察は?」
「まだ。それにいまの段階じゃ動いてくれないだろう。大学生が一日家に帰らなかっただけで事件性があるわけじゃないからな。少なくともいまは」
大学生が朝になっても自宅に帰ってこないなどよくあることだ。そんな程度で動くほど警察だって暇ではないだろう。
だが――
このタイミングで一日自宅に帰ってこなかった、というのはあまりにも不穏だ。
なにしろ――部長には、おかしくなった須田やゾンビのようになって失踪したまま戻ってきていない須田の彼氏と同じ黒い斑紋が浮かんでいたのだから。
だとすると――
それを考えると、背中に嫌な汗がじわりと滲んできた。
「どうした? やけに顔色が悪いぞ」
「いや……」
なんでもない、と言おうとして、そこで口が止まった。
……黙っているのは、よくないんじゃないか?
どうする?
言ったほうが、いいのか?
それとも――
「部長が帰ってきてないのは――」
やはり、言ったほうがいい。部長は仲間でもあり友人でもある。そんな人がなにかやばいことに巻き込まれているのなら、自分一人の中に留めておくのは駄目だ。
「もしかしたら、ゾンビみたいになって徘徊しているのかもしれない」
「なに?」
まさか、というような小春の上擦った声が聞こえた。驚くのも無理あるまい。
「だが、どうしてそうだと思う?」
「実は――」
丈司は昨日のこと――部室に現れた須田のことや、黒い斑紋のこと、そして部長にも黒い斑紋のことを須田やその彼氏に現れていた同じものがあったことを話した。
それを聞いた小春は――
「まさか、昨日そんなことが」
と、小春はおののく声を上げていた。自分に近い人間があのようになってしまったのだからそれは当然だろう。
「ところで、つかさはどうした?」
「彼女は――」
小春には、つかさが昨日から様子がおかしくなっていたことは言っていなかった。
正確にいえば――言えなかったのだ。
つかさが須田や部長に現れた黒い斑紋やゾンビに関係していると決まったわけではなかったから。
「つかさは、体調を崩しているらしくて。昨日、午前中に帰ったんだ」
友人に嘘をつくのは心苦しい。
言えなかったのは――まだ不確定要素が多いからではなく――つかさが、あの黒い斑紋と関係ないことを信じたかったからなのだろう。
小春は少しだけ丈司のことを睨んだあと「そうか」と弱々しい口調で言った。
「三神は知ってるのか?」
「まだ。部長のところに行ったのは京子と別れたあとだったから。でも、これから言うよ。顔を合わせる機会もあるし」
「これから、どうする?」
「まずは部長のことを見かけていないか訊いてみる。あの人、顔が広いから医学部にも知り合いはいるだろうし。そっちも声をかけてみてくれないか?」
「……わかった」
「それじゃ、私は行く。今日は授業をサボって、部長のことを訊いてまわってみる。なにかあったら、部室の連絡ノートに書きこんでおいてくれ」
小春は早口でそう言うと、小さな身体に大きな鞄を揺らしながら足早に駆けていった。彼女を見送ってから、丈司は歩き出した。
足もとの感覚がおかしい。確かに自分は地に足をつけて歩いているはずなのに、足もとにはなにもないようにしか思えなかった。
どうする?
それを思うたびに、言いようのない不安と焦りが生まれてくる。
もしここで――判断を間違えてしまったら――なにもかも手遅れになってしまう気がする、ように思えた。
つかさ。
部長。
あの二人には一体なにが起こっているのだろう?
それを思うと、ぐわんと地面が歪んでいるような気がして、自分がいまどこでなにをしているのかもわからなくなってくる。
これは本当に――現実で起こっていることなのだろうか?
……そんなことわかっている。
ここは現実だ。少なくとも、自分にとっては紛れもない現実の世界である。それなのに――これを現実だとは思いたくない自分がいた。否定したい自分がいた。
どうすればいい?
僕になにができるというのだ?
ただの大学生でしかない自分に――この得体のしれない事態をなんとかできる力などあるわけが――
寒い。
今日の気温は三十度近いはずなのに、どういうわけかとても寒く感じられた。どこか、壊れてしまったのかもしれない、なんてことを思う。
やっぱり――
つかさと会って話すしかない。
この件に彼女が関係しているのなら――なにか知っているはずだ。
そして――
あの娘が困っているのなら、なんとかしてあげたいと思う。
昨日、留守だったことを考えると、今日大学に来ているとは思えない。
いまからでも――下宿先に行ったほうがいいだろうか?
そう思ったところで――
つかさも、部長と同じように失踪しているのではないか、ということに思い至ってしまった。
つかさが須田みたいになっているかもしれないと思うと、心の底から恐ろしくなる。
そうなっているのを目撃してしまったとき――自分は耐えられるだろうか?
正直言って――
あまり自信はなかった。
自分がそんなに強い人間でないことはわかっているから。
「おはようございます」
背後からそんな声が聞こえて、それが自分に言われたものだと気づくのに数秒ほどかかり、丈司は背後を振り向いた。
そこには――つかさの実家の家政婦を名乗る藤井の姿があった。昨日見たときと同じく、優雅に和服を着こなして佇んでいる。やっぱり、その姿には個性というものが感じられない。彼女の容姿はどこまでも均一化されている。
「あの……なんでしょうか」
丈司は恐る恐る声を上げた。彼女の――不気味なくらい均一化された容姿にどことなく威圧感を感じたからだ。
「あなたがお嬢様と深いお付き合いをしていると聞いたので、話をしておくのが筋かと思いまして。嫌ならば無理強いはしません。わたしにはあなたに強制する力も権利もありませんから」
藤井の声も容姿と同じく均一化されていて、はじめて聞くはずなのに、どこかで聞いたことがあるように感じられる。
「いえ。大丈夫です。聞かせてください」
「わかりました。では、どこかゆっくり話ができる場所はありませんか? 聞かれて困るわけではありませんが、一応念のため」
「わかりました。ご案内します」
丈司は、自分の足もとに目に見えないべたべたとしたものがこびりついているような錯覚を覚えたまま、藤井を案内していった。
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