第92話 透明人間の逆襲8

「ねえきら。あなた、最近噂になってる怪人のこと知ってる?」


 昼休み、夏穂は後ろの席に座っているクラス委員長の阿黒きらにそんなことを訊いてみた。


 土曜にわけもわからないまま殺されて以来――怪人は夏穂の前に現れていない。

 というか、次の日曜はスマホを修理に出すついでに、丸一日外出していたので襲われないのは当たり前なのだが。


 外出した夏穂を追いかけて外に出てこなかったことから、あの怪人も学園内にしか存在し得ない怪異であると夏穂は結論づけた。


 志乃は――どうなったのかは知らない。急遽日曜に外出したせいで、夏穂が怪人に襲われてから、志乃と顔を合わせていなかった。今日あたりに顔を見に行ってもいいかもしれない。たぶん、嫌な顔をされるだろうが。


「最近、校舎を徘徊してるっていうやつでしょ。わたしは見たことないんだけど――話なら聞いたことあるよ」

「どんなの?」

「確か、二メートルくらいあるホラー映画に出てきそうな怖い外見で、目が合ったり姿を見られると消えちゃう、とかかな」

「誰かそいつに襲われたとかいう話は聞いたことない?」

「怪人を見たって人は、みんな恐ろしい姿をしていたって言ってたけど――そいつに襲われたって話は聞いたことないなあ。

 あの、夏穂ちゃん――もしかして」

「思ってる通りよきら。この前の土曜日、あいつに襲われたのよ私」

「え、ええ?」


 きらはとても驚いたのか、箸でつかんでいた卵焼きを落としてしまう。


 襲われたくらいなら言っても問題あるまい、と思っていたが――まさかここまで驚かれてしまうとは思わなかった。


 とは言っても襲われたのは事実である。話を訊こうとしているわけだし、それを隠しておくわけにもいくまい。まあ、殺されたことを言うつもりはないが。


「襲われたって……大丈夫なの?」


 きらは不安そうな目を向けてくる。


 人でなしの夏穂のことですら案じてくれるきらの好意は好ましい。こんな風に他人から好意を向けてもらえたのはいつのことだっただろうか、なんてことを思った。


「大丈夫。そこらにあった椅子とかで反撃したら、帰っていったから」

「そ、そうなの? それならいいんだけど……」


 少し困った様子できらは言葉を紡ぐ。もしかしたら、いま夏穂が言ったでっち上げが嘘だとわかっているのかもしれない、なんてことを思った。


 でも、わざわざそれを言う必要もないだろう。嘘も方便なんてよく聞く言葉だ。向こうから訊かれたら、答えればそれでいい。適当でも体裁を整えるのは大事である。


「でも、どうして怪人に襲われたの?」

「命が見たっていうからちょっと気になってね。調べてたら襲われた」


 今日も命は、いつも通り夏穂の足の間に座っている。体温が自分よりもずっと高くて、寒くなってきたいまの時期にはなんとも心地いい。


「だ、大丈夫なの?」

「この娘も、他の娘と同じように姿を見たら消えたみたいだから大丈夫だと思うけど」


 それを言うと、どうして自分が襲われたのか再び気になってくる。

 怪人に襲われた夏穂と、そうでなかった命。どうしてそうなったのかがやっぱり気になる。


 何故だ?


 怪異に対する影響という点だけならば、命も夏穂もそれほど差はないはずである。夏穂と命の怪異に対する影響について、ありそうな違いは怪異に与える影響の属性だが――果たしてそれが関係しているのだろうか? どうにも、それが問題だったとは思えない。夏穂が襲われたのにはなにか別の要素があるように思える。


「どうして私だけ襲われたのかしら……」


 夏穂は顎に手を当て思案しながら、そう呟いた。

 こう言い換えてもいいかもしれない。どうして、他の生徒は襲わなかったのか、と。


 そして――もう一つ。

 夏穂は、そもそも怪人を目撃していない。


 怪人に荒らされていた教室を調べていたら、いきなり背後からなにかされて、なにをされたのか理解する間もなく殺された。夏穂も、他の生徒と同じく興味本位で近づいたのは確かだが――まだ姿を目撃していなかった夏穂のことだけを積極的に襲ってきた理由はなんだ?


「きら。どうして私だけ襲われたのかわかる?」

「え……」


 きらは困り果てた表情を浮かべる。

 そりゃそうだ。どうして襲われたのかなんて訊かれてもわかるはずもない。


 しかし――

 他人から見た意見というのは聞いておいて損するものではない。


 ましてや――自分がなにをされたのかわかっていない状況とあればなおさらである。


「えっと、その――夏穂ちゃんのことを、恨んでた、とか?」

「恨んでた、ねえ……」


 …………。

 心当たりが多すぎる。


 この学園に、夏穂を恨む者、嫌う者など掃いて捨てるほどいるだろう。それこそ、恨んだり嫌ったりしていないのは、命以外にいるとするならきらと姫乃しか思いつかないほどである。


「なにか他におかしなことはなかったの?」

「そういえば――襲われたときはすごい衝撃が全身に走って、そのあと意識が戻ってからは、なにか焦げ臭かったのよね。何故かスマホが壊れてた」

「焦げ臭い――」


 弁当を片づける手を止めてきらは考える。

 二十秒ほど考えたところで――


「スタンガン?」


 と、短くはっきりときらは言う。

 スタンガンというとあの押し当てて電気を流して痺れさせたり昏倒させたりするあれだろうか?

 そう言われて、夏穂は納得した。


 確かに、スタンガン――もしくはそれに近いなにかであったのなら、あの強い衝撃も頷ける。

 そして、電気が熱を発生させる。


 即死するほど強いものであったのなら、身体が焦げ臭くもなるのもおかしくはない。そして、そんな電気を身体に流されたのなら、絶縁性でもなんでもない制服のポケットに入れてあったスマートフォンが壊れるのも納得である。


 そうか――

 あのとき、自分は電流を流されて感電死したわけか。

 一つ前進である。

 有益なアドバイスをくれたきらにお礼を言おうとして彼女に目を向けると――


「…………」

 きらは口をへの字にして、夏穂のことを見ていた。夏穂と目が合うと、きらは――

「また危ないことしてるの?」


 きらは、夏穂のことを咎めるような――そして説教するような口調であった。

 危ないことをしているのは紛れもなく事実だったので、夏穂はなにも言い返すことはできず、「ええと、まあ、そうです」みたいなお茶を濁す言葉しか発した。なんとも情けない限りである。


「どうして夏穂ちゃんはそうやって危ないことばかりしちゃうの? 命ちゃんもいるんだから、心配させるようなことばっかりしちゃ駄目だよ」


 そんなことを言っているきらの姿は世話焼きな委員長というに相応しい。


「でも――

「夏穂ちゃんがそういうことするのって、命ちゃんのこと守ってあげたいからなんでしょ? だからやめろとは言わない。でも、わたしとしてはできるだけ危ないことはしてほしくないな。夏穂ちゃんはよくても、わたしがよくない。たぶん、命ちゃんも同じだと思う」


 少しだけ悲しそうな口調になってきらは言う。彼女が案じてくれているのは本物であることが理解できる口調であった。


 まさか――自分が普通の娘からこんな言葉を言われる日が来ようとは。


 ここ三ヶ月程度で、夏穂を取り巻く環境は大きく変わったのだというのを自覚した。


 そんなことを言ってくれる相手ができたことだし――殺されないように頑張ってみるか、なんてことを思ったりする夏穂。


 さて――

 あの怪人はどうやら電気を使ってくるらしい。


 これは大きい収穫のはずだ。

 もう少し調べる必要があるだろう。


 そう思って、夏穂は携帯電話ショップから修理が完了するまでの代替として渡された少し古い型のスマートフォンを取り出した。端末のデータはすべて吹き飛んでいたものの、大事なデータはクラウドにバックアップをとってあったので、これでも最低限のことはできる。

 トークアプリを起動して、メッセージを送る。相手はもちろん姫乃である。


『ちょっと話をしたいから放課後時間とれない?』


 と、送ると――

 一分も経たずに返信が来て――


 それがやたらと長文だったので、OKであると認識して、そのまま既読スルーした。

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