第93話 透明人間の逆襲9
授業が終わり放課後――夏穂は数少ない知り合いであり、後輩でもある清瀬姫乃のもとに訪ねるべく彼女がいる一年生の教室へと向かった。
まだ騒がしさの残る扉を開けると――
「先輩好きです! 抱いて! むしろ抱かせろ! いやらしいおっぱいしがやって!」
アホなことを言いながら、一年生の教室の扉を開けた夏穂に向かって、変質者みたいに両手を上げて突撃してくる。
「…………」
夏穂はなにも言わずに向かってくるタイミングに合わせて姫乃の顔面の高さに手を伸ばした。もちろんグーである。夏穂の拳は姫乃の顔面に見事ヒットした。夏穂はただ手を突き出しただけだが、姫乃はかなりの勢いで向かってきたため「ぐええ」みたいな年頃の女子が出しては駄目なうめき声をあげ、拳が当たった鼻を押さえてうずくまった。
五秒ほどうずくまったところで――
「どうして先輩はいつもいつもこんなひどいことするんですか! わたしはこんなにも純粋に先輩に対する愛を表現しているだけなのに! ひどい! でも……そういう鬼畜な先輩がマジ好き……無理……尊い……」
「…………」
夏穂は、こいつ相変わらず気持ち悪いなあ――と思いながら姫乃に視線を向ける。
「今日はあんたの悪ふざけに付き合いにきたわけじゃないんだけど」
「もう、先輩ったら相変わらず冷たい……塩対応……でも、そういうところがたまりません」
姫乃は身体をくねくねさせた。どうなっているのか、その動きはなんとも絶妙に気持ち悪い。こいつ、黙ってりゃ可愛いんだけどなあ――実に残念である。
「ま、悪ふざけはここまでにしましょう。友達がいない先輩があたしを頼ってきたんですから、ちゃんと力添えをして、外堀を埋めていかないといけませんし」
「どうしてあんたは言わなくてもいいことをわざわざ口にするのかしら」
相変わらず言動が意味不明で夏穂はため息をつくしかない。
「あたし、言いたいことは好きに言うのはモットーなので」
「好きにすりゃあいいけど」
なんだかんだ言ってこの娘は頭が非常に回るので、目茶苦茶なことを言っててもなんとかうまくやるだろう。馬鹿に見えるが、実際は馬鹿でもなんでもないのが清瀬姫乃という後輩である。
「それで、お話はあれでしょうか。最近、学園を騒がしている怪人でいいんですよね」
こほん、と一度だけ咳をすると、先ほどまでのおちゃらけた空気はまるで全部演技だったかのように消え、一転して真面目な口調になった。
「……相変わらず勘がいいのね」
「でしょ~。白井先輩みたいにあたしの頭も撫でてくれませんか?」
姫乃はいきなりふざけた口調になって、夏穂よりも五センチほど高い位置にある頭を下げて差し出してくる。
「悪いけど、自分よりでかい奴の頭を撫でる趣味はないので」
「ちきしょー! そういえば先輩はロリコンだったんだ……全然忘れてた……!」
「……その、誤解を招く言いかたはやめてほしいのだけど」
風評被害も甚だしい。
まあ、そんなことを言ったものの、知らない奴にどう思われようが知ったことではないが。
そもそも、ロリコンとかそういう以前の問題だしな。
「ふざけるのはこのへんにしておきましょうか。久々にお会いしたのでつい興が乗ってしまいました。
「でも、怪人の噂は知っていますが、あたしが直接見たわけじゃないのでたいしたことは言えないのですが――それでもいいでしょうか?」
「大丈夫よ。私の話を聞いてほしいだけだし」
「ふむ――ということは先輩、その怪人となにかあったんですね」
こう勘がいいと、話をするのも楽でいい。
夏穂はこの前の土曜に怪人に遭遇して襲われたことを話した。
無論、夏穂が怪人によって殺されたことは念のため隠しておいた。姫乃だと、そのあたりも察しているかもしれないが――こちらがあえて言わなかったことに対して突っ込みを入れてくるほど野暮な娘ではない。
「先輩が危害を加えるとか、あの怪人舐めてますね。ちょっと殺してきましょうか。どこにいるかわかります?」
「しなくていいわよそんなの。たいしたことされたわけじゃないし。スタンガンかなにかでビリッとさせられただけだから」
「いや、あの先輩、学園に出る不審な存在にスタンガンでビリッとされたって軽く言ってますけど、それ重大インシデントですよ……」
「そう?」
……確かにそうかもしれない。しかも、この学園は外部から閉ざされた全寮制である。全寮制でなくとも、普通に考えれば――明らかに不審だとわかる存在にスタンガンで昏倒させられた――なんて警察案件なのは間違いない。
「まあ、先輩の感覚ががばがばでおかしいのはいまに始まったことではありませんから、これ以上あれこれ言うのはやめておきましょう。先輩の話を聞いていていくつか気になったことがあるんですけど――大丈夫ですか」
「いいわよ、なに?」
「先輩が襲われたのって、本当にその怪人だったんですか?」
「うーん」
そう言われるとちゃんと答えるのは難しい。なにしろ夏穂は怪人の姿を見る間もなく殺されてしまったのである。
だが――
「一緒にいた先輩は私の前にいたから、彼女がやったとは思えないけれど……」
いくらなんでも、目の前でスタンガンらしきものを突き出されたらすぐにわかるはずだし、そもそも抵抗する――かはわからないけれど。抵抗しなくてもなんとかなるし。
「そうですね。その先輩の先輩さん――原田さんでしたか。彼女には先輩にスタンガンを押し当てる時間はなかったでしょう。
「でも――その怪人って怪異なんですよね? 原田先輩と怪人になにか関係があるのなら、原田さんにはなにもせず、先輩になにかできたんじゃないでしょうか?」
「先輩と怪人になにか関係がある――それは私も疑っていたけれど――違うと思うわ。だって、先輩からは怪異の気配を感じなかったし」
そう。志乃からは怪異の気配は感じなかった。そもそも――襲われた瞬間ですら怪異の気配を感じなかったのである。
「というか先輩って、怪異の気配ってどれくらいわかるものなんですか?」
「たいしたことはわからないわよ。近くにいれば『ああ、なんかいるな』ってのがわかるくらい。基本的に私は人間の認識能力しかないのよ。一度視界に入ればある程度は追えるけれどね。認識の外からの不意打ちには対応できるほど万能じゃない」
そんなことができるのなら――たぶん夏穂が殺される回数はもう少し減っていただろう。些末なものかもしれないが。
「なんか、意外と制限あるんですね」
「ま、人間の皮を被ってるからね。それは仕方ないわ」
その皮がいつまで保つかは不明だが、保っている間は人間みたいにしていようと思っている。
「というか原田先輩――先輩のことを見捨てて逃げるとか超絶不届き者ですね。ムカついたんで殴ってきていいですか?」
「やめなさい」
腕を回して意気揚々としている姫乃を夏穂は素早く止める。止めなかったら、本当にやりかねない。
「ついてこいと言ったのも、危なかったら逃げていいって言ったの私だしね。それくらいは大目に見るわ。それにたいしたことでもないし」
「……ほんと、先輩ってやべーっすよね」
姫乃を見ると、ちょっと引いているらしかった。
「どうして先輩だけ襲われたんでしょうね。他の娘たちは目撃しても襲われなかったのに。先輩、怪人に恨まれるようなことやりました?」
「怪人に恨まれる心当たりはないけど、ここの生徒に恨まれる心当たりはいくらでもあるわね」
「…………」
珍しく姫乃が黙ってしまった。もしかしたら、ドン引きしているのかもしれない。
「いまのところ私は、前に遭遇した『音のない空間』と同じように、なんらかの変質を起こしたのではないかと思っているんだけど」
夏穂は、以前姫乃から相談された怪現象の名を口にした。
「でも、あれじゃないですか先輩。怪人の噂って、学園中が混乱してわたわたしてたのが治まってからですよね。そんな短い期間で変質って起こるんですか?」
「強いきっかけがあれば、起こり得ると思うけれど――それについては私もよくわからないわ。だけど、いままで襲わなかったのが急に襲うようになったわけだし、なにがあったのは間違いないと思うけれど」
「あの怪人、先輩のことをはじめから狙っていたとか?」
「まさか。怪現象に恨まれるようなことはした覚えはないわ」
それなら恨んでいるのはこちらのほうである。なにしろ夏穂は怪現象によってすべてを奪われているのだから。
「もしくはその怪人、先輩しか狙えないとか」
「なにそれ」
夏穂は姫乃の軽口は軽く流す。
だが――
「ま、とにかく参考になったわ。今日のことはあとで埋め合わせしてあげるから楽しみに待ってなさい」
「わかりました。全裸待機してます!」
「全裸はやめろあほ」
夏穂は姫乃のおでこにチョップを繰り出した。姫乃は「いやーん」なんてふざけた声を上げる。
さて。
これで話はいくぶんか整理された。
次は――当事者である志乃のところにでも行くか。
夏穂は次の行き先を決めて、一年生の教室をあとにした。
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