第86話 透明人間の逆襲2

 さて、いまの記憶は誰のものだろう。里見夏穂は自分のベッドに寝転がりながら、先ほど見せられた映像について思いを馳せていた。


 誰かの記憶が流れ込んでくることについてまったくなにも思わないし、そもそも他人のことなど知ったことではない。他人のことに関してどうこうできるのは余裕のある人間の特権だ。


 夏穂には余裕なんてないし、そもそも人間ですらなくなっているのだから、他人のことについてあれこれ考えてなどいられない。


 それに、他人のことについて考えるのなんて面倒じゃないか。どうして顔も名前もわからぬ誰かに、自分の一部を分けなければいけないのだろう。そんなもの、できるのならこっちが分けてほしいくらいである。


 しかしまあ、今日のわりと具体的だった。


 どうやら、あれを見ていた誰かはガンになった父を心配しているらしい。なかなか親思いでいいではないか。親を思うなど夏穂にとっては遠い昔のことである。子供がそう思える親なら、きっといい親なのだろう。


 そして――


 こんなものを見るということは、怪異が近づいている証拠でもある。せっかく、学園中を大混乱させた『悪魔』が片づいたというのに――どうしてこう次から次へと現れるのか? 怪異を引き寄せる体質の夏穂のせいだと言われてしまえば、なにも言い返せなくなってしまうが。


『まあそう言うなよ。この学園はただでさえ変なものが多いんだ。お前ぐらい外れてりゃ引き寄せもするさ』


 頭に響くのは年齢も性別も判然としない不思議な声――夏穂の中に溶けている怪異のオーエンだ。


『それに、発生しなきゃしないで困るのも事実だろ。お前、我慢とか節制とかできなさそうだし』

「なによそれ。私だって多少の我慢くらいできるわ。そうじゃなきゃ全寮制の学園なんて通ってないわよ」


 夏穂は憮然とした声を出してオーエンに言い返した。どうしてそんな風に思われてんだよ。


「というかあんた、なにか変だと思わないわけ? いくらこの学園では怪異が発生しやすいっていっても、ここ最近の発生は異常じゃない?」

『それはその通りだが――変だと思ったところで俺たちにはなにもできやしないだろ。俺たちは霊媒師でも陰陽師でもない。起こった問題を場当たり的に対処するのが限界だ。それに――俺たちは退治されるほうだしな』

「退治されるほうっていうのは納得ね」


 現に、この学園に入学してから発生したトラブルで何回か殺されているし。これからも死んだりするんだろう。よくわからないけれど。


 自分のことはともかく――


 ここ最近、やたらと怪異が発生しているは事実だ。夏穂や命が原因なのか――それとも――


「なにか悪だくみをしている奴がいるか、かな」

『悪だくみしてる輩がいるのは間違いないぞ。なにか手を入れられている怪異は、命が転校してきてから、こないだの悪魔で四件目だ。さすがに四件も起こっていて、偶然だと思うほど俺の気は抜けていない』

「四件――か」


 まだ命が転校してきてからまだ三ヶ月も経っていない。

 では――


「誰かが手を引いてるとして、なにが目的なんだと思う?」

『さあな。俺には人間が考えることなんてわからねえよ。まあでも――狙いは、お前か命だろうな』

「……そうなるわよね」


 自分がなにかに狙われているという自覚は夏穂にもあった。守ろうという気はあまりないけれど。


 自分のことはどうなろうが知ったことではないが――命は別だ。


 あの娘は――白井命は夏穂と違ってまだ道を踏み外していない。生きるために人から外れるしかなかった夏穂とは違う。とても危ういけれど――人であろうとしている。そんな彼女に、怪異だの悪意だのは似合わない。


 自分が守ってやらなければ――なんて傲慢を言うつもりはないけれど、命は人のすべてを否定する怪現象の極地――「選別現象」をその身に浴び、まだ二年も経っていない。あの否定の呪いを浴びて、二年足らずで快復できるはずもない。それは、彼女と同じく「選別現象」をその身に浴びた夏穂がよく理解している。


 それにしても――


 ここ最近起こった怪現象の手を引いているのは誰なんだろう? この学生寮のスクールカウンセラーでもあり怪異の専門家である三神京子以外に、怪異に詳しい人間がいるのだろうか? いたなら、京子だって気づくと思うけれど――


 現在までその尻尾をつかませていない以上、相当の奴なんだろう。素人に毛が生えた程度ではないはずだ。確か、オーエンもそんなことを前に言っていた気がする。よく覚えていないけれど。


 とにかく――


 なにか起こったのなら、命はしっかりと守らなくては。守れるかどうかは不明だが――一人ならなんとかなるだろう、たぶん。


 すると――


 どたとだと足音が聞こえたのち、勢いよく部屋の扉が開かれる。そこには小さい身体と深く黒い長い髪、紫がかった瞳をした可愛らしい娘の姿が目に入った。夏穂のルームメイトである白井命である。


 夏穂以外から見たら無表情に見えるだろうが、命はなにか焦っているように感じられた。どうしたのだろうと思って、夏穂はベッドから顔を覗かせる。


「どうしたの?」


 夏穂がそう言うと、命は猫みたいに上のベッドに上ってきて、夏穂に抱きついてきた。柔らかい髪の毛が顔に当たって少しくすぐったい。自分のよりも遥かに高い体温が自分よりも軽い彼女の体重が伝わってくる。


「なんか怖いことでもあったの?」


 夏穂がそう訊いてみると、命は少しだけ表情を変化させた。どうしようか逡巡するそぶりを見せたのち、夏穂の手を取って、ゆっくりと掌に文字を書き込んでいく。


「『ホラー映画に出てくる怪人みたいなのを見た?』ってマジ?」


 夏穂がそう訊き返すと、命はうんうんと頷いた。この娘がそんな嘘をつくとは思えないが――


「それでなにかあった? 大丈夫?」


 見たところ、外傷はなさそうだが――怪異の影響は身体に及ぶだけではないので、この時点では断定できないが。

 命は『なにもされてない。大丈夫』と夏穂の掌に書き込んだ。


「なにもされてないならいいけど――というかそんなのどこで見たの?」


 命はゆっくりと夏穂の掌に文字を書き込んでいく。『よくわからないけど、廊下を歩いてた』らしい。


 廊下を歩いてた……って、よくもまあ堂々としているものである。場所によっては、他に見た奴もいるかもしれない、が――


 怪異に近い命や夏穂の場合だと、自分にしか見えていない場合もある。

 さて、どうしたものか――と悩んでいると――


 枕の近くに放置してあったスマートフォンが震え出した。手に取って画面を見ると、電話がかかってきている。かけてきた相手は三神京子。無視するわけにもいかないので夏穂は電話をとった。


『さっさと来い。また仕事だ』


 と、乱暴な口調でそれだけ言って、電話を切った。相変わらず、スクールカウンセラーらしからぬ人である。


「じゃ命、京子さんのところに行ってくるからどいてくれる?」


 夏穂がそう言うと、命は身体の上から下りてぺたりと女の子座りをする。

 しかし、夏穂の手をぎゅっと握ったままだった。それを見て、命が一人になりたくないらしいことを察した。ホラー映画に出てくる怪人を目にしたらそうなるのも無理はない。


 それに――

 このタイミングだから、京子が呼び出した理由も同じものだろう。


 命も見たといえば、京子もなにかしらしてくれるかもしれない。この娘にかんしては甘いしな、あの人。


「一緒に行く?」


 夏穂がそう言うと、命はわずかに表情を変化させた。どうやら嬉しいようである。


「それじゃ、行きましょうか」


 夏穂と命は手を繋いだままベッドを降り、部屋を出て――寮のカウンセラールームへと向かった。

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