第87話 透明人間の逆襲3
部屋を出ると、そこに広がっているのはいつもの光景。廊下ではがやがやと生徒が他愛もない雑談をしているのが見受けられる。
『悪魔』の件からしばらく混乱が続いたせいで、ここ何日かは目にすることがなくなっていたが――それもどうやら治まってきたらしい。
そうなると、『悪魔』に奪われた娘たちは、ちゃんと奪われたものが戻ってきたのだろう。夏穂にしてみれば知ったことではないのだが、命に迷惑がかからなくなったのだから間違いなくいいはずだ。
夏穂と命は手を繋いだまま廊下を進んでいく。
窓の外はどんよりと曇っていた。陽が沈む時間はまだ先だが、すっかり薄暗くなっている。いつ、ひと雨降ってきてもおかしくない天気だ。
「ねえ命」
夏穂は立ち止まって命に声をかける。
「あなた、さっき言ってた怪人どこで見たの?」
命は少し困った顔をしたのち、夏穂の手を持ち上げて掌に文字を書き込んでいく。『わたしたちのクラスの奥にあるあんまり人がいない階段の近く』と書き込まれた。
「どうしてそんなところ行ったの?」
『教室を出たらなんか物音が聞こえて――そっちに行ってみたら、そこにいて――勝手なことしてごめんなさい』
「いいわよ別に。怒ってるわけじゃないし。普通、なにか物音が聞こえてきたらそっちに行ってみたくなるもの。私にはあなたの行動をそこまで制限する理由も権利もないし」
夏穂の言葉を聞いて、命は握る手を少しだけ強くした。
「それで、本当になにもされてないのね?」
念を押すためにもう一度した質問に命は小さく頷いた。
「ま、なにかあればすぐに言いなさい。私がなんとかしてあげる――と言ってやりたいところだけど、たいしたことはできないから、相談に乗るくらいね。遠慮なんてしなくていいのよ」
夏穂がそう言うと、命は淡い笑みを浮かべて、夏穂の手を握る力をまた少しだけ強くした。どうやら嬉しいようだ。
「そういえば、どういう見た目だった? ホラー映画の怪人みたいって言ってたけど」
『二メートルくらいあって、肩幅も胸板もあって、目が異常に大きくて、口は裂けてて、歯は全部サメみたいにギザギザだった』
「ふむ」
それはなかなかクリーチャーである。どう考えても人間とは思えない。洋ゲーに出てきそうな風貌だ。
どれくらいの距離で見たのかは不明だが、それくらいの特徴がわかる程度まで近づいたのだろう。
「結構近くまで行ったのね」
『ごめんなさい』
「いいのよ別に。無事だったんだから、いまさらどうこう言っても仕方ないでしょう。で、そこまで近づいたのに、なんにもなかったの?」
『うん。近くまで行って、目が合ったらどこかに消えちゃった』
「……消えた」
目が合ったのなら、その怪人は命のことを認識していた可能性が高い。
だが――
何故逃げたのだろうか。それがよくわからない。マッチョで二メートルの怪人が、身長百四十センチ足らずの命にビビるとは思えないが――
それとも――
消えたのにはなにか理由があるのか?
正直なところ――目撃したのが命だけではなんとも言い難い。夏穂や命の場合、必要以上に見えなくていいものを見てしまう体質なので、怪異に関する目撃者としての信用はとても低いからだ。
夏穂や命にしか見えていないものなのか、判断はつけられない。
しかし、他にも見ているのだとすれば、明らかに化物だとわかる風貌の怪人を目撃したら噂はすぐに広まるだろう。それぐらい目立つものであったのなら、ろくに知り合いのいない夏穂の耳にも入ってくるはずだ。
果たして――
「それマジ?」
「マジだって。超やばいでしょ。マジ卍」
ふとそこで二人の女子が行儀悪くパンツ丸出しで床に座って話しているのが目に入った。
「二メートルもあるバケモンが学園を徘徊してるとかやばすぎない? それどこ情報なワケ?」
「結構聞いたよ~。よしこに茜に、あと隣のクラスの坂上も見たとか」
「ウッハ、超ウケる」
「その話、ちょっと詳しく聞かせて欲しいんだけど」
いましがた聞いた話をこの二人組がしていたせいで、夏穂は思わず彼女たちに話しかけていた。
「なによあんた」
「ねえ、こいつ……」
もう一人の娘が「あの、魔女じゃない」と小さく言ったのが聞こえた。それを聞いて、もう一人の娘の顔はさっと青くなっていた。きっと、夏穂がなにをしたのか、耳にしたことがあるのだろう。よくあることだ。
「別にたいした話じゃないわよ。学園に二メートルもあるマッチョの怪人が出るって噂話よ。あんた知らないの?」
「まあ、耳にしたけど――どんなものか気になって。詳しいんでしょ?」
「別に詳しくないし。こっちだってそんなのを見たって話を聞いただけよ。たぶん、幻覚かなにかじゃないの? ここって怪現象とかよく起こるし」
「ありがとう。で、もう一つ訊きたいんだけどいいかしら」
「……なに?」
「その、二メートルもある怪人を見た娘、なにかされた?」
「されてるわけないじゃん。そんなのになにかされてたら無事じゃないっしょ。目が合ったらすぐ消えちゃったって話」
「そうなんだ。時間を取らせて悪かったわね。邪魔みたいだからすぐ行くわ」
夏穂は二人組にそう言って、命の手を引きながら離れていく。視線を外したとき、二人組がなにかひそひそと話していたけれど無視した。いつも通り、なにか悪く言われているのだろう。そういうのは放っておけばいい。目の前で言われたとしても身体も財布も痛くも痒くもない。悪口なんてそんなものだ。気にするだけ時間と労力の無駄である。
しかし――
これで命が先ほど目撃したという二メートルの怪人は、命にだけしか見えないものではないということがわかった。
それは発見ではあるが――
「謎が増えた気もするわね」
あの二人組の知り合い――二メートルの怪人に遭遇した娘も――命と同じように、姿を見られたらなにもせずそのまま消えてしまったとなると――
「なにか……あるのかしら」
学園内を徘徊する二メートルの恐ろしい姿の怪人が、幼気な女子高生を目撃してなにもせずに消えてしまう理由とはなんだろう?
そこになにかある気がするが――どうにもそれがつかめない。
なにか、重大な点を見落としている気がするが――
「うん。まったくわからん」
どうにも情報が少なすぎる。
まあ――
京子が呼び出した理由は恐らくこの命や他の生徒も見たらしい、二メートルの怪人についてだろう。
随分とはっきりしすぎている気もするが――目の前でいきなり消えてしまったとなると怪異であることに間違いない。
詳しい話は、京子もしくは京子の相談者から聞くとしよう。
夏穂は命の手を引いて、二メートルの怪人について頭の片隅で考えながらカウンセリングルームへと歩いていった。
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