第52話 略奪の悪魔6

『魔女』と呼ばれているクラスメイト――里見夏穂に協力してもらうことになったけれど、件の『願いを叶える悪魔』の問題は一向に進展していなかったりする。


 それくらい、きらにだってはじめからわかっていたが――こう現実を突きつけられるのはやはり厳しいものがあった。ままならない現実に嫌な気持ちになってくるが、そんなことばかりはしていられない。こちらがまったく進展していない間も、『悪魔』の影響力は着々と広がっているのだから。


 きらはスマートフォンを取り出して、トークアプリのチャットグループを開いた。その中には『悪魔』に願いを叶えてもらったという書き込みが多数見受けられる。数えていないので正確なところはわからないが、日に日に願いを叶えてもらった娘の書き込みや、願いを叶えてもらいたいどうすればいいの? という書き込みが増えているように思えた。


 それはじわじわと侵食する毒のようである。即効性はまったくないが体内での分解ができず――気づいたときにはもう手遅れになっている、という類の。


 やっぱり不吉だ――ときらは思った。


 はやくなんとかしたいと思うが――この『悪魔』はまったく尻尾を現わさない。先日、夏穂と話した日から『悪魔』については、チャットグループでの書き込み以外まったくといっていいほど情報がなかった。これではなんとかしようにもなんとかできるはずもない。どうすればいいのかまるで筋道が見えずにいる。


 願いを叶えてもらったと思しき相手に、それとなく『悪魔』についてメッセージを送ったみたものの――わけのわからない返信が送られてくるだけで結局なにもわからなかった。そのあたりにも不気味なおかしさを感じる。なにもかもわからなくて、自分のまわりが暗黒に包まれているようだ。


 そもそも――


 この学園に現れた『悪魔』はどうして生徒の願いなんて叶えているのだろう? そこがきらにはわからなかった。やっぱり悪意――なにか騙す意図があるとしか思えない。


 だけど――


 願いを叶えてもらった娘たちには――なにかを奪われた、騙された、という話はまったく見られない。『悪魔』は奪われたことを自覚できないものを相手の知らないところで奪っているのか。


 もしくは――

 ――本当に無償で願いを叶えているのか。


 どっちなのだろう?


 願いを叶えてもらった娘たちの様子を考えれば、いまの段階ではどちらとも言えてしまう。その判断は難しい。


 しかし――

 この無慈悲な世界に無償で願いを叶えてくれる存在がいるとはどうしても思えない。


 いつの世だって、無償に見えるものにはそれなりの理由がある。それは社会における常識だ。それなりの理由もなく無償だった場合、前提として無理がある。


 そして、前提として無理がある場合、遅かれ早かれ破綻するはずだ。それは摂理とも言えるだろう。普通なら、考えられない。


 だが――


 相手は『悪魔』である。本当に『悪魔』なのかどうかはわからないけれど、『悪魔』だというのなら――


 人間には理解できない行動を取ってもおかしくない。

 そのようにも思う、が――


「本当にそんなものいるのかな? いままで幽霊みたいなのしか見たことないけれど」


 と、独り言をつぶやいたところで、いや――と思い直す。


「里見さんみたいなのがいるわけだし――いてもおかしくない、かな?」


 きらの後ろの席に座る夏穂は『本物』である。平然としているけれど、その中にはきらの想像もつかない『なにか』を孕んでいることは間違いない。曲がりなりにも霊感を持つきらには、彼女の裡にある『なにか』をおぼろげながらそれが感じ取れていた。


 とは言っても、きらには夏穂に対する嫌悪感はまったくない。ずっとクラスが一緒だったので、話せてよかったと思っているくらいだ。


 確かに、浮世離れしていて、不思議な雰囲気を持っている娘だけど――その程度で誰かを嫌いになれるほど、阿黒きらは人間ができていなかった。


 それにしても――クラス委員の仕事ですっかり遅くなってしまった。赤い夕陽が射し込む寮の廊下を進んでいく。


 そこで――

 カウンセリングルームの前で手持ち無沙汰な様子で突っ立っている小さな女の子の姿が目に入った。

 白井命である。


 カウンセリングルームの扉の横で佇んでいた彼女の様子は、自分と間違いなく同級生のはずなのに、親とはぐれて困り果てている幼い娘のように見えて、なんだかとても危なっかしいと思った。


 どうしてこんなところに一人でいるのだろう? いくら年齢よりも幼く見えるからといって迷子になったわけではあるまい。彼女だって高校生である。


 だけど――


 そうわかってはいたけれど、扉の前で佇んでいる彼女をこのまま放置しておくのはとても悪いことのような気がして――


「白井さん、こんなところでなにやってるの?」


 と、いたたまれなくなったきらは、気づいたときには命に話しかけていた。

 命は話しかけられるとは思っていなかったのか――わずかに表情を変化させてあわあわとまわりを見回していた。


 長くて柔らかそうな綺麗な黒髪を揺らしているその様子は小動物みたいでとても可愛らしい。思わず抱きしめたくなったけれど、その気持ちはなんとか押し留める。いきなり変なことして嫌われたくないし。


 それから命は、きらに視線を向けたかと思ったら、すぐに外されてしまった。もしかして自分はとても悪いことをしているのではないか、と思えてくる。


「突然話しかけちゃってごめんね。でも、なんか一人にはしておけなくてさ。迷惑だったかな?」


 きらの言葉に、困惑していた命はその動きを止め、少しだけ間を置いてから首を横に振った。どうやら、迷惑ではないらしい。それを見て、きらは少しだけ安心する。


「そういえば、里見さんはどうしたの?」


 命のことをあれほど可愛がっている夏穂が、この娘を放置してどこかに行くとは思えない。一体どこに行ったのだろう? それを少しだけ疑問に思っていると、命がカウンセリングルームの扉を指さした。


「三神先生とお話?」


 きらがそう言うと、命は小さく頷く。少し寂しそうに感じられた。それを見たきらはカウンセリングルームの扉に目を向ける。


 いつも命と一緒にいる夏穂が、彼女を同席させずに話をしていることを考えると――三神先生と夏穂は命の話でもしているのだろうか? 詳しい事情は知らないけど、この娘なにか訳アリみたいだし――


 そこで、きらは命が喋っているのを全然見た覚えがないことに気がついた。確か、喋ったのは転向初日の自己紹介のときだ。それ以来、彼女の声を聞いた覚えがない。それを思い出して、きらは命のことを放っておけないと思った。


 …………。


 きらは一度命に目を向けて躊躇し、それでもなにもしないのは嫌だったので意を決して――


「ね、白井さん、里見さんが戻ってくるまでお話しよ?」


 と、勇気を出してそう言ってみる。


 そんなこと言ったら逃げられてしまうんじゃないか――なんて思ったけれど、命は逃げ出すことはなかった。


 逃げ出しはしなかったけど――突然きらからそんなこと言われてすごく困っているのは明らかで――やっぱり悪いことをしている気持ちになってくる。


 しばらく無言の時間が続いた。


 ……どうしよう。

 自分で言っておいて、きらもなにがなんだかわからなくなってきた。そんな自分の至らなさが申し訳なくなってくる。


 そんな自己嫌悪に囚われつつ、目線を命に向けると――


 命は普段授業で使っているタブレットを取り出していて、恥ずかしそうにそれをきらのほうの向けていることに気がついた。タブレットの画面には『わたしと話なんてしても、楽しくないよ』と書き込まれている。それを見て、きらは少しだけ安心した。


「そんなことないって。それとも、わたしと話するの嫌かな?」


 きらが軽く笑ってそう返すと、命は首を横に振った。それを見て、きらは命が喋らないのはただコミュニケーションをしたくないからではないと気づく。


 彼女のそんな様子を見て、転校してくる前、一体なにがあったのか気になったけれど――それはいまの段階では訊くべきではないのだろう。


 なんとか距離を縮めたいところだけど――どうやったらいいだろうか? 無理に喋らせるのがいいとは思えない。なにかいい方法はないか? そんなことを考えていると――


「あ、それならさ、トークアプリのID交換しようよ。それならお互いお話しできるし――嫌じゃ、なかったらで、いいんだけど」


 恐る恐るきらはそう言った。言ってから恥ずかしくなって、少しだけ間を置いてから、命のほうに目を向ける。命は困った様子だったけれど、タブレットに『大丈夫』と書いてこちらに見せてから頷いてくれた。


 きらは心を躍らせながら命とIDの交換をする。


 それから、きらと命はとても近い距離でメッセージのやり取りを続けた。それはなんでもないやり取りにすぎなかったけれど――不思議と心地よいと感じられた。

 気がつくと、お互い壁に寄りかかってしゃがみ込んでいて――


「……なにやってんの」


 二人は、カウンセリングルームから出てきた夏穂に首を傾げられてしまった。

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