第46話 春と恋と金と炎14

「高校生が投資家の真似事ができるようになったわけか――時代も変わったもんだ」


 姫乃の前でそんなことをぼやいたのはスクールカウンセラーの三神教諭である。いつもと同じく、カウンセラーらしからぬ鋭い目つきをして、不機嫌そうな雰囲気を身に纏っているので、威圧されている気になってしまう。


 姫乃が三神教諭に呼び出された理由はもちろんわかっている。姫乃と先輩で行った、はなたちのグループが行ってきたことの暴露をした件だ。どうして先輩ではなく自分なのだろうと疑問に思ったけれど――呼び出しを無視するわけにもいかない。


 はなたちのグループが行っていたのは仮想通貨の投資だった。はじめのうちは彼女たちのグループだけで楽しんでいたのだが、いつしかクラスメイトから出資を募って行うようになったらしい。具体的な利益がどれくらいなのか不明だが、全寮制私立の生徒だけあって、結構な大金を自由にできる娘も結構おり、なかなか儲けていたようだ。


 だが――

 儲けるようになってから――彼女たちにも欲が出てきて、それが仲違いの原因となった。


 遊び半分ではなたちのグループに出資していた娘たちには当然のことながら金融関係の知識などろくに持っていない。それをいいことに、彼女たちは本来であれば払うべき分配金をろくに払わずに――その利益を自分たちで独占していた。それが加賀ゆいに反発を招くことになったのだ。


 他にメンバーたちの方針に反発した加賀ゆいは、出資した生徒たちにそれを暴露しようと考えた。それを知ったはなを含めた他のメンバーたちはそれをやめさせようとして、加賀ゆいに嫌がらせを始めた。その嫌がらせはだんだんとエスカレートして、最終的に加賀ゆいを自殺にまで追い込んだ。


 加賀ゆいがなにをされたのか――正直いって胸糞な話なので言いたくない。調べてわかったのは、欲に溺れ、自身を正当化できる理由が見つかれば――どこまでも人間は残虐になれる。それは未成年であっても同じだということ。


 自分たちの秘密を暴露しようとした加賀ゆいを自殺に追い込み秘密を守れて一件落着――にはならなかった。今度は友人を自殺に追い込んだことを悔いたはなの反発を招いてしまった。それが初等部から仲よくしていたグループにさらなる不和を呼び込んだ。


 しかし、はなは加賀ゆいがなにをされたのかわかっていたから――彼女のような目に遭いたくないと思ってなかなか行動に移せなかった。


 はなのことを臆病者という人もいるだろう。彼女が自身の保身のために行動に移せなかったのは事実だ。だけど――姫乃はそれを笑うつもりはない。


 自殺に追い込まれるようなことをされるとわかっていて――勇気ある行動ができる者がいるだろうか?


 それができる人間はとても少ない。


 異常が支配する環境において大抵の者は悪に走ってしまう。異常な環境で正しさを保ち続けるのはとても難しい。


 かつて行われた監獄実験で、異常が支配する環境は人間を簡単にゆがませてしまうとわかったように――加賀ゆいを自殺にまで追い込んだはなたちのグループに監獄実験であったものと似た『なにか』が蔓延していたことは確かである。


「ところで、ずいぶんと念入りに調べたようだが――なにをやったんだ?」


 三神教諭は姫乃に問うた。その言いかたには、それほど高圧的なものは感じられない。ただ純粋に姫乃がなにをしたのか気になっているようだ。法に抵触する行為はやっていないし、行っても問題ないだろう。


「たいしたことはやってません。ほら、最近の娘って――まああたしも最近の娘ですけど――スマホやらなんやらを持ってて当たり前なのに、SNSとかで個人情報垂れ流してるの多いじゃないですか。


「それにここ、今年から生徒一人にタブレットが支給されましたし、どこかに彼女たちの情報を垂れ流してるのがいるんじゃないかと思いまして。調べてみたら案の定いました」


 それでも不充分だったのなら、リスクを承知でネットで拾えるハッキングツールも使おうかと思っていたけれど――その必要はまったくなかった。


 実際にこんなことをやってみて、情報インフラがここまで整った昨今、早い段階から情報リテラシーの教育の必要性があるよな、自分も気をつけよう――なんてことも思う。


「あの、それではなちゃんたちはどうなるんでしょうか?」


 姫乃にはそれが心配だった。彼女たちのやったことは、教育の場で許されることではないだろう。なんらかの処罰は食らうのは確実だ。


 だけど――


 はなのことだけはなんとかして欲しいと思う。彼女は――自分がやったことを強く後悔し、ひどい目にも遭って、反省もしているはずだから。


 それが、自分勝手だというのはわかっているけれど――自分の感情に嘘はつきたくない。


「それは私に訊かれても答えられん。こちらはただのカウンセラーだ。生徒への処罰に対する裁量は与えられてないからな」

「…………」


 当たり前だ。カウンセラーにそんなこと訊いてどうする。訊くのなら、学年主任か生活指導か校長や教頭だろう。


「だが、教師から譲歩を引き出したいというのなら手伝ってやろう。貴様には借りがあるからな。お前は口がうまいようだから、コツさえつかめば教師程度ならなんとかできるだろう。遠慮はしなくていい」

「……あの、そういうこと生徒に言っていいんでしょうか」

「なにを言っている。私は生徒の相談に乗るのが仕事だぞ。相談内容がそういうものだったのなら、それを言ってなにが悪い」


 まったく悪びれる様子もなく三神教諭は言った。なんとも悪そうな口調である。それを聞いて、この人は意外と愉快なタイプなのではないかと姫乃は思った。


 しかし、はなのことをなんとかしたいのは事実だ。まだはなたちがどんな処罰を食らうのかわかっていないけれど、必要なら頼ってみよう。なにかできることがあるかもしれない。


「……質問がある。いいか?」


 神妙な口調になって三神教諭は姫乃にそう問うてきた。


「はい。なんですか?」

「どうしてお前は夏穂に関心を持った?」

「……えっ、それはあの、ひと目惚れといいますか――というか、どうしてそんなこと訊くんです?」

「普通の人間は、あの娘を忌避する。お前だってあいつがまともじゃないことくらいわかっているだろう?」

「それは、まあ、わかりますけど……」


 どうして尋問みたいなことをされているのだろう――姫乃はそれが不可解だった。


 そもそも、誰かに惹かれてしまうことを説明なんてできるわけがない。入学式を終えたあの日、桜の下で見かけた先輩のことがとても綺麗だったから――それ以外に理由などなかった。


 なのに――


「先輩に好意を持つのは、いけないことなんでしょうか?」

「いけないとは言わん。だが、やめておくべきだな。あいつは人の姿をした『なにか』だ。普通の人間があいつにかかわるとろくなことにならない。お前もあいつの噂をいくつも聞いたはずだ」


 三神教諭の言う通り、先輩に――『魔女』にかかわって大変な目に遭った話はいくつも耳にした。三神教諭までそう言うってことは、あれらの噂は真実なのだろう。


 それでも――


 姫乃は先輩のことが好きだった。先輩のことを振り向かせたいと、自分に関心を持ってほしいと思っている。


「最後に訊こう。もし、お前のその気持ちが誰かに植えつけられたものだったらどうする?」

「そんなの変わりませんよ。あたしの先輩に対する気持ちが誰かに植えつけられたものであっても、それは好きになるきっかけでしかありませんから」


 三神教諭の質問の意図はまったくわからなかったけれど――姫乃は強く答えた。


「そんなことが言えるのなら問題ない、か。悪かったな呼び出して。もう行っていいぞ」

「はい。失礼します」


 姫乃は一礼して、カウンセリングルームをあとにした。

 しばらく進んだところで――


「はなちゃん」


 はなの姿を見かけた。暴露を行った日に前川と森からひどい暴行を受けた彼女は顔中傷だらけで絆創膏やガーゼが貼られていた。そんな姿を見て、姫乃は心臓を握り潰されたかのように苦しさを覚える。


 なにか喋ったほうがいい――そう思ったけれど、なかなか言葉が出てこない。はながこんな目にあった原因は少なからず自分にもある。だから、なにか言わないと――


「大丈夫だよ姫乃ちゃん。こうなったのはわたしの責任だから。姫乃ちゃんのせいだなんて言うつもりはないからそんな顔しないで」


 あざと傷だらけの顔で、はなは笑った。痛めているのか、足も引きずっている。とても痛々しい姿だけど――はじめて会った日から、見たことのない晴れやかなものがいまの彼女からは感じられた。


「あのね、姫乃ちゃん。聞いてほしいことがあるんだけど――いいかな?」

「うん。なあに」

「あのね、わたし――学校辞めるつもりなの」

「…………」

「そんなのただ逃げるだけって思うかもしれないけど、それ以外にできることが思いつかなくて――ごめんなさい」


 そう言ったはなからは、強い決意が感じられて――姫乃には止められないと、止めてはいけないと思った。


「だから、学校辞めても――友達でいてくれたら嬉しいな」


 はなは、傷だらけの顔をはにかませてそう言った。


「そんなの、当たり前じゃないですか」


 それをなんとか絞り出したところで――姫乃はこらえ切れなくなって、怪我をしているはなにすがって大声で泣いてしまった。


 しばらくすると、はなの嗚咽も聞こえてきて――二人はひと目もはばからず涙が出なくなるまで大声で泣いた。

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