第45話 春と恋と金と炎13

 あの『魔女』は一体なにがしたいのだろう――ここ最近、はなたちのグループを嗅ぎ回っている『魔女』のことを思い出した。


 森も前川も、はなが暴行した大槻も『魔女』からあれこれと詮索されているらしい。やはりあいつはなにか知っているのか――自分たちが行っていることについて――なにか知っているのではないか?


 そうとしか思えない。


 だから『魔女』は他のメンバーたちにそんなことをして揺さぶりをかけているのだ。こちらがボロを出すのを狙っている。間違いない。そこにはきっととても大きな悪意が秘められている。


 そうでなければわざわざこんなことをするとは思えない。なにしろ相手は『魔女』なのだ。悪意にまみれているに決まっている。


 どういうわけか、『魔女』は自分の前には現れていない。大槻に暴行した日に口を出されてから、『魔女』は、はなの前には現れていなかった。本当にあいつはなにを目的にしているのかまったくわからない。その不可解さに、はなは苛立ちを隠せなかった。


 でも――よかったこともある。


『魔女』が詮索してきたおかげで――はなたちのグループは崩壊寸前になっていることだ。五月の連休まで保たないだろう。


 仮に自分たちのやっていることが明るみに出なかったとしても、初等部から仲よくしていたグループはたいした時間を必要とせず崩壊する。


 もともと、ゆいが反発した時点でグループ内に不和は生じていた。そこで崩壊しなかったのは、はなも含め全員が自分の保身に走ったからだ。そこに、突如現れたゆいの幽霊による無数の怪事件とグループメンバーだった竹内の焼死、そしてかかわると必ず不幸になると言われている『魔女』が首を突っ込んできたのである。そこまで重なれば、崩壊して当然だ。自分たちは所詮、高校生の仲よしグループでしかないのだから。


 どうあがいてもはなたちは不幸になる以外の道は残されていない――それを思うと、もはや絶望すらしなくなった。自分も追い詰められすぎて、壊れてしまったのかもしれない。そうでなければ、大槻にあんなひどい暴行を振るうはずがない――と思う。


 しかし――


 自分がおかしくなっていようが、もはやどうでもよくなっていた。それならいっそ完全に壊れて狂ってしまえばいいと思っている。狂ってしまえば、苦しいことなんてなくなるはずだ。


 もう一度、大槻にやったようなことをすれば、弱くて卑怯で愚かな自分は壊れて狂ってくれるだろう。現にあのとき、『魔女』に口出しをされなかったのなら、あのまま森か前川に同じことをやっていたに違いない。


 そうなれば、そのまま二度と戻れぬ狂気の谷に堕ちていたはずだ。それで人としての尊厳を失うことになっても、これ以上苦しむこことはなかった。いまとなってはどうしてあのとき踏みとどまってしまったのだろうと後悔するばかりだ。どこまで中途半端なら気が済むのだろうかとはなは自嘲した。


 結局のところ――自分はなにもできなかったのだ。正しくあることも、卑怯であることも、狂気に堕ちることもできなかった。どれも中途半端に片足だけ突っ込んで、もう片方を入れようとしたところで怖くなって引いてしまう。なにもできない無力なクズの典型だ。いつからこんなふうになってしまったのだろう。


 いや――


 たぶん、はじめからそうだったのだ。それを自覚していなかっただけで、自覚せずに済んでいただけで――ずっと昔から――生まれる前からそうだったに違いない。中途半端でなにもできない――それが赤城はなの真実なのだ。


 ――死んだほうがいい。

 心からそう思う。

 だけど――


 死ぬのだって、結局できないのだ。


 自分は――前にも後ろにも進めずに、その場でしゃがんで震えるばかり。無力。無能。愚鈍。そんな言葉が実に似合っている。

 どうして――ゆいは早く殺してくれないのだろう。殺してくれれば――竹内にやったように青い炎で燃やしてくれれば――楽になれるのに。


 でも――殺してほしいなんて思うのは――

 自ら死を選ぶ勇気がないからだ。

 自分ではできないから、死んだ者にすら頼る。どこまでも深く染みついた卑怯者の根性に辟易せざるを得ない。


 どうすればいいのだろう。なにもかも暗黒に包まれている。光は一切見えず――そして、暗黒の中には得体のしれない化物も潜んでいる。それは、あまりにも恐ろしい光景だ。


 いっそこうなったら――


 自分の知っていることを――自分がやってきたことをすべてぶちまけてしまおうか。そうするだけでも、多少楽にはなれるだろう。


 どうせ、そう遠くない日にグループは崩壊する。いいじゃないかそれで。自分だけ楽になってなにが悪い? 自分だけ逃げてなにが悪い? どうやったって自分たちは燃やされて死ぬのだ。青い炎で燃やされて、悪臭を放つ廃棄物になるそれまでの短い間――楽になりたいと願うのは悪いことなのか――


 すべてを打ち明けるのなら――誰がいいだろう。

 そこで真っ先に思い浮かんだのは姫乃だった。

 彼女になら、話してもいい。あの娘なら――自分たちがなにをやったのか知っても、軽蔑しないと思えるから。


 そうだ。そうしよう。それでいいじゃないか。殺されてしまうのなら、解放された気分になってからのほうがいい。それで、自分の罪を少しでも精算できるのなら――


「おい、はな」


 そう決心したところに聞こえてきた声。背後を振り向く。そこには森と前川二人の姿があった。未だに仲よくつるんでいるらしい。集まったところで、もうなにもならないのに。馬鹿みたいだ。せっかく高まっていた気分が台なしになってしまった。


「……なに?」


 こいつらの顔なんて見たくなかったはなは不躾に言った。今さらなんの用だ? お前らのことなんて知ったことじゃない。お願いだから、放っておいてくれ……それ以外、思うことはなにもなかった。


「お前、あたしらを裏切ったらしいな」


 そう言ったのは前川だ。前川の口調には明らかな苛立ちと焦燥が感じられた。こいつも同じように、追い詰められているのは確かである。


 だが――


「言ってる意味がよくわからないんだけど」

「とぼけるんじゃねえよ!」


 いきなり叫んだ前川は、はなの腹に目がけて前蹴りを繰り出してきた。突然のことだったので、その蹴りは腹に直撃してしまう。腹を思い切り蹴られたはなは、うめき声をあげたのちにその場に膝をついた。なにも言い返すことができない。なにがどうなっている? いきなりの攻撃とまったくつかめない状況が重なって困惑して、息ができなくなっていた。


 前川は、前蹴りを食らってしゃがみ込んだはなの胸ぐらをつかみあげてそのまま壁に何度も押しつけてきた。後頭部を何度も壁に押しつけられて、目の前がちかちかする。


「お前、あたしらのことを『魔女』に話したらしいな。なめたことしやがって。このところ反抗的だったけどさあ、どういうつもりなわけお前?」


 いつかの自分と同じように、前川の口調は荒々しく、そして嗜虐心に溢れていた。胸ぐらをつかみあげたまま、何度も何度も壁に頭を叩きつけてくる。それは、いままでの鬱憤をぶつけているようだ。


「そのへんにしておかないと死んじゃうわよ」


 そう言って前川を止めたのは森だった。口ではそんなこと言っているものの、その口調には明らかにはなに対する侮蔑が込められている。森の言葉で、前川は止まって手を離した。前川の暴行から解放されたはなは、壁に手をついて咳きこんだ。未だに状況はつかめない。一体こいつらはなにを言っているのだろう?


「あなた、自分だけ助かろうっていい度胸してるじゃない。ほんっとむかつくわ、この偽善者!」


 森は唾を飛ばしながらはなの髪の毛をつかんで怒鳴り声をあげる。髪の毛を思い切り引っ張られて激痛が走ったかと思ったら、無防備になった腹に今度は膝蹴りを入れられ、そのまま後ろに突き飛ばされて倒れ込んだ。


 どうしてこんなことをされているのだろう――いきなり暴行されたはなにあったのはそれだけだ。まだ自分はなにもしていない。なにもできなかった。それなのに、どうして――


 倒れたはなを見下しながら森と前川は近づいてくる。二人とも、鼻につく笑みを浮かべていた。実に楽しそうだ。暴力を振るうことが楽しくて仕方ないのだろう。いつかの自分のように。二人とも追い詰められて、どこか壊れてしまったのかもしれない――そんなことをはなは他人事のように思った。


「死ね」


 芋虫みたいに地べたに転がっているはなの顔面に向かって、前川のつま先が飛んできた。とっさに腕で防御したものの、容赦なく打ち込んできたつま先は腕での貧弱な防御などいともたやすく貫通する。押し潰された鼻に鈍痛が走り、腕には鼻血がべっとりと付着した。


「死ね」


 今度は森のつま先が飛んできた。顔面を防御してがら空きになっていた鳩尾につま先が突き刺さった。その衝撃で息ができなくなって、はなはもたもたと芋虫みたいにのたうった。もはや、痛いも苦しいもなくなっている。


 それから、とても長い時間――はなは前川と森の足に踏んだり蹴られたりした。はなは、みっともなく丸くなって、その嵐を少しでも防ごうとする。暴行されている間も、二人の楽しそうな声が聞こえてきた。耳のあたり思い切りを踏みつけられたあとは、それもよく聞こえなくなった。かわりに聞こえてくるのは耳鳴りの音。殺される――そう思った。


 だけど――それも仕方ないとも思う。然るべき罰を受けただけのことだ。そういうことなのだろう――だんだんと意識が遠のいていって――


「ずいぶんとひどいことされたわね」


 そんな声が聞こえてきた。誰の、声だろう? それを聞いて、自分は生きているのだというのが理解できた。殺されても仕方ないと思っていたはずなのに、生きていたことに安心している自分がいる。それがとても不愉快だった。


「そこまで自分を罰する必要なんてないんじゃないかしら。知ってる? 犯罪者にも人権ってあるのよ」


 声が聞こえてきた方向に目を向ける。蹴られて腫れているのか、とても視界が悪かった。そこにいたのは――


 しゃがみ込んで、無様に転がっているはなの顔を覗く『魔女』であった。


 前川と森にとことん痛めつけられたはなは――『魔女』のことを見ても、『魔女』の宇宙みたいな空虚な目で見つめられても――いつかのように恐怖を感じなかった。


「保健室に連れていってあげるわ。あなたがこんな目に遭ったのは、私が思わせぶりなことを言ったのが原因だし。まあ、あなたのことはなんとも思ってないんだけど――問題解決に協力してくれた埋め合わせはしてあげる」


『魔女』はそんなことを言って、倒れているはなを起こしていく。『魔女』の体温は、人間のそれとは思えないほど冷たい。でも、暴力を振るわれて身体のあちこちが熱を帯びているいまの自分にはそれほど不愉快ではなかった。


「それとね、もう怖がる必要はないわよ。決着はついたから。あなたたちがどういう処罰を受けるのか知らないけれど、燃やされて死ぬことはないから安心してちょうだい」


 それはどういう意味だろう。はなは『魔女』がなにを言っているのかまったく理解できなかった。


 でも、なんでかとても安心できて――

 いつもより騒がしい校内を進んでいると――はなの意識は再びそこで途切れた。

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