#5

第47話 略奪の悪魔1

 そこにもう秩序はない。いま阿黒あくろきらの前に広がっているのは、もはや学校という場所で行われるものではなかった。


 響くのは明らかに正気を失った怒声と抑えきれなくなった感情を好き放題に発散するかのように行われる暴力行為。全寮制私立に通う、育ちのいい年頃の女子たちがこんなことを繰り広げているのは何故だろう?


 なにかがおかしい。


 高校生はまだ子供だ。身体は大人と同様に大きくなっていても、精神的にはまだ未成熟である。精神が成熟するには最低でもあと十年は必要だろう。


 だけど――


 いくら子供だからといって、こんなことをするのはどう考えてもおかしい。いまきらの目の前で繰り広げられている無秩序は学級崩壊した小学生レベルのものだ。そもそもこの学園は進学校である。全寮制の進学校に通う娘たちが、こんな小学生レベルにまでなってしまうものだろうか?


 ――おかしい。

 この混乱には――なにかがある。


 相変わらず教室では怒号が飛び交い、場所によっては取っ組み合いの乱闘が起こっている。もはや収拾がつけられなくなっている。


 取っ組み合いをしていた娘が突き飛ばされて倒れ込んできた。きらの使用する机はその娘によって思い切り倒されて、中身が飛び出てしまった。頭を机にぶつけて一瞬動きを止めたあと、闘犬かなにかみたいに目を血走らせて、なにか意味不明な叫び声を上げながら彼女のことを突き飛ばした娘のところに向かっていく。そしてまた乱闘が始まった。


 かつて、きらは何十年も昔に行われたという学生運動の映像を見たことがある。何万もの学生が集まって、警察と暴力的な衝突を繰り返したという戦後日本の一世を風靡した潮流。ここで行われているものはかつてのそれよりも圧倒的に規模は小さいが、どこか似ているように感じられた。


 これが、暴力が暴力を生む――という状況なのだろうか?

 きらは暴力なんて嫌いだ。基本的に正当化していいものでもないと思う。


 しかし――


 ある程度の自制心があるはずの高校生の娘たちが、癇癪を起こした子供みたいに暴れて衝突しているのだろう?


 まるでどこか、壊れてしまったみたいだ。

 そうでもないと、こんなこと――


「どうして、こんなことになっちゃったのかな?」


 きらの前でこんな混乱などまったく目に入っていない娘に声をかけた。狂気と暴力と怒号に支配されたこの場所において数少ない冷静さを保っている娘。


 里見夏穂さとみかほ白井命しらいみことだ。


 彼女たち二人には、たとえこの場が暴力と狂気に支配されていても、そんなものは自分たちには関係ないという感じである。


「さあ」

「…………」


 そんなの当たり前だ。きらと彼女は、いまここに戻ってきたばかりなのだ。ここでなにが起こっていたなど知っているはずもない。


「ねえ、里見さん。最近、噂になってた『願いを叶えてくれる悪魔』ってこれに関係してるのかな?」

「……どうでしょうね。これは異常だし、なにか関係しているとは思うけれど」


 夏穂は一切の感情を感じられない空虚な口調でそう言った。人間味がまるでない言いかたである。


「それにしても――願いを叶える、ねえ。願おうが課金しようが勝手だけど、関係ない人間に迷惑や面倒をかけないでほしいわね。そこまでして叶えたい願いとかあるのかしら」


 人らしさを欠いた口調で、的外れなことを言う夏穂。でも、そんなことを言うほうが彼女らしい、とも思う。


「普通、叶えたいことなんてたくさんあるものだよ」

「ふーん」


 夏穂は興味なさげに頷いた。他の誰かにこんな反応をされたら少しイラっとするけれど、この状況で相手が彼女だと、それにも妙な安心感がある。


『願いを叶える悪魔』


 秋も終わり始める十一月になってから、この月華学園で流れ始めた噂話。

 やっぱり、この騒動にはあれが関係しているのだろうか?

 そいつに願った結果、なにかをされてしまったのだろうか?


「ま、知ったことじゃないで済ませたいところだけど――命が暴行を受けてるし、放っておくわけにもいかないわね――ねえ阿黒さん。手伝ってくれないかしら?」

「手伝う――いいけど、わたしはなにをすればいいの?」

「それはまあ、おいおい考えるわ。なにやら色々と込み入ってそうだし」

「うん」


 おいおい考えるというのに不安を感じざるを得ないが――この問題をなんとかしたいのはきらとしても同じである。


「それじゃ、とりあえずここにいると危ないし、どこか別の場所に行きましょうか」


 夏穂にそう言われ、三人は暴力と狂気が荒れ狂う教室をあとにした。

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