第21話 嫉妬の夢魔11
果たして、あれは効果があったのだろうか。いつもより早い時間に寮を一人で出た夏穂は昨日のことを思い出しながら道を進んでいく。
期待などはじめからしていない。とはいっても効果がなかったのなら、後輩と一緒になって午後の授業をサボって行ったことが骨折り損になることは確かである。たいしたことはしていないので、骨折り損でも構わない。
構わないが、次の手段を考えるのが面倒くさい。いまのところ次の手立てがまったく思い浮かんでいなのである。夢での悪さを現実で引き起こしてくる輩をどうやって特定すればいいのだろう。まったくわからん。わからないのはいいが、とても面倒くさい。
『いや、面倒じゃねえだろ』
オーエンが頭の中に不思議な声を響かせる。呆れている物言いだった。どこがおかしいというのだろう?
「なんで? これでほいほい来てくれなかったら面倒くさいじゃない」
『そうだけどさあ。お前、あの小娘のためを思ってなんとかしようと思ってるんじゃないの? なんかこう、事件を解決しようって気概がなさすぎない?』
「私としては、あの娘の変な夢を見させるのをやめてくれればいいわけだし、夢での悪さを現実化する事件を解決する必要性はまったくないしね。私には、命以外どうなろうが知ったことじゃないのよ」
それが夏穂の本音である。
どうにかしたいのは命のことであって、夢であれこれやっている悪さを解決したいわけではない。
同じ学校に通っているだけの見知らぬ誰かがどうなったところで、なにがどうなるものでもない、というのが夏穂の本音であった。
『お前ってほんとどうかしてるよな』
「どうかしてなかったのならとっくの昔に死んでるわ」
『違いねえや』
オーエンは夏穂にしか聞こえない笑い声を響かせる。
『で、来たらどうするんだ? ジャパニーズ名物DOGEZAでもすんの?』
「それで済むなら土下座でもなんでもするけれど――昨日の夜、命から聞いた話からすると、夢の中で何度も殺してくるような奴だから、私がお願いしてもやめてくれなそうよねー。悪意ありまくりだし。ちゃんと話し合いできる相手かしら」
『姿が人間ってだけのエイリアンのほうから話し合いを切り出されるとは世も末だな。これが噂のクールジャパンか?』
「クールジャパンかは知らないけど――私がエイリアンってのには同意するわ。エイリアンでも、一般的に人がどういうふうに考えて、どう感じるのかについてそれなりに理解しているのよ。生きるために必要だったし。
これでも昔は普通の人間だったのよ、私――ま、いまとなっては共感はまったくできなくなってしまったけれど」
『なおさら性質がわりーよ。というか、本当にお前って救いようがないな』
「救いようがあったのなら、生きていないって」
だからこそ――夏穂は命のことを尊いと思うのだ。
救いようがないところまで堕ちていかなければ生きていけなかった夏穂と違って、あの娘はヒトであろうとしているから。
だから、余裕のない身であるのにもかかわらず柄にもないことをやっている。
「……一つ訊きたいのだけれど」
『なんだよあらたまって』
「私、あの娘に嫉妬してるのかしら?」
『知るか。俺は人間じゃねえし、そもそも俺は人らしさをすべて失ったお前から生まれたモノだ。人のことなんて永遠に理解できねえよ。まあでも、嫉妬はしてねえんじゃねえか』
「……どうして?」
『お前はただ自分ができなかったことを――自分にはないものを羨んでいるだけだ。お前にしてはなかなか綺麗なものだと思うぜ俺は。というか、自分にないものを羨ましく思うのは嫉妬なのか?』
「どうなのかしら。似ているとは思うけれど――憧れる気持ちがすべて嫉妬とは言えないわね。たぶん」
『じゃあ違うだろ。お前が抱いているそれは間違いなく憧れだ。嫉妬なんかじゃない。嫉妬してるのなら、あの娘をこうやって手助けなんかしてないだろうよ』
「……そう」
『嫌そうだな』
「嫌じゃない。ただ意外すぎて驚いてるのよ。いまの私にもこんなことができるんだなって。全部死んだのかと思ってたけれど――案外生きているのかしらね」
『それはなかなか考えさせられる問題だな。哲学的と言える』
自分のうちにいる正体不明とたわいもない会話をしながら、まだ生徒の数が少ない敷地内を進んでいく。どうやら、今日はどこの部活も朝練はしていないようだ。ツイている――かもしれない。
一応、夏穂は自分の背後も確かめてみる。角を折れたあと、すぐに引き返して背後を確認してみた。しかし、誰の姿もない。敷地内は相変わらず閑散としている。どうやら誰かにつけられていることはないようだ。
次の角を曲がれば呼び出した場所だ。果たして――
角を折れた先には、女子生徒が一人だけ立っていた。どうやら分の悪い賭けは当たってくれたらしい。ほかに誰か呼び出していて、それとブッキングしている可能性はあるが――こう都合よく起こらないだろう。現実世界では、都合のいいことも悪いことも都合よく起こったりしないのだ。
向こうにも近づいてくる夏穂の姿が見えたようで、こちらに視線を向ける。
すると、その女子生徒はなにか見てはいけないものを見てしまったかのような顔をして、夏穂を注視していた。そんなに嫌われているのだろうか、と夏穂は思いながらその女子生徒に近づいていく。
「どうして里見さんが……」
そう呟いた女子生徒がとてつもなく動揺しているのは夏穂にもありありと感じられた。女子生徒から向けられる視線には、ただの動揺以外にも妙なものがある。なんだろう、これは。自分が行った悪さを見破られたからとは思えなかった。
「どうしてって、それは私が呼び出したからでしょう。あなたなに言ってるの?」
その言葉を聞いた女子生徒は、さらなる驚きを見せている。なにをそんなに驚いているのだろう。そんなに自分のやることに自信を持っていたのか。
「どうやって、私を呼び出したの?」
「簡単よ。かかわっているのはこの学園の生徒なのだから、全員呼び出しただけ。とりあえず高等部の生徒全員。あなたが受け取った手紙は他の生徒も受け取ってたのよ。気が多くてごめんなさいね。これしか手段がなかったものだから」
「……っ」
女子生徒はなんとも不服そうな顔をしている。まさか、このようなあほくさくて単純な手段を使っているとは思わなかったのか。
「……まあいいわ。それで、私を呼び出してどうするつもり? なにをやっているのかわかっているのでしょう?」
「そりゃあ、お願いだけど。決まってるじゃない」
「お願い?」
女子生徒は一瞬だけ気の抜けた顔をして、それからすぐに表情を改める。
「ぶっちゃけ、あなたがなにしようと別に構わないのよ。夢で誰かを殺そうが、その結果として現実でなにかの不幸が起ころうが知ったことじゃない。私に止められるものでもなさそうだし。だから、お願いなのよ。それともこう言ったほうがいいのかしら。お互い、いい感じに妥協しませんかって」
「どういう、ものかしら?」
「白井命にちょっかいを出すのをやめてもらえないかしら」
「…………」
「どうしてそんな顔をしているの? たいしたお願いでもないと思うのだけれど。それとも特定の誰かを狙うのができないのかしら? 土下座でもしたほうがいい?
「それくらいだったらいくらでもしてあげるけれど。なんなら、土下座した私の頭をそこにある石の上に載せて思い切り踏んでもいいわよ。なにか条件があるのなら遠慮なく言ってちょうだい。私にできる範囲のことならいくらでもやるわ。どうせたいしたことでもないし」
「……して」
夏穂の言葉を聞いた女子生徒は重苦しく呟く。
「はい?」
「どうして、そんなこと言うの!」
なにかタガが外れたかのように、女子生徒は目を血走らせてヒステリックな大声を張り上げた。
「どうしてって……意味がよくわからないんだけど。というか、命にちょっかい出さなきゃ好き勝手やっていいって言ってるんだから、妥協案としては悪くないと思うのだけど」
「そういう、ことじゃない!」
女子生徒はその目に狂気をにじませて喚き声をあげて、拳で思い切り体育館の壁を殴りつけた。痛そうな、鈍い音が聞こえてくる。女子生徒のこの様子には、夏穂ですら尋常ではない『なにか』が感じられた。なんだろう、これは。
だが、夏穂にはこの女子生徒がいきなり豹変した理由がまったくわからない。今回ばかりは激高させるようなことは言ってないはずだ。
夏穂が言ったのは命に悪さをするのをやめてくれ、それをしてくれるのならあとは好き勝手にどうぞ、である。これのどこに怒らす要素があるのだろう。まあ、人がなにで怒るのかなんてわからないものだけれど。
「そんなに……そんなにあの娘が大事なの?」
女子生徒はその目にはさらなる狂気を孕んでいた。それは正常の範囲を越えているように思える。それでも、彼女の怒りと狂気はとどまることを知らない。狂気を孕んだ怒りはさらに増大させている。
「そりゃあ、まあ。大事じゃなきゃこんなことわざわざしないし」
何故こんなことになっているのだろう、と夏穂は考えていた。命に手を出さなければ、あとは好き勝手どうぞといえばわりと簡単に終わると思っていたのだが――どうやら夏穂の思惑は外れてしまったらしい。いつもの通りである。自分の予想なんてアテにするものじゃない。
「大事って、どうしてあの娘が大事なのよ! あの娘になにがあるっていうの? どうして、どうして……!」
「どうしてとか言われましても……なんというか――あの娘には私とだけ共有できるものがあるから、かしらね」
「…………」
「それと、私はあの娘に憧れているらしいのよ。あの娘は私にはできなかったことができているから、失わなければならなかったものを失わずにいるから。自分にできなかったこと、失ったものを持ってる他人って尊いと思わない?」
「なによ……それ」
女子生徒は信じられないという顔をしている。彼女は一体どのように自分のことを思っているのだろう、と夏穂は考えていた。
「嘘だ。里見さんは誰にも関心なんて持っていないのに! あの娘だけ特別扱いなんてするはずがない! それなのに、どうして! どうしてあのとき私を助けてくれたのよ! 助けてくれたのなら、私になって関心を寄せてくれたっていいじゃない!」
その声がとてつもなく悲痛なものだった。
けれど――
「…………」
「どうして、そんな顔をしてるの?」
「えーと、大変言いにくいのですが――私、あなたになにかしましたっけ? てっきり初対面だと思っていたんだけど」
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