第18話 嫉妬の夢魔8

 ――また、私は夢を見ている。


 以前と同じく、変化を続ける色々な世界を次々と巡り、そして最後には誰かのいる世界に辿り着く。そこは、その誰かと私以外には誰もいない死んだ街だった。


 そこにいたのは、クラスメイトだ。前と同じく、声をかけても反応はなく、私に気づく様子はない。ただそこに、なにもせず佇んでいる。


 本当に、この世界はなんなのだろう。

 本当に、これは夢の世界なのだろうか?

 本当に、ここは――


 私はなにもせず佇んでいるクラスメイトに近づいていく。クラスメイトはやはり気づかない。直立不動でその場に突っ立ったままだ。


 一つだけ、疑問がある。

 ここが本当に夢の世界であるならば――ここでなら私はなにもかも自分の思い通りにできるのではないかと。


 そんなことを思うと、鼓動が急激に速まって、体温が上昇し、一度だけ唾を飲み込んだ。


 できないと思うな。

 ここは夢だ。現実とは違う。

 この夢の世界において、私は全能に等しい存在だ。

 なにもかもできると思え。

 ここではすべてが思い通りになる。


 気づけば私は、ここで引き起こしたことが現実になってしまう恐怖よりも、本当にここで起こしたことが現実になるのかどうかの興味のほうが大きくなっていた。


 もし、そうならば――


 ――誰かの笑い声が聞こえた。


 随分と醜悪な笑い声だった。一体、誰のものだろう――と、少しだけ疑問に思った。

 気がつくと私は、変な匂いのする液体が入ったペットボトルとライターを持っていた。


 これを――

 ごくり、と唾を飲み込んだ。


 緊張しているせいか、息が苦しい。なにかまとわりついているかのように身体も重たい。


 ――本当に。

 クラスメイトは相変わらず気づく様子はない。どこからどう見ても隙だらけだ。


 ――なにを躊躇する必要がある?

 しょせんこれは夢だ。

 夢でなにをしようと自由じゃないか。


 仮に――

 それが現実に反映されるのだとしても。

 夢での出来事と、現実での出来事を繋げられるはずがない。


 ――だからいいじゃないか。

 私のどこかにある悪い部分がそんな囁きをする。

 ここでなにをしようが、現実の私と関連づけられる者は誰もいない。


 ――やってしまえ。

 自分の声で囁かれるその声はとても強い力が感じられる。


 その囁きによって――私の背中は押し出された。


 これは、私に与えられた権利なのだ。ためらう必要なんてどこにある? ここでなにをしたところで罪に問われることはあり得ない。ここでためらうほうが愚かで無意味だ――


 それさえできれば――


 黒い感情が私の中に渦巻いて支配していく。その感情は、とても甘美で抗いがたい魅力があった。一度その魅力を知って堕ちてしまえば、弱い私は戻れないだろう。悪の味というのはそれほどに甘美だ。果たして、それでいいのだろうか?


 なにを言っている?

 いいに決まっているじゃないか。

 手に入れた権利の行使をためらう必要は一切ない。


 これを使って、あいつからあの人を奪ってしまえばいいだけの話。

 ――私の愛しい人を奪っていったあいつを――


 これさえあれば――

 私からあの人を奪ったあいつを――


 ――殺すことだって、できるのだ。


 私は手に持ったペットボトルの中身を、直立不動で佇んでいるクラスメイトにぶちまけて、火を点けたライターを投げつけた。


 醜悪な笑い声が木霊する。

 なんて邪悪な声をしているのだろうと思った。

 こんな声を出すのだから、とんでもない悪人に違いない。


 灯油を浴びて火を点けられたクラスメイトは瞬く間に全身が燃え上がっていった。全身が燃え上がっているのに、クラスメイトは悲鳴の一つも上げない。人の肉が焼ける匂いがやたらと香ばしく感じられた。今日の夕食はなんだろう。肉がいいな。


 気がつくと、私は現実へと戻っていた。授業中。そこにはいつも通りの光景。私の手には灯油の入ったペットボトルもライターもなく、肉が焼ける香ばしい匂いも感じられない。当然、先ほど夢の中で無残に燃やされたクラスメイトだって無事だ。夢の中で焼死したことなど気にも留めず、真面目に授業を受けている。


 さて。

 本当に――夢の中で燃やされたクラスメイトは、現実でなにか事故に巻き込まれるのだろうか?


 それを思うと、胸の高鳴りが収まらなかった。

 それは、先ほど夢の中で感じた高鳴りとは明らかに別種のもの。

 いまの私は、とてつもなく醜悪な愉悦を感じている。


 夢で起こったように、現実でもクラスメイトは燃えてしまうのかが楽しみでしょうがない。本当に起こるのかという疑問と、本当に起こってほしいという醜悪な期待がない交ぜとなった愉悦を感じている。


 ああ、そうかとそこで私は気づく。

 夢の中で聞こえたあの醜悪な笑い声は私のものだ。

 それを自覚しても、不快感はまったくない。

 自分の邪悪さに、呆れるのを通り越して感心する。


 私がこんなことをしているのに、いつも通りの光景を見ているのはとてつもなく滑稽だ。


 日常なんてものは、こんなにも簡単に壊れてしまうのに。私は邪悪に堕ちてそれをはっきりと理解してしまった。

 日常がずっと続くと信じで疑わないなんて、どいつもこいつも頭が悪すぎる。それではあのクラスメイトのように悪い奴に燃やされてしまうぞ。


 クラスメイトはいつ燃えるのか、それを楽しみにしていたが、その授業ではなにも起こらなかった。すぐには起こらないとはわかっていたけど、それでもやはり少しだけショックを受け、不安が大きくなる。


 しかし――

 その不安は次の時間で歓喜へと変わった。


 調理実習の時間で、実習室のコンロになにか不具合があったらしく、ちょっとした小火が起こって、そのクラスメイトの髪に飛び火したのだ。


 はっきりいって小火騒ぎはたいしたことではなかった。その場で消し止められる程度にすぎなかったし、運悪く火がついてしまったクラスメイトだって髪先の一センチほど燃えただけだ。夢のように丸焼けにはなっていない。


 ――それでも。

 それでも私はとてつもない歓喜を抱かずにはいられなかった。


 だって、夢で起こしたことを、現実でも起こせることに変わりないのだから。

 夢で起こしたことを現実でも引き起こせることに変わりないが、その影響力はまだ小さい。


 まだ、この力を扱うことに慣れていないからだろうか?

 どちらしても、道は開かれた。

 私を遮るものはもうなにもない。

 ああ、なんて素晴らしいのだろう。


 私は――

 私は自分の妄想を現実にする力を手に入れたのだ。


 これさえあれば――

 いままで手に入れることが叶わなかったものを手に入られる。


 調理実習が終わったら、次の時間も居眠りをしてみよう。

 早く、夢で起こせることをそのまま現実にできるようにしなければ。


 それができるようになれば――

 こらえ切れなくなって、くつくつと笑い声が漏れてしまう。


 やっぱりその声は、とてつもなく醜悪だった。

 待っててね、里見さん。あなたをすぐに私のものにしてあげるから。

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