第3話 透明人間と暴食2
また誰かの記憶が混じりこんでいたらしい。ベッドに寝転がったままうたた寝していた
どこかの誰かの記憶を頻繁に見るようになったからといって、それになにか感じるわけではない。はっきり言って、誰の記憶が混じりこんでくるのに快も不快もまったくなかった。
明らかに自分のものではない記憶を見せられても――なんだろう、反応に困る。そんなもの見せられたところでどうすればいいんですか、と。そう思うわけだ。
誰かの記憶を見せられたところで夏穂がなにかできるわけでもない。いまの自分にできるのは、悪意を向けてきた人間を破滅させることだけだ。そんな輩に他人の記憶など見せてなにになるのだろう――夏穂にはそれ以外の感想はまったく浮かばない。
見せてどうする。あほか。
助けてほしいのなら、もっと他に誰かいい奴がいるだろうに。助けたがりの人間なんて世の中に腐るほどいるぞ。
『まあ、そう言うなよ。お前の見てるそれは勝手に受信してるモノだ。誰かが助けてほしくてお前の頭ん中に流し込んでるわけじゃないぜ。まあ受信してるのは俺なんだが』
突如として頭の中に響く声。性別も年齢も判然としない不思議な声だった。こいつの声が不意に頭の中に響くのにももう慣れてしまった。頭の中に誰かの声が響くからといって、夏穂になにか不都合があるわけじゃない。慣れてしまえばこれもなかなか悪くない暇潰しになる。まあ、大抵の人間は嫌がるだろうが。それは夏穂の知ったことではない。
「受信って、またどっかの誰かが厄介ごとを起こしてるってわけ?」
夏休み明けの一件が済んでから、ここ最近は平和に暮らせていたというのに――穏やかな日常というのは長く続かないものらしい。人間の歴史は戦争の歴史って言われてるくらいだし、そういうものなんだろう。たぶん。知らないけど。それも知ったことではない。
『さあな。誰かが起こしたのか、自然発生なのかはわからんね。なにしろここはおかしなものを惹きつけやすい。外じゃ滅多に起こらないことでも、ここでなら簡単に起きる。知ってるだろ?』
「……まあ、そうねー」
夏穂が通っている月華学園は全寮制の女子校だ。小学校から高校まで一貫教育。創設は昭和初期。あと数年で創設百周年を迎える。偏差値も国公立大への進学率もそれなりにいい進学校である。夏穂は中学からここに通っている――高校二年なので今年で五年目だ。
それほど校則は厳しくない。が、全寮制であるため基本的に外界からは隔絶されていて、敷地外への外出に関してはそれなりに厳しかったりする。
この学園では昔から心霊現象だとか怪現象だとかの目撃情報や体験談の類をよく耳にする――それが他校にはない特徴といえるかもしれない。
とはいっても、その手の話は大抵の場合どっかの誰かが流したデマか見間違いだ。本気にしているやつはほとんどいない。オカルトだなんだという話は、外界から隔絶された空間内での数少ない娯楽の一つだ。
お年頃の女子しかいないので、そういった類が好きなんだろう。楽しめるのなら楽しめばいい。楽しめるものがあるのはいいことだ、と夏穂は思う。
しかし――
その大量の嘘の中に、『本物』が混ざっていることを夏穂は知っている。
そもそも、夏穂が誰とも知れない他人の記憶が入り込んでくるようになった原因だって、世の中にある大量の嘘の中に隠されている『本物』の怪現象が原因だった。十年前のあの日、あんなものに遭遇していなければ、夏穂だって他の同級生と同じようにオカルトやら占いやらこっくりさんなんかを楽しむ健全な女子学生になっていただろうに。
『嘘くせえな』
「嘘くさいとはなんだ」
『いやだってな、お前がオカルトやら占いやらこっくりさんを楽しんでる姿が想像できないし。ホラーすぎるだろ。どこの異常者だよ。恐怖映像としか思えないぞ。それだけでいい金になるぜ』
「なにがホラーよ。ホラー存在がホラーとか言ってんじゃない。あほくさ。これでも私にだって普通の女の子だった時代があったんですう」
これでも十年前はちゃんと泣いたり怒ったりできる、どこにでもいる普通の女の子だったのである。その記憶もよく覚えていないけれど。
『異常者ってのは否定しないのな』
「そりゃまあ、そうでしょ。あんたみたいなの一緒にいて平然としていられる輩が正常なわけないでしょうよ。いまの私を正常だと言うやつは完全に頭をどうかしているから、さっさと霊柩車に乗って、焼いてもらったほうがいい。世のためになるわ」
『違いねえや』
自身の裡にいる存在とのたわいもない会話。いまの夏穂にとってこれもただの日常だ。楽しいとも苦痛だとも思わない。長くない先を適当に潰すためにあるモノ。どうせ自身の破綻はすぐそこに見えている。ならば、適当に達観するしかない。なにかを楽しむための機能もすでに壊れているのだし。
ああ、それにしても。
お腹が減った。
なにもかも失ったはずなのに、どうして腹は減るのだろう。壊れているのだから、腹なんて減らなくてもいいのに。そんなところだけ正常に動く必要なんてあるのだろうか。
よくわからん。
空腹を感じなかったのなら、そのまま食わずにいれば死ねたかもしれないのに。人体って本当に面倒だなあ。あちこち壊れているし、どうせならメンテナンスのしやすい機械の身体になりたい。
機械の身体はともかく、なにも食べないでいたらどうなるだろう。餓えるけれど延々と死ねないというのもあり得る。どうせ死ぬのなら楽なほうがいい。死ぬのも苦痛であることのほうが多いのだ。
「ねえオーエン」
夏穂は自分の裡にいる存在――オーエンに話しかける。あれが本来なんと呼ばれているのか夏穂は知らない。あいつ自身も好きに呼べと言ったので、入院中に読んだ推理小説から名前を取って、正体不明らしいオーエンという名前で呼んでいた。
『どうした。なんだよ改まって』
「私って、どうしたら死ねると思う?」
『なんだ、死にたくなったのか?』
「そうでもないけど――ちょっと気になって」
『ふうん』
オーエンは不思議な声を夏穂の頭の中に響かせる。やはり性別も年齢も判然としない。どのようにも聞こえる不思議な声だった。
『女子高生ができそうな手段じゃ無理』
「まあ、そうっすよね……」
はじめからわかっていた答えだ。別段ショックではない。とっくの昔に自分が『そういうもの』であることは充分にわかりきっているのだから。
「時間が経てばそのうち死ぬしと思うし、いっか。ほうっておけば」
『お前、それで納得できちゃうのな。悩んでるんじゃないの?』
「悩む? なんでそんなことで悩まないといけないの?」
『それを悩むのならこうしてられないわな』
オーエンは心底呆れたという声を出していた。正体不明の存在のくせにどうしてこいつは感情豊かなのだろう。こっちは感情なんてほとんど壊れているのに。なんだ世の中間違っている、と思ったり思わなかったり。
そうしていると、部屋の入口の扉が開いた。入ってきたのはブラックホールのごとく光を吸収する長い黒髪の少女だった。少しだけ紫色を帯びた瞳はまるで真空のような冷たさを放っている。体格も高校生徒は思えないほど小柄だ。身長は夏穂より頭半分ほど小さい。いつ見ても可愛らしい。まるで二次元世界の住人だ。ルームメイトの
命はきょろきょろとその紫の瞳で部屋を見回している。それはどこか間が抜けていて、危なっかしさがある。どうやら夏穂を探しているようだ。
……仕方ない。
「ここにいるよ。どうしたの? 私になにかあったの?」
夏穂は二段ベッドと上から降りて命のもとに向かった。命はわずかながらに表情を変化させている。どうやら夏穂が出てきてくれたのが嬉しかったらしい。
とは言っても、夏穂以外にはただの仏頂面をしているようにしか見えないだろうが。
「…………」
命は近くまで来た夏穂の手を取って、掌に文字を書き始めた。ゆっくり一文字ずつ丁寧に夏穂の掌をなぞっている。
「京子さんが呼んでるの?」
命は小さく頷いた。
「用件はなにか聞いてる?」
命はわずかに申し訳なさそうな表情をして首を小さく振った。
たまたま歩いている命を見つけたから呼びつけるのに使った、ということか。コミュニケーションをとるのが苦手な子を言伝に使わなくてもいいだろうに、と夏穂は思う。
まあでも、用件はなんとなくわかる。行ってみればわかるだろう。
そう思ったのだが――
命は夏穂の手をつかんだまま離してくれなかった。
長い前髪で隠れている表情を見ると、そこには少しだけ怯えが見えた。なにかあったのだろうか?
「…………」
うーん。
そんな表情を見せられては無理矢理引き離すのも気が引ける。どうしようか、と少しだけ悩んだところで――
「一緒に行く?」
夏穂がそう言うと、命は長い髪を揺らしながら嬉しそうに何度も頷いた。
やれやれ。
『お前がこいつに強く出れないからってあの女にいいように使われたな』
くつくつと忍び笑いを上げるオーエン。
うるせえな、黙ってろ。
夏穂は命に手をつかまれたまま部屋を出て、歩き出した。
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