バブルの夢の果て

 ニシキ・パワーエナジーの立入検査を実施するため東北自動車道を北上し福島に向かった。右手に大きな内陸工業団地の煙突群を見ながら野口英世記念館前を通過すると中国の大河のようにゆったりと横たわる猪苗代湖の東岸に平坦な田園地帯が開けた。東北道の大橋を左手に見ながらさらに北上すると田んぼのど真ん中に櫓のような四角い煙突が見えた。ニシキ・パワーエナジーの親会社は観賞魚大手の錦美養だった。養魚池の温度を保つため廃棄物をボイラー熱源に利用するビジネスモデルで十年前に産廃業界に参入したのだ。ちょうどバブルの絶頂期で不動産業者、土建業者、さらには暴力団や政治家が天井知らずの景気に踊り、錦鯉やアロワナなどの高級鑑賞魚を投機対象として金に糸目をつけずに買い求めたため、錦美養はわが世の春を謳歌していた。しかしバブル崩壊で観賞魚価格は暴落し養魚池は放棄されてしまった。そこから崖を転がり落ちるような凋落が始まった。

 玄関に出迎えに出たスタッフにはぴりぴりした雰囲気が漂っていた。本社の錦美養から役員が検査の立会人として派遣されたせいだった。場内に入ると袋詰めのままヤードにうずたかく積まれた未処理廃棄物の山が最初に目に付いた。明らかな過剰保管だった。これでは不法投棄現場に流出するのもムリがなかった。ボイラーは旧式ながらサイクロンとバグフィルター(どちらも集塵機)を備えた本格的な仕様だった。しかし老朽化を免れず真っ赤に錆びて今にも鉄板に穴が空きそうだった。ちょうどサイクロン(渦流式集塵機)の真下で白い化学防護服を着た作業員が煤塵を回収していた。宇宙服のようなエアライン(外気導入)式の防護服はバイオテロか化学テロの現場を連想させた。

 「ボイラーとしてはもう使っていないんですね」出迎えに出てきた蓼科に伊刈が質問した。既に検査が始まっていた。

 「さようでございます。今はもう単なる焼却炉として運転しております」

 「養魚池のためにお湯を沸かすのは失敗でしたか」

 「考え方はよかったと思うのですが現実は厳しかったです。燃料に都合のいい産廃だけが入ってくるわけではないです。燃やせない物が多くなれば燃料費の節約どころか産廃の処分費がかさむだけでした。それに意外と燃え殻が残りまして灰の処分や施設のメンテナンスもばかになりませんでした。重油ボイラーならそんな心配はいりませんのでね。冬場にお湯が欲しいときに炉が故障したら錦鯉が全滅しかねませんから、結局は重油ボイラーも二重につけたりして余分なお金がかかってしまいました」蓼科の話を聞きながら伊刈は東洋エナジアを思い出した。あそこも理想を追求した先進的なリサイクル工場だったのにボイラーが期待どおりに稼動せず、結局不法投棄センターになってしまった。

 「FAXでお願いしておきました決算書を3期分準備してください。それから総勘定元帳を去年と今年の分。あと売掛買掛の補助簿もありますね。それからマニフェストを半年分お願いします」場内の点検を終えて会議室に陣取った伊刈は次々と検査書類の指示を出した。この業界へは新規参入組のニシキ・パワーエナジーの社員には古株の産廃業者のようなしたたかさがなく、指示された書類はすべて原本で出してきた。そのため会議室のテーブルはたちまち満杯になってしまった。

 「喜多さん決算書を頼みますよ」伊刈の隣席が検査の指定席となった喜多の前に置かれたのは確定申告書の原本だった。付属明細書も全部付いたままだった。

 「売上高と外注費から入荷量と出荷量を推定すればいいですか」喜多が落ち着いて答えた。

 「いつものようにマニフェスト(産業廃棄物管理票)の集計と付き合わせてみたい」

 「やってみます」一番大事な検査を任されたことが喜多はうれしい様子だった。

 「僕らはマニフェストと台貫の積み上げをやっちゃいます」遠鐘と長嶋もすっかり帳簿検査の段取りがわかっていた。

 会議室のテーブルに積まれた膨大な書類の検査が始まった。どの資料もおろそかにできない。財務諸表や総勘定元帳の金額からは入荷量と出荷量が逆算できる。施設運転記録からは焼却量がわかる。配車表からは運搬量がわかる。あらゆる資料から廃棄物の流れを掴んで不法投棄現場への流出の実態と原因をあぶりだしていくのだ。

 「何をしてるんでしょうか」本社の小栗専務が心細そうに尋ねた。チームの四人が誰一人一切質問を口にせずに黙々と計算をしていることにかえって不安を隠せない様子だった。

 「集計が終わるまで待っていてください」小栗の不安な表情を読み取った伊刈はあえて何も聞かないことでさらにプレッシャーをかけることにした。

 資料の点検にはたっぷり二時間を要した。回を重ねるごとに精密になっていく伊刈流帳簿検査としてはそれでもまだまだ序の口だった。

 「集計結果が出ましたので、いくつか質問させてください」やっと伊刈が口を開いた。

 「はい」小栗専務が緊張しながら返事をした。

 「こちらへの持ち込みも、こちらからの持ち出しも全部般若商会に委託しているんですね」

 「そうです。ここに処分場を建てて廃棄物処理を始めたときからのお付き合いなんです」

 「リベートは一キログラム一円ですね」

 「え? そんなことまでどうしてわかるんですか」

 「契約書の単価と請求書の単価の差が一円ありますよ。これはリベートでしょう」

 「はあ確かに」小栗はため息をついた。「一円は普通なんですか」

 「それくらいなら普通だと思います。中抜き率が二割五分とか、ひどい場合六割とか聞きますから」

 「中抜きとは」

 「ブローカーが処分代をピンハネすることです」

 「二割五分もですか」小栗は再び深くため息をついた。「こういう業界だとは知らなくて。こんなにリベートが高いんじゃ儲かるわけがないですね」

 「キロ一円だと凡そ五分になりますね。口利きしただけで一万トンなら一千万円になるんですから悪くないですよ」

 「はあなるほどねえ」

 産廃の仲介料はピンハネ、リベート、キックバック、バックマージン、中抜き、粗利などいろいろな呼び方があった。業界では常識でも役所には知られていなかった。伊刈はいつのまにか業界の事情通となっていた。

 「それはそうと般若商会が仲介している最終処分場のマニフェストに何枚か問題がありましたよ」伊刈は話題を変えた。

 「ほんとですか」小栗が身を乗り出した。

 「マニフェストに押された受付印の中に一部印影の違うものがあるんですよ。もしかしたらスタンプを偽造されたかもしれないです」

 「は?」

 「問題があるマニフェストは半年間で三十枚です。今回の不法投棄と関係があるかもしれない五月以降のものだと三枚ですね」伊刈は付箋を付けたマニフェストの一枚を小栗に見せた。

 「そんなことまでわかるんですか」小栗は素直にびっくりした。隣の蓼科が終止神妙な顔つきを保っているのと対照的だった。

 「般若商会に最終処分の料金まで一括して払っているでしょう。契約書ではそうなっていないですが帳簿の記載はそうなっていますよ」

 「はいそのとおりです」

 「振替えをやられたかもしれないですね」

 「どういうことでしょうか」

 「処分先を無断で無許可の処分場に振り替れば料金は正規の処分場の十分の一ですから、九割を中抜きできるでしょう」

 「それは不法投棄ってことですか」

 「そうですね」

 「そんなことは絶対にありえないです」

 「どうして」

 「と言われても困りますが般若商会さんに限ってそんな」

 「こちらのマニフェストをお預かりして最終処分場が持っている控えと照合すればわかりますよ」

 「あのなんとか今回だけは穏便に願えないでしょうか。般若商会さんと取引できなくなると困るものですから」小栗は焦りの色を隠さなかった。

 「最終処分先を紹介してくれる会社がなくなってしまうということですか」

 「般若商会さんは業界の有力者でございまして、申し上げにくいんですができれば今回の問題は当社の責任だけにとどめてほしいんです」

 「そうですねえ」伊刈は考える素振りを見せた。「般若商会にはこちらとしても関心があるので調査に入らないとは約束できません」

 「今回だけはなんとかなりませんか」

 「この次また出たら勘弁しないとお伝えいただけますか」

 「わかりました」

 「こちらの工場にもいろいろ問題が多いようですね。受注量と処理能力がほぼバランスしているのに在庫量が多いということは施設の稼働率が低いということですよね。焼却炉がメンテナンスで停まることが多いのですか。運転記録によると三月に大修繕で二週間休止しているようですね」

 「鋭いご指摘です。本来なら新しい炉に更新したいのです。しかし自己資金もございませんし銀行融資も難しい環境です。それになにより新しい許可をもらうには地元の同意が面倒でございまして」

 「焼却炉が休止している間は未処理のまま般若商会に出されていたんじゃありませんか」

 「それはその」小栗は口ごもった。

 「未処理廃棄物の再委託は許可取消相当の違反です。気をつけてください。今日の検査結果を福島県庁に通報するつもりはありません。そのかわりというわけではないですが現場を撤去してもらえますか」

 「あの何台くらいでしょうか」小栗は恐る恐る伊刈の顔を見た。

 「マニフェストに明らかに問題があった三台でお願いします」

 「えっ三台でいいんですか。それくらいならすぐにでもやります」現場には何千台分も不法投棄されているのにたった三台なんて欲がないと隣で聞いていたメンバーも意外に思った。相手が実行できない過大な要求をせずに撤去の回数を積み重ねていくことで犬咬ではもう不法投棄はできないという流れを作ればいいというのが伊刈の作戦だった。

 「それからこの間の里中さんという運転手さんのことですが」

 「彼は出入り禁止にしました。ほんとにとんでもないことで」蓼科が初めて口を開いた。

 「里中さんは般若商会が仕立てたダミーじゃないんですか。事情をよくお調べになって濡れ衣ならフォローしてあげてください。罪のない人に責を追わせることはしたくありません」

 「はあ?」蓼科は伊刈の意外な発言に当惑するように目をくるくるさせた。

 伊刈は問題のある書類の写しを作らせ撤去の誓約書を書かせて引き上げた。検査の手際は今や名人芸の域に達していた。

 伊刈が事務所に帰る頃合を見計らったように般若商会の是枝社長が自ら電話をかけてきた。

 「あんたが伊刈さんかい。般若商会の是枝という者だけどね。うちのことをいろいろ調べてるそうじゃないか。何を根拠にしてるのか説明してもらえるかね。話によっちゃあこっちも本気になるよ」

 「いろいろお話したいことがあるので電話ではなく、こちらから改めてお伺いしますよ」伊刈は落ち着いて答えた。

 「栃木まで来るのかね」

 「はい」

 「ほうなるほど。だけどわざわざ来なくてもいいよ。こっちからご挨拶させてもらうよ」

 「はっきりした証拠もないのに呼び出すわけにもいきませんから」

 「証拠がないと認めるわけだね。それならここらへんでもう調査をやめたらどうだね。あんたたちの調査には大変迷惑してるんだよ」

 「里中さんという運転手さんをご存知ですか」

 「あんた何を言ってるんだ」

 「不法投棄をやったと自主してこられたんで、もう少し調べてみようかと思いまして」

 「それと俺となんの関係があるんだね」

 「なければいいんですよ。こちらで調べます」

 「あんたいつもそんな口の利き方なのか」

 「是枝さんは犬咬にお知り合いはいらっしゃいますか」

 「いないよ。なんにも用事がないからね」

 「そうですか。業界通の是枝さんならご存知かと思いました」

 「あんた何が言いたい。もっとはっきり言ったらどうだね」

 「証拠がそろったらまたお電話させていただいてよろしいですか」

 「それは挑戦状か」

 「そういうつもりじゃありません。いろいろ勉強させていただきたいんです」

 「授業料は高くつくぞ」

 「払います」

 「なるほど噂どおりのやつだ。わかったよ、また電話してきな」是枝の電話はそこでぷつりと切れた。

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