休戦協定

 「長嶋さん嵐山の情報は何かかありませんか」伊刈がよう思い出したように長嶋に向き直った。

 「そういえば最近おとなしいっすね。もしかして班長、広域農道の現場も嵐山がやったと疑ってるんすか」

 「そうじゃないんだ。あんな目立つ場所、透明人間がやるとは思えない。それに産廃の投げ方も雑だ」

 「それじゃどうして」

 「ただどうしてるかなと思って」

 「実は所轄が嵐山の内偵を続けてます」

 「ほんとうですか」伊刈が目を輝かせた。

 「ただなかなか尻尾を出しません。逮捕も覚悟の連中とは違って嵐山は初犯で用心深いんで。それにこのごろさっぱり動きがないようです」

 「今はどこ狙ってるんだ?」

 「猿楽町の土採場にプレハブ小屋を建てて女といちゃついてるって聞いてます」

 「そこが新しい捨て場ってこと」

 「そうじゃないかと睨んでるんす。ところが今のところ目だった動きがなくて」

 「行ってもかまわないかな」

 「いいんじゃないすか。所轄からは足止めだとは聞いてないす。張り込みもないと思いますよ。だけどなんでそんなに嵐山に会いたいんすか」

 「会ったことなかったからね。一度挨拶しておかないと」

 「なるほど戦線布告っすか」

 「その逆だよ。休戦協定」

 「は?」

 「まあ、会えばわかるよ」

 犬咬最強穴屋の名をほしいままにしてきた嵐山の新しい穴は猿楽町と飯沼町の境にすぐに見つかった。高さ三十メートルほどの崖を切り下げて土砂の搬出を開始したばかりの現場で、もともと傾斜が急なのでまだ土はそれほど出してないように見えた。山土を売る商売は三度うまみがある。土を掘り出して売り、穴に産廃を埋めて稼ぎ、跡地に畜舎を建てる。二束三文の傾斜地が金の生る穴になるのだ。山の名義は巡り巡って最後には元の農家に戻る。錯誤登記を使えば不動産譲渡税もかからない。

 嵐山が建てた小さなプレハブ小屋の前には赤いミラが停まっていた。嵐山はこのミラを愛人に運転させて離れた場所から現場に指令を出していたのだ。

 「嵐山はいませんね」長嶋が小声で伊刈に耳打ちした。

 「どうしてわかるんですか」

 「ベンツが出て行ったタイヤ痕があります。女は中に居ますよ」

 「嵐山って独身なんですか」

 「奈良に女房も子供もいます」

 「家出中ってこと?」

 「さあどおなんすかね」

 伊刈が小屋の扉をノックすると逸島佐織が出てきて寝起きでふやけた肌をさらした。三十歳はとうに過ぎているのにスッピンでこれならたいした美人だと思った。

 「嵐山はどこだ」長嶋が言った。

 「さっきまで居たんだけど出かけたわ」沙織は警察の受け答えには慣れている様子だった。

 「どこへ行ったかわかるか」

 「さあ。でも遠くじゃないと思う」

 「ここで何をやってる」

 「あたしは知らないわ」

 「知らないことはないだろう」

 「ただの留守番だもの」

 「嵐山が帰ったらもうゴミには触るなと言っとけ」

 「わかったわ」佐織は悪びれる様子もなかった。犬が飼い主の気性に似てくるようにヤクザと付き合うとどんな柔和な顔立ちにも剣が出てくるものだ。しかし、沙織は生まれつきのしとやかさを損なっていなかった。

 「家があるのになんでこんなとこに泊まってるんですか」嵐山のアジトを離れるなり喜多が言った。

 「穴を準備中なのは確かですよね」遠鐘も相槌を打った。

 「たぶん不法投棄されないためだよ」伊刈が言った。

 「え、どういうことですか」喜多が合点のいかない声で言った

 「何でもありっすからねえ。嵐山だって油断できないってことっすね」長嶋が言った。

 「所轄は新しい穴が動かなくて困ってるかもしれないけど、うちとしては嵐山にこれ以上犬咬で不法投棄をやらせるわけにはいかない」

 「そおっすね。班長の言うことはわかります」長嶋も検挙のために現場を泳がせるのは問題だと思っていた。

 「嵐山はどこに行ったと思う」

 「埴輪産業か柿屋が溜まり場すね。そこで情報収集してるようすよ」

 「それじゃ埴輪に行ってみよう」

 埴輪産業は猿楽町の林道入口でコピー機やファクシミリなどのオフィス機器の再生事業をしている小さな工場だった。金属部品を磨き上げるだけの末端の下請け業者である。社長の埴輪は大阪出身の韓国人だった。京都出身の嵐山は昔から縁があって埴輪を兄貴分のように慕っていた。埴輪は廃棄物の事情通だったので嵐山だけではなく埴輪を慕う穴屋は多かった。ただし自分ではゴミには触らなかった。年の功で夜の仕事は長続きしないと悟っていたのだ。工場前の県道はダンプのドライバーから埴輪通りと通称されていた。国道の抜け道にもならない田舎道だったのだが、畜産団地の周辺の山林が不法投棄業者に狙われるようになってから県外ダンプが跋扈するダンプ街道になってしまった。警察が情報を求めて立ち寄るようになり、その情報を求めて穴屋も立ち寄るようになったため自然と事情通になったのだ。

 Xトレールが進入すると誰にも愛想がいい埴輪社長が飛び出てきた。

 「ちわっす」長嶋が地元の言葉で挨拶した。

 「まあ入りなさいよ」埴輪は聞かれなくても用件はわかっているという顔つきで答えた。

 工場との間仕切りもない狭い事務所に入ると、埴輪とは二周りも歳の離れた若い奥さんが韓国のコーン茶をふるまってくれた。大阪生まれの埴輪とは違って奥さんの日本語には韓国語のアクセントがかなり残っていた。工場内にはバラバラにして磨いたコピー機の部品が整然と並んだケースが積まれていた。一つ一円にもならない手間を稼いでいる地味な仕事だ。

 「どうだいコーン茶はうまいだろう。俺はこれしか飲まないよ」埴輪は上機嫌だった。

 「おいしいです」喜多は無邪気に気に入ったようだった。

 「そうだろう。これを飲んでいれば心臓にも糖尿にもならん。肝臓にもいいんだよ」

 「最近嵐山は来ますか」長嶋が本題に入った。

 「たまに来るよ。もうゴミは足を洗うと言ってた。あんたらのおかげで商売にならないとよ。それにしても静かになったもんだねえ。このところダンプを見ないよ。あんたらいったいどんな手を使っててるんだい。警察じゃあこういう手際にはならんだろう。警察のやり方じゃいつまでたったって悪党はなくなりゃしないよ。ヤンチャな連中が一人もいなくなってはかえって警察も商売柄困るだろうからねえ」

 「社長シャレたこと知ってるねえ」長嶋が余裕で応じた。

 「嵐山は商売替えですか」伊刈がいつになくちょっと間抜けた問いをした。

 「どうなのかねえ」埴輪は答えをはぐらかした。

 埴輪産業は空振りだったので長嶋の運転で高岩町の柿屋に向かった。

 「嵐山のベンツです」長嶋が言った。柿屋の事務所前にベンツSクラスの最新型が停まっていた。

 「ビンゴか」伊刈が言った。

 「行きましょう」

 Xトレールをわざとベンツの隣に停めると事務所から柿木が飛び出してきた。「ご苦労様です」

 「嵐山が来てるのか」

 「ええ事務所に」

 「寄らせてもらうよ」長嶋はつかつかと事務所に立ち入った。伊刈は初めて生身の透明人間嵐山と遭遇した。五十がらみだが年齢よりも引き締まった体をした男前だった。穴屋には似合わない上品なブレザーを着ていて、ちょっと見には中堅企業の社長のようだった。

 「猿楽と飯沼の境の新しい穴を見てきたぞ」長嶋が警察官であることを隠さない威圧的な口調で最初に声をかけた。

 「それはそれは」タバコの煙をくゆらせながら嵐山は長嶋よりもその背後に控えた伊刈を見た。

 「この人が一番怖い環境事務所の伊刈さんだよ」柿木がすかさず伊刈を紹介した。伊刈は名乗らずに笑っていた。

 「あの穴からは撤収しろ。ゴミを入れたら今度こそ承知しないぞ」再び長嶋が威圧的に言った。

 「どうせもう犬咬じゃ不法投棄はできないよ。あんたらのせいでやりたくってもダンプが怖がって集まらないんだ。俺のことじゃないけどね。それに上の連中もびびってやがるし」嵐山は嘯いた。

 「上って誰のことだ」

 「あんたらのほうが詳しいでしょう。俺らチンピラは顔も見たことないですよ。上はね、もう犬咬じゃやる気がないらしいよ」

 「それは廃業宣言か」

 「どう取ってもいいけどね。俺はしばらく遊びますよ。だからは張り込んだってムダですよ」

 「茨城はどうだ。あっちに行ってるって聞いてるぞ」

 「ゴルフ場にはたまに行くけどね」嵐山はアマチュアながらシングルの腕前で、ゴルフ場通いをしているという情報はかねてから警察から得ていた。

 「是枝さんのこと教えてもらえますか」伊刈が振ったのは意外にも般若商会の是枝社長の話題だった。

 「は、誰だいそれ」

 「ご存知だと思うんですが」

 「知らないねえ」

 「嵐山さんが言う上の人間の一人じゃないんですか」伊刈は嵐山を試した。

 「ああそんなら違うね。あんなのは上じゃないよ。ネズミにたかるダニみたいなもんだ。あんな小者が上だって勘違いしてたんじゃ不法投棄はなくなんないよ」

 「やっぱりご存知じゃないですか」

 「せっかく会ったから教えてやるよ。不法投棄ってのはよ、穴より何倍も儲けてるやつらが上にいるんだよ。是枝はそんなに大物じゃねえよ。ちょこっと上前をはねてる程度のやつじゃねえのかね。あんたらも弱いものいじめばっかじゃなくて、上をちゃんとやってくれよ。そしたらせいせいするだろうねえ」

 「嵐山さんはこれからどうするつもりですか」

 「そうねえ、女にちょっとした店でも出させて俺は練習場のコーチでもやるかなあ。ま、シャバにいられっかどうかはあんたら次第かもしんないけどな」

 「ゴミで儲けた金で店を出すのか」長嶋は相手がヤクザ者だと人が違ったように高飛車だった。心底ヤクザが嫌いなのだ。

 「あんたほんと色気がねえなあ。こっちの旦那をちっとは見習わねえとずっと警部補止まりだわな」

 「大きなお世話だ」

 「邪魔したな社長。しばらくもう来れねえかもなあ」嵐山は不機嫌そうにタバコをもみ消して立ち上がった。伊刈と嵐山の出会いは十分間で終わった。既にもう二人の勝負はついていた。

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