前代未聞の要請

 翌朝伊刈は再び奥山所長に呼ばれた。

 「伊刈さん、夕べは迫力ありましたねえ。でもほんとうにあんなにはっきりと約束をしてしまって大丈夫なんですか。確かにこの間の撤去はすごい成果でしたが、それをずっと続けるということですか」

 「撤去させられたら不法投棄をやるダンプはなくなりますよ」

 「でも住民が言ってたようにダンプは何百台も来るんです。調査が間に合いますか」

 「警察はターゲットを絞り込んでじっくり捜査して万全の証拠を積み上げます。一人の人間を逮捕して刑務所にぶちこむんですから、調書の厚みが一メートルになっても二メートルになっても驚くにはあたりません。うちのチームはターゲットを絞り込まずにすべての現場の調査をするつもりです。その分調査の密度は低くなりますが、状況証拠だけで相手が撤去してくれれば行政的にはOKです。今は非常事態ですから警察のように万全の手順を踏むよりスピード解決が第一です。このやり方が今の犬咬の現状に合っていると思います。状況が落ち着いてくれば警察の出番です」

 「それはどういうことですか」

 「現在の不法投棄問題は鍋の底に穴が開いてしまっているようなものなんです。水漏れ程度じゃなく構造的な穴です。警察の役割は構造からの逸脱者を取り締まることです。構造それ自体に手を出すことはできません。警察が構造に介入したらクーデターになっちゃいますからね。不法投棄が減って一部の悪質業者の犯罪に限定されたときは警察の出番です。今みたいに夜中に何百台もの違法ダンプがわがもの顔に走っているという状況では警察のやり方ではムリです。逮捕するよりまず追い出すのが先決なんです」

 「おいちょっと待てよ。それはおまえ警察が無用ってことか」黙って聞いていた仙道がたまらずに発言した。

 「警察的な取締りが通用するレベルまで不法投棄を制圧できたら警察に引き継ぎます。事務所はそれまでのつなぎの仕事だと思ってます」

 「つまり出番が来るまで警察は引っ込んでろってことだろうが」

 「まあそうなんですが。それで所長にお願いがあるんですが」

 「なんですか伊刈さん」

 「小野寺生安課長には昨日の集会で事務所が最前線に立ちますと断ったんですが、いっそ署長にも挨拶しておきたいんです」

 「じゃ署長にまで警察は引っ込んでろって言えってのか」仙道はいよいよ呆れ返った。

 「はいそうです」伊刈ははっきり頷いた。

 「おまえどこまで強気なんだ。本気で警察に引っ込んでろなんて前代未聞だぞ。市長だって知事だって県警本部長に頭を下げてお願いに行ってるってのによ」

 「市長は市長、知事は知事、事務所は事務所ですよ」

 「まあ確かにお前の撤去は警察の逮捕なんか待ってるより何倍も有効だったからな」

 「現状を打破するには徹底した撤去指導による迎撃作戦しかないんです。警察の検挙が必要ないとは言いませんし、チームゼロの夜パトが無意味とは言いませんが、不法投棄に関しては撤去に勝る防犯なしです」

 「伊刈さんわかりました。警察は余計な手出しをしないでしばらく事務所の対策を静観してもらうほうがいいって言えばいいんですね」

 「ちょっと待ってください所長、それはいくらなんでも」

 「大丈夫ですよ、技監。まさか今言ったとおりに言うわけじゃありません。大人の言葉を使いますよ」

 「伊刈おまえ所長にそこまで言わせたら責任重大だぞ」

 「任せてください」伊刈は自信ありげに胸を張った。

 奥山所長はほんとうに犬咬署の堀切署長に面会を求めた。しかしいくらなんでも署内では外聞が悪かろうと、わざわざ行司岬の灯台に誘うことにした。灯台の下にちょっとした会議スペースが設けられていた。場所が場所だけにほとんど使ったことがないムダな部屋だった。こんなときの密談には役に立った。

 「しばらく私ども環境事務所に不法投棄現場の調査をお任せいただけませんでしょうか」奥山はさほど婉曲でもなく単刀直入に切り出した。

 「ほう、とおっしゃいますと」てっきり所長が不法投棄撲滅の協力を求めてくると思っていた堀切署長は意外な顔で問い返した。まだ三十代、警察官とは思えない初々しい顔立ちのいわゆる本省採用キャリアだった。

 「逮捕してほしいのはやまやまですが、それを待っていますと撤去が遅れます。なんといっても現場が多いですから、ここは事務所の指導を見守ってほしいんです。そのなんと言いますか、警察は県では手に負えない悪質な事件のバックアップというお立場でご対応願えればと思います」奥山の言わんとするところは警察に手を引けということだと若い堀切も気が付いたが、そこはさすがに感情を殺す訓練を積んでいた。

 「どのような方法で調査されるというのですか」

 「伊刈さん説明できますか」所長が同行していた伊刈に振ってきた。随行のつもりでいた伊刈はちょっと面食らいながらも説明を始めた。

 「市の職員には立入調査証があります。捜査令状がなくてもいつでも産廃処理施設に立ち入れるんです。その気になれば行政のほうが早いんです」伊刈はわざとどうでもいいことを言った。

 「しかし不法投棄をやっているのは許可のない業者ではないですか。それでも調査証が有効ですか」堀切がまじめに問い返した。

 「確かに現場を開いているのは無許可の連中です。でも大半の廃棄物はいったん許可業者を経由ししてきます。そこには調査証が有効なんです」

 「なるほどわかりました。そういうことであればここは市にお任せしてみましょう」最後には堀切も呆れ顔で同意した。

 「ありがとうございます」礼を言う立場ではないのに奥山は頭を下げた。

 「それにしてもですね」堀切は意外な申し出を受けてちょっと当惑したような顔をしながら付け足した。「実はですね、市の活躍はですね、チームゼロといい事務所のみなさんの現場でのご指導といいですね、本部でも地検でも大きな話題になっております。行政がこれだけやってくれると公安は助かるというのが本音なんです。全くなんとも頼もしいかぎりです。所長様がおっしゃいましたとおり、公安というものはですね、ほんとうに悪質な事犯だけに集中したいものですからね。しかしここはなんというか事務所と所轄が連携して当たっているということに願えますか」さすがキャリアだ。自分の立場を守る複線は忘れないなと伊刈は思った。

 「それはもちろんです。何かの時には所轄あっての事務所だと思っておりますよ」奥山所長も大人の挨拶で締めくくった。

 「ではそういうことにいたしましょう」署長がきびすをかえすのを伊刈はポーカーフェイスで見送った。警察御無用など前代未聞の申し入れだということは伊刈が一番よくわかっていた。邪魔なものは邪魔なのだ。やっと六甲建材事件以来の度重なる屈辱に一矢報いて本音は高笑いしたい心境だった。伊刈は本気で警察嫌いになっていた。

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