吊し上げ
戸根川を見下ろす丘陵の中腹にある稲荷神社の片隅に、森井部落の小さな集会所が農村振興事業で建設されていた。駐車場から稲荷に登る石段は冬の夜七時近くとあってもう真っ暗だった。足元の不安もあって奥山所長と仙道の足取りは重かった。住民集会への出席はどうしたって気が進まない。住民はここぞとばかり役所を突き上げるからだ。そんな中伊刈だけは計るところがあるのか足取りも軽快だった。集会への出席は所長と技監と伊刈の三人だけでチームのメンバーは置いてきた。集会所には殺気立つような緊張感が漂っていた。自警団の会員は地区の農家六十戸で、そのうち三十人ほどが出席していた。既に所轄生活安全課の小野寺課長は到着しており、フリーランスライターの足利も立会人として同席していた。廃棄物問題をずっと追い続けている環境ジャーナリストで、日商エコロジカル誌に犬咬の不法投棄問題をとりあげたルポを連載中だった。小野寺課長の隣に案内された奥山所長は居心地が悪そうだった。公務員としての格は所長が上だが実力では所轄の課長が上だった。市議の岩篠がさっそく奥山所長に媚を売りにきた。もともと地元振興になる処分場誘致に積極的な開発派だったのに、自警団結成を受けて産廃排除を声高に叫ぶ環境派の急先鋒に転じたのだ。それもこれも市民の環境活動を票田にしたいせいだった。小さな部落の集会とはいえ全国最悪の不法投棄に悩む地域とあって、さまざまな思惑が絡む自警団決起集会の開会時刻が迫っていた。
百瀬会長の開会宣言の後、最初に来賓として発言したのは小野寺課長だった。「本日は、森井町飯塚町合同不法投棄防止自主警備団の結成決起集会にお招きいただきましてありがとうございます。犬咬はこれまで長年の間、産業廃棄物不法投棄問題に悩んで参りました。いつまでのこの状況を放置するわけには参りません。警察庁からも今般不法投棄撲滅の通知が出たところでございます。これを受けまして本部におきましても不法投棄事犯検挙体制の強化を図っているところでございます。今後警察の総力をあげて犬咬の不法投棄を撲滅して参ります」小野寺は力強く不法投棄問題の解決を約束した。本部の生活経済課や地検の検事の方針で動くのが所轄の役割で、何か所轄独自の戦略があるわけではなく、ご祝儀の空砲だと言えなくもなかった。
「警察が一人や二人捕まえたところでよ、間に合わねえんでねえの」住民から野次が飛んだ。たちまち場の雰囲気が険悪になった。
「おらもそう思うね。これまで十年も野放しにしてきてよ、いまさら不法投棄を撲滅と言ったって信用できめえよ」
「どうなんですか課長さん」坪内が小野寺に答弁を促した。
「県警本部を挙げまして間もなく夢半島クリーン作戦を開始する予定でおります」
「なんだいその夢半島っつうのは」
「夢半島は知事が名づけた県の観光キャッチフレーズです。不法投棄が観光資源を破壊しているという観点から県警も県の観光キャンペーンに協力しようということです」
「観光も大事だっぺけどよ、やっぱ食い物が大事でしょ。観光客に何うまいもの食わせるかね。ゴミ畑で採れた野菜食わせられっかい」
「もちろん農家が大事です」
「だっぺ。それでよ、小野寺さんとこは毎晩パトロールさ回ってんのけ。市は毎晩回ってんだぜ。それだってだめだっぺよ」
「なんでだめなんかねえ所長さんよ、どうかね」
「奥山さん遅くなりましたがご発言をお願いします」坪内が奥山所長に発言を促した。
弱気な奥山は仙道を見た。仙道が代わりに立ち上がった。「市がチームゼロを発足させ、連夜の夜パトを始めたのは十月からでございます。まだ半年もたっていないことで不法投棄を制圧するところまでは行っておりませんが、どうか成果をお見守りいただきたいと思います」
「だからムリだって言ってっぺよ」たちまち野次が飛んだ。
「やくざどもはよ、見張り立ててんだっぺ。ゼロが近付くと無線で逃げちまうって聞いてっぞ。ずっといなけりゃあだめだ。パトロールは何台でやってんのけ」
「それは秘密になっていまして」
「俺の倅は役所だから知ってっけど一晩二台だっぺ。それじゃムリムリ。相手は何百台のダンプだあ。とても間に合わねっぺ」
「まあ市もそれが精一杯のところですから」坪内がフォローにならないフォローをした。
「なんでゼロはここさ顔出さねんだ。事務所はゼロじゃねえべ」
「チームゼロの活動は秘密になっておりまして」
「だったら課長が来ればいいべよ。警察は課長が来てんじゃねえの。市の課長はそんな偉えのけ」
「現場のことは事務所に任されておりますので」吊るし上げを受けてさすがの仙道も冷や汗をぬぐった。
「もうええわ。区長さんさっさと決議文を読むべよ」
「ちょっと待ってください」伊刈が立ち上がった。
「今所轄の課長さんから不法投棄を撲滅するという頼もしいご発言がございました。また市においてもチームゼロの発足で夜間連続パトロールを開始したところです。しかしながらチームゼロ発足後も不法投棄は毎日起こっており、警察の検挙も夜間パトロールも間に合わない状況であることは事実です。皆さんが地域の環境を地域で守るというのはすばらしいことだと思います。しかし、これにも限界があります。おそらくみなさんが監視に立てば森井と飯塚の不法投棄は減るだろうと思いますから自警団の結成に私は反対ではありません。ですがダンプは他の地区に移動するだけで犬咬全体としては変わらないのじゃないかと思います」
「じゃあどうすればいいっぺよ」
「僭越ながら不法投棄対策は私ども環境事務所に任せて欲しいと思います。事務所が現場の最前線に立ち必ずや犬咬の不法投棄ゼロを実現してみせます」
「そんなことできっこねえってあんたの上司も認めてっぺよ」
「いいえ手ごたえは感じております。実はたった一週間だけのことですがダンプが来なくなっています。このままダンプが来ないということはないと思いますが対策の手ごたえを感じているところです。あと三か月で不法投棄ゼロを達成してみせます」
「警察でもねえのにかい」
「警察には頼りません」
伊刈の爆弾発言に場内が静まり返った。とりわけ所轄の小野寺課長はあっけにとられて伊刈を見上げていた。これほどはっきりと物言いする行政マンを見たことがなかったし、警察は必要ないと公の場ではっきりと言われた経験もかつてなかった。できない言い訳を考えることばかりにたけているのが国や県の役人だと承知していた常識が根底からひっくりかえるほどのカルチャーショックだった。
ジャーナリストの足利は伊刈の自信に溢れた不法投棄ゼロ宣言をさっそく日商エコロジカル誌の次号で報じた。犬咬の惨状を伝え行政の無策を糾弾し住民の底力を支援するはずだったルポは思いがけないヒーローの登場を取り上げることになった。
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