おしどり穴屋
ヤマジの西と庄野を琴山トンネルに呼び出した。庄野は不法投棄現場にはふさわしくない高価な毛皮のコートを身にまとって現れた。やり手の女社長というイメージで四十代には見えないプロポーションをキープしていた。蒲郡部長が岩篠の本所の現場で見たという夜の女王ではなかったとしても、彼女こそその名にふさわしい風格を備えていた。一方の西は現場で叩き上げた土建屋の親父というイメージの無口な男で終始庄野にぺこぺこしていた。
「廃棄物が崩れて線路が埋まったら困るとJRが訴訟を起こしているそうですね」伊刈は西を問いつめた。
「絶対崩れないよ」西はガラに似合わない小さな声で言明した。
「ゴミは絡み合っているから崩れないのよ。そうJRに説明してあげてよ」興奮しやすい性質の庄野が金切り声で加勢した。
「せめてもうちょっと勾配を緩くできませんか。そうすればJRも満足するでしょう」
「JRはそれでいいのかもしんないけど、どうぜ役所は全部片せって言ってくんだろう」
「当然です」
「ほらな。緩くするだけだってずうっと手前からゴミを動かさなきゃなんねえんだ。時間がかかんだよ。やれっていうならやるけどね」まるで他人事のような口調で言うと、西は崖の様子を見るため一人で線路脇へと降りていった。
「庄野さんは起訴されなかったんですね」伊刈は西の後を追わずに庄野に向きなおった。
「あたりまえでしょう。不法投棄やったのは西なのよ。あたしがやったんならあたしが逮捕されてるでしょう。あんな男とはそもそも夫婦でもなんでもないんだからね」
「だけど一緒に住んでいるんでしょう」
「財産目当てに勝手に上がりこんだのよ。あたしの山を台無しにしやがって」
「お嬢さんはどうなんですか。会社の代表はお嬢さんなんでしょう。JRの訴訟だって被告はお嬢さんになってるんじゃないですか」
「冗談じゃないわよ。あんたいい加減なこと言わないでよ。娘は絶対に関係ないですから。嫁入り前の娘が不法投棄なんかやるわけがないでしょう。あたしも西もいろいろあって社長になれないのよ。建設業もいろいろ難しいからね。それで娘に資格を取ってもらったのよ」
「でも、娘さんあてに措置命令も出るようですよ」措置命令とは廃棄物処理法19条による環境保全上の措置(撤去、無害化、封じ込めなど)の命令であり、履行しなければ不法投棄と同等の罰則がある。
「なんで娘ばっかりいじめんのよ。あんたら娘になんの恨みがあんの」
「措置命令は西さんにも出ますが会社の代表にも出るんです。お嬢さん自身が不法投棄してないとしても、会社の代表として命令を履行しないと刑事告発することになるかもしれません。懲役五年以下の刑です」
「ちょっと待ってよ、あんたそれ本気なの」庄野は真顔になった。
「冗談で言うと思いますか」
「私と西はどうなってもいいけど何も知らない娘を傷物にするのはやめてよ。ほんとにまだ嫁入り前のウブな子なのよ」庄野は泣きつかんばかりに言った。娘がほんとうに可愛いのだ。だったら社長にしなければいいのにと伊刈は内心思った。
「せめてトンネル側の傾斜を緩くすると約束できますか。そうしたらお嬢さんに命令が出ないようにする方法を教えます」
「そういうことだったら西に必ずやらせるわ。あたしが約束する」
「お嬢さんには社長を辞任してもらってください。早い方がいいですよ」
「なるほどそうよね。それでいいのね」
「辞任して六十日すれば前の社長には命令が出なくなります。六十日遡って社長交代の登記をしたらどうですか」伊刈はちょっと踏み込んだアドバイスをした。
「わかったすぐやるわ」庄野の目がきらりと光った。万事飲み込んだ様子だった。
「そのかわり工事は明日から始めてください。それからもう二度と西さんに不法投棄をやらないと約束させてください」
「だってもうできないわよ。あんたらが毎晩回ってるんでしょう。よそ者ならともかく地元のあたしらはもうムリよ」
「あたしらってことは庄野さんもやってたんですね」伊刈が皮肉っぽく言った。
「ねえあんた不法投棄やれないとしたら何かいい仕事ないかしら。それも教えてよ」
「正規の処分場の許可を取ったらどうですか。その方が同じ土地で何倍も儲かりますよ」
「そうよねえ、あたしもずっとそれ考えてんのよ。どこの処分場も儲かってるもの。あんたに許可のこと頼めるのかしら」庄野は急に伊刈に色目を使いだした。
「処分場を許可するのは事務所じゃなく本課なんですよ」
「そっかそうよねえ」
庄野と西は約束を守って翌日にはさっそく線路に産廃が崩落しないように措置するため現場にユンボを回送してきた。伊刈から連絡を受けたJRの担当課長の乗谷と弁護士の砂州がさっそく視察にやって来て信じられないという顔で作業の状況を見守っていた。伊刈は撤去を口実に産廃が増えてしまわないように毎日作業を監視すると乗谷に約束した。
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