またね
風が吹き抜け、静かな空間が戻る。
「………………うん」
何度か頷いた。まったく、どこまでも予想通りなんだなと思った。
『……………????』
もう一度――――再び置かれた手を、掴んだ。
「………うん…………何やろうとしたかは分かってる」
『………?』
掴んだ手を両手で包み、向きなおる。
困惑―――――彼の顔は、まさにそれだった。
「また記憶、取り除こうとしたね」
強く手を握る。離さないよう、振り払われないように。…まぁ、今の彼に私を振り払うことは、絶対にできないのだが。
「私がここまで、どうやってきたか分かる?」
『…………』
「死神にお願いして――――ーとか、そういう奴だと思ってた?」
呆然と立ち尽くしていた。
『……―――……――――』
続きを察したのか、力が抜けたように膝をついた。信じられないとばかりに、首を横に振る。
「貴方の心臓を食べた」
『――――……』
ここに来る前、死神にある注意事項を聞かされていた。人外の心臓を食べるということは、精神的なものまで取り込むということ。つまり私の体内には彼の精神が宿っている。だから私はここに、"彼の世界"に来ることが出来たのだ。
注意事項とは、それによる避けられない事態。人外の心臓は強力な薬物のようなもの。精神汚染があったりはしないが、肉体的な部分が大きく変動するらしい。
どういうなのか―――――――全部端的に言ってしまうと、私は既に"人間"じゃないのだ。肉体の変動が起こり、今の私は彼等と同じ――――――人外なのだ。
『…………』
愕然とする彼を宥める。…彼には悪いことをしたが、こうでもしないと彼を元には戻せない。
それだけじゃなかった。いくら彼が強力な人外でも、その心臓を私が食べてしまった以上、身体の主導権は私にあるらしい。彼はあくまで居候のようなもの。家主には勝てないのだ。
だから彼は私の記憶を奪えない。先の行動が無意味な物に終わったのも、それが理由だ。
『……――――』
「…ああ…もう……」
打ちひしがれる彼と目線を合わせる。全て私の為なのだと言いたいのは分かるが―――――…一つだけ、彼は大きく勘違いをしている。
「………あのね…私にとっての幸せって……そういうことじゃないんだよ?」
主導権、記憶も何もかも取り戻した私だ。今なら彼に触れるだけで、考えていることが分かってしまう。
彼はこう考えている。心臓病も完治した今、私は人外と関わりのない、普通の生活を送るべきだと。普通の人間としての人生を送ることが、私の幸せだと、そう考えている。
間違ってはいない。普通なら、それが幸せというものだろう。……普通なら。
生憎私は普通じゃない。体が、という意味では無く、考え方という意味で。
「私にとっての幸せは、人間として生きることじゃない。どんな形でも、貴方と生きること」
彼には不運なことだが、私は彼にとても惹かれてしまっている。こうして私の為だけに命を懸けてくれた姿勢や、普段の彼の人格。それに、強く惹かれてしまった。
それに例え記憶が消えて一般人に戻っても、遅かれ早かれ私は孤独死する気がしてならない。メンヘラの自覚があるし、酷く寂しがり屋の社会不適合者。手遅れだ。
その点、このままなら彼とずっと一緒でいられる。結局私には彼と生きる以外に幸せな道は残されていないのだ。
『………―――』
(…頑固だなぁ)
これが正解だと根拠も入れて説明したが、やっぱり納得いかないらしい。彼が言うのは、しかし、だが、みたいな言葉ばかり。
というか受け入れる以外に選択肢がない。既に彼の精神を取り込んでしまったし、このまま現実世界に戻っても時間が経てば彼を強制的に実体化させられる日がその内くるだろう。確信していた。
―――――…私的には無理やり、というのは気が進まないので、それは最終手段。
「…私はね、貴方にも幸せになって欲しい。そうじゃないと、重圧に負けちゃうから」
正直、彼の行動は私には重い。命を懸けて救われた人間、なんて看板を背負って生きていけるほど、私は強くない――――ーということにしておく。
「だから―――――助けてくれない?一緒に生きて、私にその重圧を背負わせないで?」
凄い自分勝手な言葉だが、本音を言うと、彼に弱い人間だとアピールしたかっただけの言葉だ。しかしそれが彼が生きる理由となるなら、"嘘を本当"にしてもよかった。
『……――――』
彼は明らかに迷い始めた。九割近く、今の言葉が自身を生かすための言葉だと気付いている。……が、後の一割で、もしかしたら本当にそうなんじゃないか、とも思っている。
ダメ押しに、一歩踏み込んだ。
『……!』
思い切り抱き締めた。慣れないことをしたから、心臓の音が凄い。
そして耳元で囁く。
「ね―――――お願い、おじさん」
声は震えていたし、緊張もきっと伝わってしまった。多分、先程の言葉が一部を除いて嘘だらけだと、彼は気付いた。
「……お願い…」
震えた声で言った。さらに強く抱きしめる。お願いだから分かったと言って欲しい。どんな形でも生きていて欲しい―――――心の底から、そう思えた。
『――――――』
長い時間がかかると彼は言った。
「わかってる」
今の彼が現実世界に出てくるのは難しい。私の身体にも慣れないといけない。
相応の時間が掛かることは察していた。
『――――』
君も命を狙われると言った。
「わかってる」
彼が私の身体にいることが分かれば、あの組織は私を狙うだろう。
それも覚悟の上だ。その場しのぎではない。本気の、本物の覚悟だ。
『……――――』
僕は君の母の仇だと彼は言った。
「…それは、微妙なところじゃない?」
少なくともあそこで彼が邪魔しなければ、そもそも私は生きていなかった。だから別に恨んでいない。
『…―――――』
つまらない男だと彼は言った。
「そう?私にとっては魅力的」
なんとなくで命を懸けられる男。素敵だと思う。
『……………』
「………」
『…………」
「……………」
『…………―――――』
僕の負けだ――――彼は言った。
ふっと笑ってしまった。初めて、彼より上に立った気がする。
「じゃあ、私の勝ち」
交渉は終わった。彼はもう何も聞いてこなかった。
彼から離れる。
立ち上がり、窓の前に立つ。名残惜しいが、私がここにいても何もできない。
「それじゃあ――――――――先に家で待ってる」
絶対に帰って来るように念押しすれば、苦笑しつつ、確かに頷いた。
窓枠に足を掛け、下を見下ろせば、さらに強い光に目が眩んだ。
覚悟を決めたその瞬間、後ろから呼び止められた。
「なに―――――……」
何事かと振り向いたその時、すっと引き寄せられ――――――
「…………ん」
『………―――』
唇を塞がれた。
「………―――……」
『……―――』
「……終わり?」
そっと触れるような形。短い、数秒間の出来事だった。
「…続きの予定は?」
『―――――』
帰ってきた時に、また―――――そう言われた。
「…………」
背中を彼に支えられたまま、抱きしめた。
彼からも強く抱かれた。―――――その腕が少しずつ緩んでいく。
「待ってるからね」
再び、囁くように言った。直後、浮遊感に支配される。
「……―――――」
仰向けに落ちていく中、窓から彼が覗いていた。彼は、笑っていた。
「――――またね」
下手糞な笑顔で私は言った。
窓の外へ―――――彼女は現実へと帰っていった。
私の持つユキムラナギサに関する記憶は全て彼女自身に渡ってしまった。――――――ただ一つを除いて。
それは、私と彼女の初対面の記憶。それだけは、私が未だに所有していた。いくら主導権が彼女に渡ったとはいえ、彼女がそれに気づかなければ、手にすることはできない。
とは言っても、別段隠すようなものでもない。そんなに劇的な出会いではなかった。ならばどうしてこの記憶を手放さなかったのか―――――正確には、手放せなかった。この記憶は、今の私を保ち続ける為のシステムのようなもの。切り離すことは、意思の喪失と同義。
あの出会いはただの"偶然"だった。"偶然"死に掛けて倒れていたところを、"偶然"彼女が見つけてくれた。
彼女は気まぐれで自分を助けてくれた。正確には意味のない治療だったが、そういう問題ではなかった。こんな自分と恐れず接し、治療しようとしてくれたという事実が大事だった。
ここからが全ての始まり。その時"偶然"ただ暗い思念の塊だった自分に、"情"というものが"偶然"生まれた。憎悪、嫌悪、利用してやろうという黒い感情ではない、全く正反対の情が生まれた。
どうしてだったのかはいくら考えても分からない。彼女の傷だらけの身体を見たからか、恐がらず接してくれた喜びからだったのか―――――その回答は、今となっては暗闇の中に溶けてしまった。
一つだけ言えるのは、彼女との出会いは全てが"偶然"で成り立っていたということ。偶然に偶然が重なる偶然―――――それを人間は【運命】と呼ぶこともある。
だとすれば私が彼女に惹かれていたことも【運命】だったのだろうか。―――――きっとそうなのだろう。そう考えなければ、辻褄が合わないことばかりだ。
ならば彼女の元へ私が帰るのも、また【運命】だ。
壁に背を合わせ、座り込む。その日の為に、今は眠る。壊れた身体を治すために。彼女に再び、会う為に。
さて、帰ったらまず何をしようか―――――――まずは【ただいま】の一言か。
なら【ただいま】を練習しないといけない
突っかからず、噛まず、とても印象に残るような、そんな【ただいま】を
力を抜き、意識を手放す
しばらく、さよならだ
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