ごめん
「ここ、良いところだね」
部屋の中を見渡す。粗末なベッド、石の床、石の窓枠、石のベランダ―――――どこまでもどこまでも、ここは廃墟そのものだ。
個人的にこういう場所は好きだ。雰囲気が好きだ。一度でいいから軍艦島に行ってみたいとも思っている。一人は嫌だが、静かなところは好きだ。
『――――』
何故来てしまったのか―――――彼がそう言った。これまでの私は彼の"言葉の意味"しか理解できなかったが、今なら分かる。彼がどういう感情で言葉を発しているのかが分かる。
「…貴方と一緒に帰る為に」
それ以外にはないだろう。彼も分かっている筈だ。それを認めたくないだけで、分からない振りをしている。
「………あの記憶は――――」
『―――』
偽物と彼が言う。いくら何でも、それは通じない。
「…偽物?…違うでしょ。あれは本物。過去にあった、本当の記憶………私の、"本来の記憶"」
『…――……――ー……』
「……もう隠さなくていいのに」
しきりに彼は違うと否定するが、もう意味がない。私は全てを知ってしまった。
結論を言えば、これまで見てきた記憶は本物で、その記憶は彼によって奪われていた。だから小学生の頃に彼と過ごした記憶がなかったのだ。ただの、一欠けらも残さず。
それを私は取り戻した。ついでに彼の保持していた、彼自身の記録も―――――シャドーピープルの記録も手に入れた。
「貴方の正体は……たくさんの"暗い感情"。その集合体だったんだね」
シャドーピープルとは人間が何かに抱く嫉妬や妬み、恨み辛みが形となって生まれた人外。 その特殊な出生から、人の心や記憶に入り込み、それを消したり、盗んだりできてしまう。しかし人間の暗い部分の具現化である彼は、人によって作られたも同然の存在。吸血鬼や死神のような、純粋な人外と呼べる生き物じゃない。だから誰にでも、どんな人間にでも見えてしまう。
(だって皆、絶対、後ろ暗いものを抱えているから)
そういった感情が鏡となって彼を映し出している。いわば"彼を視るための許可証"だ。
「………あの日のこと、話そう?」
しきりに私を見ようとしない彼の隣に立つ。外が眩しすぎて目が痛い。
「あの日、私は母さんに殺されそうになった」
予想じゃない。取り戻した記憶の中に、それについての"記述"があった。幼いながらも、その恐怖を伝えるには十分な"記述"だった。
「母さんは――――……あの人は、精神的に追い詰められていた」
望まない妊娠、夫の不在、上手く行かない人間関係、仕事―――――なにより私という重荷。それらが積み重なって、あの日、彼女は壊れてしまった。
既に正常な判断はできなくなっていた。そんな中、現状を打開する方法を考えた結果が、"私"を殺してしまうことだったということ。きっと"私"を殺せば自由になれるような、そんな"気がした"のだろう。
あり得ないことではない。狂った人間は、普通の人の常識では測れないのだ。
「貴方は、殺されかけていた私を見て、母を――――……殺してくれた」
『……』
彼は黙って聞いていた。殺してくれた、なんて確かに酷い言い方だ。自分でもそう思う。でも、それ以外に表現のしようがない。
その後は私が見た通り。彼は私から"当時の記憶"を奪った。が、余裕が無かったのか、一部の記憶はバラバラになってしまったらしい。彼と出会った最初の記憶がどうしても見つからないのは、それが理由だろう。
「あまり記憶の混乱が起きないよう、あの人から虐待されていたという記憶はそのままに、その時の記憶だけを抜き取った。……そこから先は、貴方にとっては簡単なことだった」
記憶を抜き取った後、彼はあの人に"何か"を植え付けていた。今なら分かるが、簡単にいうなら人工知能のようなものだ。彼は大量の感情の塊を所有している身。その中から一部の感情を抽出して与えるくらい、お手の物だろう。
思い返せば、あの人はある日唐突に虐待をしてこなくなった。しかし妙に感情表現が少なくなっていたことは、幼いながらも覚えている。感情が希薄だったのは、おそらく彼が与えた感情は、とても平坦なものだったからだと考えている。可もなく不可もなく、最低限の生活を私に与えられるような、そんな感情を。
中学生の時に失踪したのは、与えていた感情の期限が切れたか―――――彼の身に何かがあったからか。
「なんであの人、失踪したの?」
こればかりは彼自身に聞くしかなかった。おそらく後者だとは思うが、彼の口から聞く方が確実だ。
『…………――――』
「……あ、そうなの」
彼の答えはやはり後者で、組織の襲撃によって弱り切っていた時のことだった。
『―――……――――――……―――』
本人曰く、回復のために"ある場所"に足を踏み入れてしまった。…そのある場所というのが、例の教会だった。
「…あー…そっか…」
そのころからあそこは寂れており、まさか彼自身も教会だとは夢にも思わず、引き返そうとしたが遅かった。
『……――――――』
弱り過ぎていた彼は既に寂れていた教会すら出ることができず、途方に暮れた。しかしそのまま棒立ちだと身体が持たない。結果、彼はしばらく身体を休めることにしたそうだ。
教会の中でも一番壊れ、身体に悪い"何か"が一番機能していない場所で彼は眠った。眠ることで回復する体力と魔払いによって減る体力。それは前者の方が僅かに上で、彼は少しずつ、元の身体を取り戻していくことに成功した。この時、あの人、母に回す余力がなくなり、彼女は失踪せざるを得なかった……という流れだった。
『―――――』
ただ、あるものが切欠で彼は目覚めた。それが、私の来訪だった。
「………あの時?」
心臓病でふらふら出歩いて、興味本位で教会に入ったあの時。どこかで覚えのある感覚に、彼は起こされた。
そして久し振りに出て来てみれば目の前には人間が、さらに私の目の前には危険なガスマスクの人外が。
何故人間がここにいるのかは分からないが、とりあえず知り合いの可能性もあったので助けようと人外を殺した。で、気を失ったその人間を見て、私だと気が付いた。
なんて懐かしいと私に触れたが、どうも調子が悪そうだった。汗が酷く、鼓動も安定していない。
自分が不在の間に何かがあったと察した彼は、私の身体を治すことを決めた。その時だ。私の心臓に彼の細胞が埋め込まれたのは。同時に、彼の細胞が心臓にあることで、私は人外が視える目を偶然手に入れた。
そこからは私自身もよく知る流れ。彼と出会い、色々なことを経験し、今に至る。
実は、彼としてはある程度心臓の補強ができたら、また私の記憶を消してどこかへ行くつもりだった。が、その時、不運にも組織の男に見つかり、人外の細胞を壊す注射を彼を庇って私が受けたことで、計画を大きく変更。あの死神に教えて貰った方法で、私を治そうとした。
『…………』
全てを話し終え、一息つく。長い話になったが、もう一言でまとめてしまえば、これだ。
彼は私の為にずっと動いてくれていた。この一言が、全てを表している。
「……なんで私のためにそこまで?」
純粋に疑問だった。私に大した価値があるとは到底思えない。特殊な出生でもない。平凡なただの人間だ
『……――――』
話しづらいのか、彼は何か言いかけて止めるを繰り返す。
「隠しても、意味ないって」
もうここまで話してしまったと言うのに―――――今なら、何を言われても驚かない自信がある。
『…――――………――――――――』
なんとなく……そう言った。
「……ホント?」
流石に怪しくて聞いてしまう。ホントホント、と彼は頷く。
「…まあいいや」
――――怪しいのに変わりはないが、この場でしつこく詮索するのは止めて置いた。これから先、聞ける機会はたくさんあるだろうから。
「さて………じゃ、そろそろ帰ろう?」
区切りがついたところでそう切り出した。いい加減帰らないと、死神や吸血鬼が心配するだろう。
『…――――』
彼が、分かったと小さく言った。―――――雰囲気が、変わっていた。
「この窓から飛び降りれば帰れそうだね」
何となく、そうだと思った。彼の記憶の一部を持っているせいか、この世界の仕組みがなんとなく分かるのだ。
彼も頷いている。間違いないらしい。
「……?」
不意に、背後から抱き締められた。
『………―――――』
ごめん、という一言と共に頭に手を添えられる。そして何かを引っ張り出すように、手を大きく引いた。
「――――あ」
空気が大きく揺れた。
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