記憶

 覚悟を強要したことは認める。半ば、誘導尋問のようなものだった。それでも、そうするしか方法がなかった。

「…―――……―――…」

 床下で眠る彼女は今、昏睡状態。"彼"の記憶を辿っている最中だ。


 一体何をしたのか――――簡単なことだった。ビンの中に入っていた彼の心臓を彼女に喰わせた。それだけだ。



 たかが臓器を食わせてどうすると思われそうだが、心臓といっても人間と同じに考えてはいけない。人外の心臓は血液を送るポンプとしての役割は二の次で、本来の役割は"精神の保管"。何を思って何をしてきたのか、これまでの記録がすべて組み込まれている。

 ある意味、心臓は人外そのものと言ってもいい。―――――だから、彼女に喰わせた。人外の"核"を喰わせることでその"先"に何があるか。それは昔から有名だった。同じようなことをした人外は、何人も見てきた。

 もし上手く行けば、彼はまた人外として復活できる。思い描いている形とは少し違うだろうが、それでも復活できるだけマシだろう。



 ただ、それは精神の強制的な融合ともいえる。下手をすれば、どちらかに支配され、片方の意識しか残らない可能性もあった。

(まぁ…伝えなかったが)

 しかし彼女にはそういうリスクがあることは伝えていない。勿論、しっかり理由がある。躊躇させないためだ。

 そういうリスクがあると伝えれば、必ずどこかで躊躇する。それが命取りだ。これを成功させるには何でもいいから"芯"が不可欠。ブレたら危険なのだ。


 ならまだ彼を妄信している状態の彼女の方が良かったと言われそうだが、そうでもない。自分がどう思って、どう行動するかが重要なのだ。もし妄信状態のままなら、行動はできてもそこに含まれる自分の意思が希薄になってしまう。それはそれで駄目だった。


 とても厄介で面倒で辛い作業になる。が、乗り越えないといけない。彼女はどの道、彼がいないと生きていけないのだ。

(コイツも頭がいいのか悪いのか…)

 今日に至るまで全てを上手く推し進めてきた彼が、唯一犯したミスがそれだ。彼女の中にある自身の存在がとてつもなく大きいことを理解していなかった。いくら命を救ったとして、彼がいないと生きていけないのでは本末転倒だ。

 兎に角、今は待つしかない。無事に二人で帰ってこられるよう、祈る以外に何もできない。


 外に目を向け、物思いに耽る。窓から見える月がとても青かった。













(……うわぁ…)

 黒歴史を読み上げられるような感覚に"やきもき"させられる。

 死神に言われるがまま彼を食べた後、不意に眠くなり、目を覚ましたらこうなっていた。

 私は今、自分の家のリビングに立っていた。……が、本物のリビングじゃない。物には触れないですり抜けるし、かといって外に出ようとすると見えない壁に阻まれて駄目だった。

 死神から軽い説明を受けていたが、まさか本当に彼の記憶に入り込めるとは思わなかった。死神曰く、彼と過ごしてきた日々、全てを見た後に『待っている』らしい。何が待っているかは教えてくれなかったが、兎に角、彼を救う何かしらの手段が待っているのだろう。そう勝手に信じることにした。


 で、今は今日から少し前のあの日―――――リビングで寝ている彼の口に指を突っ込んでいたあの日だった。

 今更ながらかなり大胆なことをしたと思う。いくら細胞が帰りたがっていたとしても、こんな突飛な行動に出るものなのか。

「あ、起きた」

 彼が驚いて起床し、状況を上手く説明できないで私が慌てている最中。自分で自分を情けなく思う。



 空間にノイズが走る。



(まただ…)

 時折こうしてノイズが走ったかと思えば、何故か場所が移動していた。一瞬前まではリビングにいたのに、今は寝室に私は立っている。

 彼の記憶の世界だからか、このように時間が飛ぶことがある。しかし、あくまでそれは短時間。御蔭で、時系列に混乱することはなさそうで助かった。


 窓から差し込む光からして今度は昼間―――――…なのだが、


(……あれ………もしかして、何日か飛んだ…?)

 寝室のベッドに寝かされた私がそこにいる。彼は輸血パックを取り換えている最中だ。

 寝室の置時計の日付を見る。日時からして、私が目覚める数日前だった。……間違いなく、時間が大きく飛んでいた。


 これまではノイズが入っても日が飛ぶことはなかった。……一体なぜなのか、疑問だった。




 予想を立てる暇もなく、またノイズが走る。今度は………どこかの小屋だった。




(…あ)

 見覚えがあると思ったが、昔一度来たことがある。鎧武者の刀を直しにきた鍛冶場だった。

 懐かしい――――なんて思い出にも浸っていられないらしい。窯の近くに、また見覚えのある"人"が転がされていた。


「………あー……そっか」

 ボロボロの身体を見て納得した。犬―――人外犬とか黒妖犬とか言ったか――――を連れて攻撃してきた、あの構成員の男だ。

 私の記憶通りの姿で転がされている。…その髪を掴み、彼が地面から引き上げた。

『――――』

「…なんだ……それ……」

 何かメモを見せ、答えるよう促している。

 男が目を細めて確認する。…絞り出すような声で、答え始めた。

「……人外の………血液を……人に戻す、薬だ………むかし……人体実験の…時の……名残が……」

(…あの点滴のことだ)

 私が打たれていたあの点滴のことだと察した。ここで彼は結末までの流れを決めたらしい。

 彼の記憶だから当然だが、自分の知らない場面が見られるのが少し楽しかった。私が眠っていた間の彼の動向もこうして知れるのは大きい。



 ノイズが走る。今度もまた、寝室だった。

 置時計を確認する。日は跨いでいるが、一日だけ。つまり先程の光景の昨日だ。

 眠る私の傍に座り、頭を撫でている。その手には空になった輸血パック。取り換えたばかりらしい。


(ずっと見守ってくれてたんだ)

 傍にいて、こうやって見守って―――――とても嬉しかった。

 が、いきなり立ち上がったかと思うと、クローゼットを探り始める。何をしているかと思えば、新しい寝間着と下着を取り出した。

「……え…」

 そして私の元にまで来ると、寝間着のボタンを外し始める。

「………あ……」

 分かってはいたが…直に見ると恥ずかしい。確かに寝間着を変えないのは不衛生だし、彼が取り換えてくれているのは察していた……察していたが、直に見るのと予想では全く印象が異なる。


 気恥ずかしくて目を逸らす。過去の光景と理解してはいるが、それはそれ、これはこれだ。恥ずかしいことに変わりはない。


 その間、色々と考えてみた。昏睡していた三か月間。私はどう日常を送っていたのかと。

(………お風呂どうしてたんだろ)

 目を覚ました時の記憶を呼び覚ます。確か記憶が正しければ、髪は普通にシャンプーの香りがしたし、身体にも特にべたつきは無かった。

(…洗われてたんだろうな……)

 おそらく彼が身体を拭いてくれていたのだろう。…そうなると、少なくとも私は三か月もの間、彼に素肌を晒していたことになる。

 彼の性格上、妥協はしないだろうから―――――全部見られたと考えるべきだ。

(……まあいいや)

 もう過ぎ去ったことだし、なんにせよ、彼になら見られてもいい。……それにこれ以上そういうことを考えると、着替えや入浴では済まされないような痴態をさらしていたことを意識しかねない。

 そろそろ着替えが終わったかと振り返る。


 予想通り、着替えは終わっていた。……彼が服と下着を抱えて寝室を出ていく。流石に目を逸らした。


 ドアが閉まった瞬間、ここでまたノイズだ。

(次は"いつ"に飛ぶんだろう)

 始まりまで行きつくには、まだまだ時間が掛かりそうだ。


















 表に出さないよう、ひっそりと溜息をつく。

(ようやく、ここまで来た…)

 いったい何時間が経ったのか。彼に介護される痴態を見せつけられながら羞恥に耐えた前半、それを乗り切れば少しは楽だったが、それでも辛いところがあった。

 彼が大怪我したところをまた見なくてはならないし、もう見たくなものも強制的に見直さないといけないのが辛かった。――――だが、終わりは近い。

 後少しで私と彼の記憶は終わりを迎える。今は病院で私が新聞を読んでいる場面。ここまで来たら、あと少し。



 聞き慣れたノイズがやってきた。おそらく、これが最後のノイズ。


「…久しぶりに見た」

 あの教会。全ての始まりの場所。そこに私は立っていた。

 丁度、彼がガスマスクの人外を壊した直後だった。…そういえばと教会の角を見れば、関川望が倒れていた。半信半疑だったが、本当に彼女はここに来ていたらしい。


 …まあそれだけだ。大した感動もない。

 立ち尽くす彼に目を向ければ、呆然と祭壇にもたれ掛かる私を見つめていた。


 私が何かを呟き、気を失う。そんな私に近づき、目の前で彼はしゃがみ込んだ。

「?」

 何故か私の頭を撫で、顔を撫で、髪に触れ始めた。正面に回ってその顔を見れば、懐かしそうというか何というか。いつもより、優しい顔をして見えた

「あ」

 教会の異変を聞きつけてか、近所の誰かが入り口に現れる。

 同時に彼が隙間を開き、どこかへと消え去った。…この後、私は病院で目を覚まし、彼と出会うのだ。


「終わったけど……どうなるんだろ…」

 近所の人が騒ぎ出す中、考えた。死神は全てを見ればいいと言ったが、何かが起こる気配も無い。

 それより気になるのは、彼のあの行動だ。あの顔は初対面の人間に向けるようなものじゃなかった。男に言うのは変だが母性的な温かみを感じた。

(……一旦、置いとこう)

 気になるところだが、とりあえず今は現状の把握に努める。場面は続いているが、特に変化はなかった。ただ場面が流れるだけで、物に触れられはしないし、外にも出られない。





 何をすればいいのか考えあぐねる中、ノイズがまた聞こえて来た。

(移動………?)

 妙だった。この場面が私と彼の初対面。これ以上遡っても意味がないだろう。

「………長い」

 それにノイズが異常に長い。カセットテープを巻き取るような音がずっと続いている。

 ――――いつまでも止まないノイズに、多少の不安を抱き始めた時、視界が開けた。


「……………家…?」

 そこに見えたのは私の家。間違いなく、私の家だ。

 表札も同じ。外観も絶対に同じ――――――何故ここが映っているのかは謎だが。

 空を見れば星が輝いている。空気的にも、深夜だ。

(なにか関係あるのかな……)

 辺りを見渡し、彼の姿がないか探すと――――遥か向こうに、人影が見えた。


「………え……?」

 確かに彼の顔だった。私が彼の顔を見間違える筈がない。だからあれは彼の筈だった。

 しかし身体が変だ。いつものスーツ姿じゃない。ボロボロのローブを纏い、その手足はいつもより長く、指先は鋭く尖っていた。

 細身なのは相変わらずだが、いつもの彼が骨に筋肉がついている状態だというなら、この彼は骨そのものだ。全く筋肉がなく、棒のような細さ。足も同じくらい細かった。

 そして歩く度、黒い血液が地面に垂れている。肩を押さえ、足を引きずっていることから重症だ。


 私には当然気付かず、そのまま歩いて行く。―――――が、倒れた。流石にこの怪我で歩き続けるのは無謀だ。


(……これが…昔の彼?)

 時系列的には過去の彼らしいが……一体私と何の関係があるのか考えていると、ドアが開く音が聞こえた。

「………え」

 それは私の家のドアからした。そこから、小さな女の子が飛び出してくる。

 呆然とする私を他所に、倒れた彼の傍までくると、その身体を引っ張り始めた。

「え、え…え…」

 困惑した。いや誰だって困惑するだろう。

 この家は私の家だ。表札も同じだ。窓も何もかも同じだ。

 そしてこの女の子のことを私はよく知っている。


「……嘘…」


 これは―――――十年前の私だ。


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