奪取
「……――――ィ……あ……ぁ……」
「………」
見張りが顔から地面に倒れようとする。慌ててそれを押さえ、引きずりながら物陰に隠す。…隠れる場所があればこんな手段には出なかったが、廊下の構造的に隠れる場所がない以上、こうして気絶させるしかなかった。
『……どうだ?』
「…うん……大丈夫」
引きずり、廊下の陰に放置して先に進むことにする。
気絶の手段は簡単で、殴ったりとかはしていない。
このコウモリの牙で気絶させていた。吸血鬼もこうなる展開は予想していたらしく、毒に似たものを注入できるようにコウモリは改造されていた。…もうここまでくると生物かどうかも怪しいが、それが"人外"だ。
――――もう一度見張りの様子を確認したところで、"あるもの"を見つけた。
『…どうした』
「いや、ちょっと――――」
引き返し、急いでそれを手に取った。
「やっぱり…」
護身用なのか見張り道具なのか知らないが、それは小さなナイフだった。ただ、私の手ほどの長さしかなく、正直頼りないが――――――何があるか分からない以上、何も持たないよりは絶対マシだった。
『急げ』
「うん」
左手に持ち替え、歩き出す。油断させてすぐ攻撃できるよう、刃先を外に向け、袖下に上手く入れた。
付け焼刃の知識でもいいから、今は頼りたかった。
『…それと、脱出手段についてだが、このまま進みながら説明していく』
コウモリが話す。………内容的にはとても大胆だったが、出来るというからには、出来るのだろうと深くは考えなかった。
「……上手くいく…?」
それでも不安に思って聞いてしまう。
『きっと大丈夫だ―――――保険も用意してある』
その保険について話される。
「…………それ、大丈夫…?」
――――――内容を聞いて、正直驚いた。最初の脱出手段の数倍は大胆だった。
『大丈夫だって。…少なくとも、それを先導する"奴"は信用できるんじゃないか』
"奴"――――その人外については、知っていたし、信用は……彼の次ぐらいにできる。
「まぁ……うん…………多分」
『曖昧な返事だが、四の五の言っていられない状況だ。行き当たりばったりでも、上手く動くしかない』
「……はい」
かなりの緊張感に支配される。おそらく、こんな経験をするのはこれから先の人生、一度もないだろう。
早足で廊下を駆けていく。袖下のナイフが少し怖いが、気にしてる場合じゃない。
『……ここだな』
コウモリが言った。運よくあれからは見張りには会うことなく、こうして目的の場所までたどり着けた。
「………」
『どうした』
「……いや…なんでもない」
しかし、少し奇妙な気がしていた。この先に彼がいるらしいが……彼女の話からして彼は相当危険らしい。なのに見張りが誰一人としていないのは、変な気がした。
罠があるからなのか、それとも"あえて"見張りを置いていないのか―――――どちらにしても怪しいが、迷っている時間は無かった。
『ここからは付いていけない……あわよくば…と思っていたが、無理そうなんだ』
「……ん」
左右の壁に、様々な細工がされている。札とか十字架とかがグチャグチャに張られ、掛けられ……兎に角できる対策は全部やった―――――そんな感じ。
こういう場所は人外にとっては猛毒だ。――――いくら人間の私でも、気分が悪くなる。
『さっき言ったように、"十分"経ったら"迎え"が来る。それまでに、アイツが五体満足なら意識を回復させるか、無理なら連れて行けるようにしといてくれ』
「分かった」
『気をつけろ』
「そっちも」
コウモリが私の腕の中から這い出て飛んでいく。
駆け足で進む。あまり時間はないらしいので、何もかもを急がないといけない。
「っ―――……?………なに…これ…」
…ただ気分が良くない。壁の装飾のせいかとも思ったが、人間には効果が無い筈―――――筈だが…
(…急ごう)
余計なことを考えている暇はなかった。今は彼の安否を優先。それだけを考える。
奥に行けば、"如何にも"な祭壇があった。天井にはステンドグラス。そこから月明かりが射しこんでいる。
一言でいうなら、『豪華』だ。銀十字や銀の装飾。札。ここまでの廊下とは違って、混沌としつつも、奇妙な統一感があった。
(あの教会と似てる)
どこかで見た記憶があると思ったら、彼と最初に会った教会の構造と似ていた。彼女は彼は封印されていたと言っていたので、それを真似ているせいかもしれない。
祭壇に近づく。祭壇の上、下、裏側を探す。何度も、何度も探した。……彼が入っていそうな物や……隠し扉のようなものは見つからない。
(他の所に……?)
しかしこれ以上先に部屋はない。非常口も何も無い。ここが最奥部だ。
どうしようか―――――迷い始めたところで、思い出した。前にも似た経験をしている。吸血鬼の遺体の奪還の時、私は人間大の遺体と思っていたが、実際は腕しかなかった。
それなら彼も、何か別の形になってここに置かれている可能性がある。
(…祭壇)
祭壇の上に転がる様々な道具を調べていく。――――その中に、一つだけ厳重に封をされた"ビン"を見つけた。
「……―――……よし」
手に取って、札や装飾を取り除く。何重にも張られた札の奥に、黒い液体が見えた。
確実に見覚えがあった。…念のために光に照らす。
「………"血"…」
彼の血液とそっくり……いや、おそらく本物だった。毎日あの点滴で見てきた身だ。あの黒は黒でも普通と何かが違う感覚は、忘れようがない。
血液に満たされたビンの中に、もう一つ、大きな塊が見えた。よく見えず、中途半端だった札をさらに剥がす。
「……これ…」
これにも見覚えがある―――――そう思った途端、足に激痛が走った。
「いッ……ッ……あ……っ―――ッ…」
祭壇にもたれ掛かり、のたうち回りながら振り返る。……銃のようなものを構えた誰かが立っていた。
(バレた………!)
完全に気を抜いていた。目の前の誰かが、一旦銃を下ろす。その背後から大量の足音が聞こえて来た。
みるみる内に人が増え、あの犬までもがやってきた。人は全員、銃を私に向けてくる。中には刃物を持っている人までいた。
その中央から、靴音が聞こえてくる。集団を掻き分けて、彼女が、関川が現れた。
「…幸村さん………それを祭壇に置いて…」
武器らしきものを床に置き、ゆっくり近づいてくる。彼女から離れるように、足を引きずってさらに後退するが……後ろは祭壇。逃げ場はない。
「今なら、まだ間に合う……私が守ってあげられる…………だから、置いて」
光で微かに見えた顔は真剣そのもの。これまで見たことが無いくらい、真剣だった。
「早くしないと封印がまた解ける…………早く―――――早く……っ」
ビンを―――――彼を抱える。彼女の言葉からして、コレが彼の重要な"何か"であることは察していた。
だからこそ、決して渡す訳には行かなかった。足の痛みなんてどうでもいい。頭を打ち抜かれたとしても、離すつもりはない。
私まであと数歩というところで、不意に立ち止まった。
「……どうして…?」
「…………?」
「……私たちは貴方を守ろうとしているのに………それを拒否するの…?」
「……――」
「だって………貴方だって、ソイツの行動がおかしいって……どこかで思ってたんじゃないの?そういうこと、一度もなかったの……?」
至極当然の疑問だと思う。彼女たちにとっては不思議でならないのだろう。―――――危険な存在に、ここまで固執する理由が。
そしてそれを私に何度も説いたのに、何故信じてくれないのかが理解できないのだ。
「…――」
心臓が強く波打つ。同時に、彼を抱える力も強くなる。
彼女たちの言い分も………冷静になって考えれば、全部が全部、理解できない訳じゃない。話の中には、昔から人外絡みの事件に巻き込まれ、不幸な日々を過ごしてきたというものもあった。そういう経験をしている人からすれば、私の行動は"悪"にしか映らないし、困惑するに決まっていた。
でも私にも譲れないものがある。彼に向ける感情なんてどうでもいい。私からこれ以上、身近な人を――――――家族を奪わないで欲しい。
「………彼は……家族、だから…」
絶え絶えの息で言った。
「ようやく、作れた…………私の、家族………」
そう。家族だ。血は繋がっていなくても家族。私たちの関係を示す、やっと見つけた的確な言葉。
「……家族は………守らないと…」
足から流れる血は、いつの間にか止まっていた。痛みも、鈍痛に変わっていた。
彼女が目を逸らす。聞きたくない、意味が分からないという顔で、私に近づいてきた。
袖の下から一丁の拳銃が出てきた。それを構えて、私の額に当てる。
「………それを…返して……」
「……――――……」
左手を、強く握る。撃たれた時も、倒れた時も、無意識に握っていた。
胸に抱えていた彼を、震える右手で差し出す。
「……ありがとう―――――幸村さん―――――」
「――――ッ!」
彼が彼女の手に渡ったその瞬間、左手を彼女の腹部に突き立てた。無事な方の足を後ろに、体重をかけて彼女を押し返す。
「………は…」
信じられない――――そんな顔で彼女が仰向けに倒れていく。その腹部には、廊下で奪った刃物。拾っておいて、本当に良かった。
彼女から彼を回収する。奥の集団が騒ぎ出し、一斉に銃を構えた。
(……そろそろ――――…)
そろそろ、時間だった。だからもし、ここでタイミングがズレていたら終わりだった。
彼を全身で覆い隠し、発砲音が聞こえたその瞬間――――――何かが一斉に割れる音が聞こえた。
(来た――――ッ)
銃弾が私の真横に撃ち込まれ、目の前が真っ黒な何かで覆われる。
大量――――言葉で言い表せない数のコウモリが、ステンドグラスを割って侵入してきた。
あの吸血鬼が用意してくれた脱出手段。彼を捜索する時間とこの騒動……それで"十分"が経過した。
集団は完全に混乱状態で、コウモリの対処に追われている。が、用意された手段はそれだけじゃなかった。
「ゥ――――ァー――――ァァ―――ッ!!」
廊下から物凄い声量の雄たけびが聞こえてくる。今回、色々な人外が協力してくれていると吸血鬼からは聞いていた。
何故協力してくれているのか。組織への反発心を煽ったらしい。
組織に反抗的な人外は決して少なくない。前に彼が話していたように、この組織には圧倒的に知識が不足している。手を出さなければ問題はなかったのに、わざわざ余計なことをして事を荒立てたりすることも多かった。人外側としても、腹立たしい思いでいた筈だ。
そんな人外たちを引き連れ、このタイミングで襲撃してくる手筈になっている。そしてその人外たちを引き連れているのが、あの"鎧武者"とも言われた。流石にこの祭壇までは入ってこられないが、混乱を引き起こすなら玄関先でも十分だった。
結果、様々な方向で異常が発生したお陰で、私に構っている余裕はないらしい。その瞬間を逃さず、信じられない数のコウモリが私と彼を持ち上げる。人間一人をコウモリで持ち上げられるか不安だったが―――――どうにかなった。
そのまま割れたステンドグラスに向かって飛ぶ。かなり不安定だが、それでも彼だけは落とさないようにしっかり抱えていた。
途中、銃弾らしきものが頬をかすめたが、コウモリは飛び続け、無事、脱出できた。
外に出る瞬間、後ろを振り返る。コウモリに襲われながらも、彼女を誰かが救出しようとしていた。
「……――――」
正面に向き直る。気味が悪いくらい、青く綺麗な月だった。
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