脱出
「それじゃあ私は行くね……」
彼女が椅子から立ち上がる。私は横になって、布団を被っていた。
「………ごめんね。でも、分かってほしい」
「…………」
答える気力がなかった。
「………」
黙って部屋から去って行く。部屋の電気を消されたことから、きっと今は夜なのだ。もう寝ろ、と言われているらしい。
それから少し、考えた。
彼女の言っていることはどこまで信じられるのか。ぽっと現れて嫌なことをたくさん言い残していった女を。私を騙した女を。
いつか彼女と関わっていると大変な目に遭うような予感はしていた。てっきりあのデュラハンの一件のことかと思っていたが、全然違った。今回が、"その時"だった。
…それは兎も角、まずは彼について整理しないといけない。
彼女の言い分は詳細は知らないが彼は私を騙して、なにか危険なことをしようとしていた可能性が高いというもの。ただし根拠はない。組織としての経験とか抜かしていたが、到底信じられたものじゃない。
……しかし、彼の行動に不可解な部分があったのも確か。そもそも、どうして彼が私と一緒にこれまで生活してくれていたのか。その理由が全く見えない。
当然、何か目的があっての行動の筈……なのに、どんな目的があっての行動なのか―――――それが分からない。
私は彼女の説明を、根拠がないと言って聞き入れなかった。けれど、それは私も同じで、彼を根拠もなく信じてきた身だった。
今更になって、私が彼をここまで信じていた理由を考えている。…こんな言い方をしたくはないが、傍からみれば私は彼を妄信しているように見えている。
彼に恋をしている、と結論付けたあの夜も、思い返せば無理やり過ぎてはいなかったか。
過去を思い返せば返すほど、私の行動全てに理由も根拠もないことが浮き彫りになってくる。
……ほんの一瞬だけ、彼女の言い分が正しいように感じてしまうくらいには、弱っていた。
「……………よし…」
だが、"ほんの一瞬"だ。一瞬が終われば、その後はいつも通りだった。
今は彼の全てを信じると決めた。彼の何に惹かれていたのかは知らない。根拠はない。
誰かに説明もできない。ヤケクソと言われても否定できない。―――――が、吹っ切れた。
ここまできたら妄信してやるつもりだった。彼に向けていた感情が恋だろうがなんだろうが催眠によるものだろうが関係ない。
元を辿れば、私は彼がいなければきっと、ただの心臓病で死んでいた。それを救ってくれたのは、おそらく彼だ。
妄信する理由は、それでよかった。
数分が経って目が暗闇に慣れた頃、本格的に動き出した。
ここから脱走する為だ。"ここ"は信用できない。
「……噛み千切るかな」
まずは手首の点滴だ。これを切り落とした後で、もう片方の手錠も外さないといけない。
点滴のチューブは歯で噛み千切るとかでいけそうだが、問題は手錠だった。鍵なんてその辺に落ちている筈もない。
針金とかでこじ開ける方法があるらしいが、私は専門家じゃない。きっと無理だ。
親指を見た。手錠は、親指があるせいで引っ掛かって抜けない。
手錠がどうにかできない以上、私の手の方をどうにかする方が早かった。切るか、折れるの覚悟で無理やり抜くか。
「………刃物…」
それに近い物がないか探すと――――――布団の中で、変な感触がした。
「……?…………うわ…っ」
引っ張り出すと、気味の悪い塊が出て来た。思わず布団の上に放り出してしまう。
感触からして、生き物らしかった。…目を凝らすと、羽のようなものを丸めて、縮こまっているように見える。
「………」
なにかに利用できないかと触れた瞬間、いきなり動き出した。
「ああああぁ……」
羽を広げて部屋中を飛び回る。鳥……いや、コウモリのような生き物だった。
一しきり飛び続けて、布団の上に着地する。丸い目が射抜くような視線を私に向ける。
「………」
私も私で硬直して目を合わせ続ける。
よくよく見れば、確かにコウモリ……だが、一瞬生き物かも怪しく見えた。コウモリの全身に妙な模様と布が巻かれていたせいだ。
それが小さく跳躍し、私の膝上に乗る。そして―――――
『―――――厄介なことになったな』
「え」
いきなり話し始めた。
『アンタ、俺が誰か分かるか?』
「………えっと…」
喋るコウモリ……少なくともこれまで出会ってきた人外の中にはいなかった。人外なら有り得ない訳じゃない…が、こういった小さな人外は見たことも、ましてや話したこともない。
『アンタとアイツには助けられた。だから今度はコッチが助けにきた』
そう言われても分からなかった。…しかし、どこかで聞き覚えのある声だった。いつか、どこかで………
『吸血鬼の遺体の奪還。覚えていないか?』
「――――あッ」
どこかで覚えがあると思えば、仲間の遺体を奪還してくれと頼んできた、あの吸血鬼の声だった。無事に故郷に帰れたらしく、安心した。
シッ、と声を出すのを止められる。
『静かに、あまり声を出すとバレかねない』
「……はい」
声を押さえて応答する。よし、と声が聞こえ、吸血鬼が続けた。
『まず説明だ。このコウモリは相当に改良した、俺達吸血鬼の部下みたいな生き物だ。だからこの部屋くらいなら俺の声を繋ぐことができる。…あの一件の後、アンタに何かあった時にどうにかできるよう、アイツに頼まれて作ったんだ』
吸血鬼にコウモリ…納得の組み合わせだった。
『それで本題に入るが―――――アイツに会いたいんだな?』
「………当然」
当然だった。多少惑わされたが、今はもう大丈夫。しっかりした意思がある。
「…どこにいるか分かる……?」
『どこにいるも何も……ここにいる』
「……この建物?」
『そうだ。ここにいる』
なら丁度良かった。彼と会って、二人で逃げる。
『妙なことをされているだろうが、あの女の話し方からして、生かされはいるらしい。…拘束されていると見ていい』
「分かった―――――少し待って、動けるようにする」
点滴のチューブを折り曲げ、それを繰り返し、出来る限り脆くする。針そのものを外すのは包帯の頑丈さからして難しかった。
耳はコウモリに傾けたまま作業を続ける。
『よし――――……あまり時間がない。取りあえず、簡単にアンタの身体の状態を伝える』
「…?」
『単純に考えるんだ。これまで何かが変だと思ったことはないか。大きく、何か変化があった筈だ』
「………変化…」
『例えば、アイツと会話ができるようになったとかじゃないか?』
「……………どうしてそれを…?」
『―――……』
コウモリから唸るような音が聞こえた。…少し不安になる。
『………後で説明する。いいか、落ち着いて聞け。俺の声はアンタにしか聞こえていないから、アンタさえ声を出さなきゃ大丈夫だ。いいな?』
「…はい」
『よし――――――まず、あの女に何かを吹き込まれただろう。大方、アンタを次の入れ物にするとか、そんな感じのを………まぁ、その様子からして全く通じてないみたいだが』
「―――ん」
小さく肯定する。
『当然、アイツの本心は違う。寧ろ、その逆だ』
「………どういう――――」
どういうことかを聞く前に言葉で遮られた。
『アイツはずっと、アンタ以外の為に動いていない。これまで色々な人外の手助けをしてきたのも、俺のことを助けてくれたのも、"いざという時"、こうやってアンタを助けるための恩を売るためだ。アイツは、こういう状況を想定していたんだ』
話から判断すると、彼は全部を………
「……折り込み済み…」
『そうだ。すべてが思惑通り……明日、点滴を終え、アンタだけが無事に家に帰されるところまではな』
アンタだけ―――――引っ掛かる表現だった。
「………私だけ?」
『ああ、アイツは初めから自分の命が助かることを勘定に入れていない。アンタだけ生かせればそれでいいと考えている』
――――首を横に振る。
「…絶対に嫌だ」
『だろうな。アンタならそういうと思っていた……少しじっとしてろよ…』
コウモリが跳躍し、私に掛けられた手錠の前までやってくると、巻き付けられていた布の隙間から何かを器用に引っ張り出した。
「……針金…?」
『これで開錠する』
……流石に、無理だと思った。
「…ドラマじゃないんだから……」
辺りをもう一度見渡す。刃物の代わりになる物さえあれば、指を落として手錠を外せる。今のところ、それが一番早い方法だ。
「……指、切り落とすとか…」
『そんなことが軽く言えるならメンタルは大丈夫そうだ―――――いいから任せろ。絶対外せる』
コウモリが必死に針金を動かしてしばらく。小さな音と共に腕が自由になった。
「本当に外せるんだ…」
『留置所用の手錠じゃないからだろう。本物なら、こう簡単には行かない』
「…もし上手く行かなかったら?」
『その時は、悪いが指を切って脱出して貰うつもりだった。本当、外れたのは運がいい』
「………」
結構行き当たりばったりな気もするが、文句なんて絶対に口が裂けても言えない。今頼れるのは、この声だけだ。
折り曲げ続けたチューブが格段に脆くなってきたところで、糸切り歯を当て、噛み千切った。
『アイツが何を想ってアンタと接触したのか。どうして一緒にいたのか……それはまず、ここを逃げ出してからだ』
「…うん」
点滴のチューブをどうにか落とし、ベッドから起き上がる。針は皮膚に残ったままだ。
『いけるか』
「大丈夫」
『スリッパは履くなよ。音が出やすい』
「はい」
ゆっくり、音を立てないようにドアの前に立つ。
(………誰もいない)
耳を当てて廊下に誰もいないことを確認した。
ドアノブを捻り、そっと開く。
(…いこう)
これまで助けられた恩を、返す日がようやく来た。
後ろ手でドアを閉める。部屋の中で、切り落としたチューブが揺れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます