強襲

「あ、おかえり」

 珍しく玄関から帰って来た。

『――………』

 ただいま、と言いかけて、隣の武者を凝視し始めた。驚いているようなので、やはり約束はしていなかったらしい。

『どうも、お久しぶりです』

 武者が頭を下げる。そして脇に立てた刀を持ち、立ち上がった。

『では、これにて失礼を―――――』

「え」

『?』

「いや……彼、ですよ?」

 彼に用があったんじゃないのか……武者自身そう言っていたのに、と困惑する。

 武者が笑って言った。

『いやいや、本来なら玄関先で済むような話なので、ここにいる必要はないんです』

 帰るまでの数秒で済むような話―――――ということなのか。その程度の話の為に数十分待っていたというのは―――――なんだか怪しい気がした。

 なのに本当に帰ろうとしているので、言ってることは本当らしい。…疑うのも無理はないと思う。こんな状況、初めて見た。

『――――』

 机のお茶を片付けてくれと言われた。珍しく、私を使ってくれた。点滴をするようになってからは片付けとかはするな、と言っていた彼が、片付けろと言うのは珍しい。

『それじゃあ、またいつか』

 武者が手を振るので、私も肩のあたりで手を振った。玄関を開け、武者が外へ消える。彼もその後に続いた。

 取り残された私は、片づけを始めた。






























 玄関を出て、早々に切り出した。

『少し話しましたが、予想通り、貴方にかなり惹かれてるみたいです。しかし、恋とは言い難い………まるでアレは……………』

 彼女の反応は、決して恋慕とは言い難い、別のモノだった。恋愛が川なら、彼女のそれは沼だ。しつこく、逃れられない黒い沼――――――恋なんて綺麗なものじゃない。

『―――――』

 それは知ってか知らずか、彼は何も言わない。

『…でも、それでいいと思う、というなことは伝えました。どうやら過去に嫌な記憶があるようなので、彼女の"やり方"を否定するのは絶対に不味いでしょうから』

 黙ったまま、外を見ている。

『……どんな歪な形でも、貴方に惹かれていることに違いはない。受け入れては?』

 首を横に振った。が、明らかに迷いがあった。

『――――――』

 これ以上言っても無駄な気がして、黙った。 


『…昔の貴方は、精神から何から、全てが強靭といえる存在でした』

 幽霊という名の人外と化したせいか。無謀にも目覚めた直後、戦場の恐怖に駆られ、傍を通りがかったある人外に斬りかかってしまった。それが、この人外だった。

 刀は見事に直撃したというのに、何故か押し負けたのは此方の方。…酷く混乱したのはよく覚えている。直撃した刀の刃が一気に欠け、ボロボロにされたのも混乱を促進させた。…それを壊した本人が直してくれるとはなんとも皮肉だ。

 そしてその日、人間としての常識が通じないことを思い知らされた。当時は荒れたが、今では懐かしい。


 ―――――しかしそれも昔の話。今の彼に、あの頃の強さは微塵も見られない。その理由は、なんとなく察していた。

 ……その代わり、人間らしさは増した。元から人外として生まれた存在だというのに、今ではどんな人外より人間らしい。私の目線からすればだが、それは決して、悪いことではない。


『………世界とあの子……どちらか一方なら、どちらを取りますか』

『―――』

 試しに聞いてみたら、即"あの子"と返された。…どこまでも予想通りで笑ってしまいそうになる。

『…それで自分が死ぬことになったとしても?』

 迷わず頷いている。ここまでくると、呆れる以外にない。



 呆れる中、彼が言った。――――――それに少し、驚いた。そんな言葉が彼の口から出るとは思わなかった。




『…………成る程……だから、あの時刀を直してくれた、と……近々来るであろう"その日"の為に』

 念の為だと付け足したが、おそらく彼は絶対に"そうなる"と考えているのだ。そうじゃなければ、こうして頼ってはこない。そういう性格だ。

 気難しい性格をした彼がああやって刀を直した理由が分かった。大方、他にもいくつか似たような案件を彼女と共に解決しているのだろう。"その日"の為に。


『……別に構いません。止めはしませんし、貴方の好きなようにすべきです……………少し寂しい気もしますが』

 決して彼を肯定しかしないイエスマンになるつもりはない。彼の場合は、もう止めても無駄なだけだ。一年、二年……それよりも前からきっと、全てを始めていたのだろう。仮に踏みとどまれるとしても、きっと彼は誰にも耳を貸さない。

(君は………とても愛されている)

 扉の向こうの彼女に伝えてあげたい。こんなにも彼は、君を想っていると。何故こんなに強く想っているのかは知らないが、詮索は野暮だ。 


 彼が自分の指先を見つめていた。微かに、痙攣を起こしている。

『身体………いつまで持ちます?』

 数週間――――――そう返答された。それは飽くまで"持つ"時間。こうして動ける時間じゃない。もしそれまでに何かあれば………おそらく彼は――――――

『…いっそ、話してしまったらどうですか。彼女、困惑はしても、貴方を嫌ったりはしないでしょう』

 既に何もかもが動き出している。その中心の彼女は何も知らない。

 だからこその提案だったが………聞き入れてくれたかは怪しかった。









 一日分の点滴を終えたので、今日は一緒に眠れる日だった。

 ベッドに入ってきた彼に近づく。背を向ける前に、腕で身体を覆った。今日はいつもより積極的に動ける日だった。

『――』

 それに対して彼は何も言わず、ただ一言だけ残して眠りにつく。…目が無いので眠っているかどうか測れないが。

 私もそのまま目を閉じた。閉じて、力を抜いて、それで眠れる筈だった。




『………――――』

 唐突に、意外にも彼が話し掛けて来た。真夜中にこうして、彼から話し掛けて来るなんて珍しいことだった。

「……起きてるけど?」

 そう答えると、起き上がって私を見つめた。倣って私も起きる。

 いきなり彼が髪を撫でてきた。手に取って、確かめるようにして触れる。

「…………?」

 髪から、今度は肩に、背中に手を添え、彼の方に引き寄せられた。

 そして、意味も無く、抱きしめられた。

(……どういうことなの)

 これまで彼と過ごして来て、突飛な行動に出ることは少なくなかった―――――が、今日は、奇行にも匹敵しそうだ。

 意味が分からない。いくら突飛でも、それには何かしらの理由があった。しかし、今回のコレは前後の脈略もなければ、彼らしくもなかった。


 骨ばった肩に顔を埋める。少し痛い。

「…なにかあった?」

 背中を撫でる手が止まる。

『………』

 黙って、何も答えない。それでも抱き締めるのは止めないで、そのままだった。

「……サド?」

 いつも以上の沈黙が怖くて、思わず名前を呼んでしまう。だけど力は強くなる一方で……

「…痛い……痛い痛い…」

 何をしているのか分からないのが本当に怖かった。おおよそ彼らしくもない行動。もしかして偽物なんじゃないかと思ってしまう。

 でも匂いも体格も、全部が彼そのもので―――――



『―――――』


 彼が何かを言いかけた瞬間、家が大きく揺れた。


(地震……違う…っ?)


 明らかに災害のそれとは違う、物凄い音が聞こえた。物が、部屋が壊される音―――――


『――――――!!!』

「っ!!」

 彼が私を離しベッドから飛び出して、私の前に立つ。力を入れた指先が、暗闇でも分かるくらいに鋭くなっていた。

 物音の次は何かを壊す音。それが、近づいてくる。

 彼が扉に向かって手を振り下ろす―――――その瞬間、扉が粉砕され、奥から出て来た何かに手が直撃する。


 ―――――聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。

(これ……あの時の――――!)

 暗闇の何かの顔が見えた。…あの男が引き連れていた犬。それにそっくり…そっくりだが、サイズが明らかに違った。大きさが犬の範疇に収まっていない。自動車……それ以上のサイズの犬が、壁ごと扉を壊して侵入してきていた。

 彼が指先を犬の頭部に食い込ませて抑える中、私は、妙な違和感を感じていた。


 声が聞こえていた。犬の唸り声―――――だが、目の前の犬ではなかった。同時に、二つの唸る声が―――――――



(一匹じゃ――――――ない…ッ)




 犬の後ろから、さらに一回り巨大な犬が飛び出した。壁どころか天井までを破壊して私の方へと走ってくる。

 彼がそれを止めようと振り向くが―――――相手をしていた犬に腕を噛まれ、動けない。


 牙を見せて私に跳び掛かってくる。


「うぁッ!?」

 横向きに跳んできた犬に腹部を噛まれ、持ち上げられた。そのまま、窓を突き破って外へ出される。

 私を放り投げもせず、噛みついたまま犬が移動する。その勢いは、前に会った犬より数倍は速い。


 遠目に一瞬、彼の姿が見える。

 私の方へ手を伸ばす。届かないと知りつつ、私も手を伸ばした。

「ぅ――――――――ぁ…ッ」

 腹部を噛む力が一層強くなる。激痛に意識の糸が音を立てて切れた。



 すべてが一瞬の出来事だった。












 鎧は察して、走り出した。まさか、信じられなかった。

 こんなにも早く、"その日"が来るとは思っていなかった―――――いや、初めから、嘘を教えられていた可能性もあった。

 彼からこんな話は聞いていない。彼から聞かされていたこととは―――全く違う。


 柄に手を掛け走り続ける。黒妖犬と思われる影が見覚えのある家から飛び出した。

 確実に手遅れ―――――最悪の状況を想いながら道を曲がりかけたその時、

『おッ―――――!?』 

 大量のコウモリが飛び出してきた。

 追い払おうと脇差を抜きかけたその時、真後ろに何かが着地した。

 振り向いた先にはローブを被り、大鎌を持った細身の男だった。


 脇差から手を離し、大刀を素早く抜く。男の方向から踵を返し、コウモリの集団に飛び掛かった。


 視界が黒で塗り潰される。











 目を覚ました時、全く知らない天井が見えた。

 急いで起き上がり、ベッドから起き上がろうとした―――――手首の妙な感覚に振り返る。

「な……」

 ベッドの柵に手錠で繋がれていた。思い切り引っ張ったが、両方とも鉄製。手首を痛めるだけで終わった。それだけじゃない。左腕には点滴の針が刺しこまれていた。

 周りを見れば、まるで病院の一室のような白い空間が広がっていた。扉はあるが、窓はない。

 服もあの時着ていた物とは違う。入院患者のような――――


「………探さないと」


 彼の姿がどこにもない。あの状況からして私は攫われたと見て良い筈なので、ここから急いで逃げ出さないといけない。

 あの見覚えのある犬からして、あの男の話していた"人外を殺す組織"の仕業なのは明らかだった。

 ベッドの周りを探索して、どうにか逃げる方法を探し始める。誰かが来てからでは遅かった。


「――――っ……痛…」


 腹部の激しい痛みに倒れ込む。ベッドから身を乗り出していたせいで、床に頭から落ちた。


「……ぅ…」

 それでもと探索を再開しかけた途端、ドアが開いた。

「!」

 顔を上げて睨みつける。もうここまで来たら出会う人は全員が敵だ。彼を殺そうとした。社会的には"正義"でも、私的には"悪"。


 だから睨みつけて―――――精一杯抵抗しようとしていた。


「あっ…なにしてるの!」

 なのに、ドアから現れた"敵"に呆然としてしまった。

 敵は――――彼女は駆け足で私の元にまでくると、肩を支えながら立ち上がらせてきた。

「…なんで……」

「ほら、ゆっくり座って――――」

 明らかに知らない人なら、その手を容赦なく振り払っていた。どんなに優しくされても、拒絶する以外の行動は頭から無かった。

 ――――それが、全くの赤の他人だったなら。



「……貴方…」

 意味が分からなかった。どうしてここにいるのか。そもそも彼女は―――――視えない人間だった筈。

 "あの時"は魅入られていたから一時的に視えていただけで、常に見えていた筈が―――――


「…関川…さん……?」

 関川望――――あの時、デュラハンに狙われていた――――――――


 私のクラスメイトだ。










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