再会

 あの夜から三日が経った。この三日で色々なものが変わったと思う。


 まずは私の現状。これまで以上に官能的な思考が増えた。間違いなく、彼を意識しだしたのが原因だ。高校生らしい、そういうものへの興味が一気にあふれ出した。

 でも、"そういう画像"を、"そういう動画"をいくら見ても、あの夜のようなキレイな気分には程遠い。アレが百だとすれば、これは二十にも満たない興奮だ。

 寝る前に記憶の世界に入り込み、思い出しては快感に耽る。抱き締めた感触。彼への恋慕。たくさんのものが積み重なって、何とも言えない気持ちになる。

 私はここまで変わったものの、彼はいつもと変わらない。それはそうだ。別に彼にこういう感情を抱いてるなんて伝えてないのだから。


 だから表面上、私達の関係は何も変わっていない。―――――変えるつもりもない。


 もし拒否されたら    立ち直れない。









 真っ白な地面に強い日の光。窓を開けて吹き込んでくる冷気も心地いい。

 そうやって気を抜いていると、窓をいきなり閉められた。

「………寒い?」

 窓を閉めた彼に聞く。

『――――』

「………うん」

 風邪を引くと言われるが……やけに今日は日が強い。窓越しに当たる日が暑くて辛いのだ。

 彼は少し迷って、少しだけ窓を開けてくれた。

「…ありがと」

 頷いてから、点滴を取り変えてくれる。日を追うごとに点滴の量は少なくなってきて、これまでは日に三回だったのが今では日に一度。

 量を減らすということは、私の身体が回復に向かっている証拠だろう。その内、この針も外してくれる筈だ。


 これが外れたら、また普通の学生としての生活が始まる。そう思っていた。








『――――』

「え、用事?」

 いきなり彼が床に隙間を開いて、私にそう言った。すぐ戻る、と言い残して。

『―――』

「ま、待って、何時に帰って――――……ぁ…」

 ………引き留める間もなく隙間に入って行ってしまった。

 直ぐ戻るとは言ったが、不安になる。せめて大体の時間くらいは言って欲しかった―――――それでなくとも彼が私から離れてどこかに行くのは稀なのだ。今の感情的にも、離れていると酷く不安になる。

 点滴をされながらリビングを歩き回る。やることといえば……勉強くらいか。しかし意味があるのか分からない。……勉強自体に意味がないのではなく、理由は他にある。多分、ここまで休んでしまうといくらなんでも留年になるからだ。担任にはまだ相談していないが―――――…きっと、そうなる気がしていた。

 それにどうせ彼からの許可は当分出ない。試しに後どれくらい点滴を続ければいいのか聞いてみたら、まだまだ続くと返された。


 手持ち無沙汰になり、意味も無くうろうろする。冷蔵庫に行っては開けて、閉めて。寝室に戻っては、出て。そんなことを繰り返す。

 音楽を聴いていても落ち着かない。テレビを点けたが、すぐ消してしまう。酷く物足りない感覚だった。

「……駄目だ」

 一応寝室から勉強道具を持ってきて開いたが、あまりやる気が出ない。開いて閉じてを繰り返すだけで全く進まない。

「………」

 彼が来る前は当たり前だった孤独が、今では異質になってしまった。こういうのを恋しいというのだろうか。

 携帯電話を弄る。検索ワードに"恋愛"が記憶されている。完全に毒されていた。


 どうしていきなりこんな感情が芽生えたのか不思議でならない。あの男の言葉がとても引っ掛かっていたからか、ただの偶然か。私には判断できない。

 しかし彼に強く惹かれているのは確かなこと。それは疑いようも無い事実。


「……―――――…あー…」

 一人、呻いてしまう。誰かに私の現状を分析して貰いたい気持ちで一杯だった。

「……?」

 天井を見上げて数秒、インターホンの音が聞こえた。

 立ち上がって玄関に向かう。点滴も当然一緒だ。

 ドアを開けようとして――――――踏みとどまった。

(……人間?)

 実は彼と暮らし始めて最初の頃、こうして人間かと思ったら人外だったことがあり、大変なことを経験した。それ以来、彼からは、特に彼自身が留守の時は気をつけるように言われていた。

 覗き穴に目を合わせる。扉の先にいたのは―――――――


(………鎧?)

 鎧を着た男だった。―――――念には念を入れ、チェーンを掛けてドアを開く。

 間髪入れず、言った。

「……あの時………貴方に直して欲しいと言われた物は何か――――憶えてます…?」

 面食らったような目して、すぐ兜の奥の目が細まる。

『…成る程ね。そうか、彼から注意するよう言われたってことか』

 腰に差した刀を見せてきた。とても見覚えのある刀だった。

『この刀。父が打ってくれた刀だ』

 それを聞いてチェーンを外した。

「お久しぶりです…」

『半年か、それくらいかな』

 鎧――――――鎧武者が、笑って言った。






 家に上げ、お茶とお茶請けを出す。

『ああ、ありがとう』

 そう言って直ぐにお茶を手に、飲み始めた。どう飲んでいるのかは、兜の奥が暗いせいでよく見えない。

 この武者のことはよく知っていた。学校のグラウンドにいたあの武者だ。あの時は刀の修復を頼まれて、彼のお陰でどうにか解決したのはしっかり覚えている。

 それからはすれ違うこともなかったが、結構初めの方に会った人外ということもあって記憶はしっかりしていた。

 お茶を飲み干して、私に向き直る。鎧と兜はそのままに、刀は脇に立てかけていた。


『おいしかった。ありがとう』

「なら、よかったです……………あ…彼、いま留守にしてるんです…」

『みたいだね。いつ出かけたかな』

 時計を見る。

「……数十分前、かと」

『…悪いけど、待たせて貰っても?』

「大丈夫だと思います」

『ありがとうね』

 やはり彼に何か要件があったらしい。ただ、きっと近くを通ったからついでに、の感覚だろう。予め約束をしていたなら彼は出かけなかっただろうから。

 武者の目線が点滴に向けられる。

『それは…?』

「あ………えっと……」

 あの組織との諸々を話していいか迷った。……迷ったので、言うのは止めた。

「…少し、体調が悪くて」

『大変だね』

「でも今は結構回復してきていて…」

『それで、点滴か。………えらく黒い水だけど』

「……まぁ、そうですね」

 適当にはぐらかした。あまり突っ込まれると、返答に絶対困る。私もよく知らないのだから。

「…それにしても―――――」


 話題を変える目的もあるが、気になることが一つあった。

「今までどこに…?」

 あの時はその内この街でばったり会ったりしそう、なんて思っていたのに、現に今まで姿を見かけたことすらない。こんなに目立つというのに。

 ああ、と武者が頭を掻いた。

『ちょっとした知り合いの頼みで、色々な人に会いに行っていた』

「色々な…」

『そう、色々な。殆どは住んでいる場所から移動していたけどね。それでも十人くらいとは会えた』

 楽しそうに、笑って話してくれる。―――――違和感があった。

「………」

『……なにか?』


「…話し方が、明るくなったと思って」

『刀の件が終わって気が楽になったからだと思うよ。御蔭で心残りはほとんどないからね。…でも、それは君もだ』

「?」

『身体は大変そうだけど、前に会った時よりずいぶん楽そうな顔している』

「楽そうな顔…」

『悪い意味じゃないさ。前は――――少し表情が硬く見えた。でも今は年頃といった感じにみえる』

 あまりしっかり自分の顔を見てるわけじゃないから分からないが、武者が言うならきっとそうなのだろう。毎日会わないからこそ、分かる点があるのだと思う。


「……色々あったので」

『そうかい。お互いに色々あったみたいだ』

 察してくれたのか、何も詮索しないでくれた。有難かった。今は心も現状も整理がついていない。


『………きっと彼となにかあったんだろうから…一つだけ、余計なことを言い渡そうか』

 余計なこと―――――何か、気になった。

(……それだけじゃなくて…多分、気付いてる)

 私が彼に悶々とした感情を向けていることに、きっと気付いていた。

 不意に頭に手を置かれ、撫でられた。

『今のうちに、精一杯甘えた方がいい』

「……?」

『君がどんな人生を歩んできたかは、なんとなく察している。だから言っておきたかった』

 人生……両親がいないことなのか、それとも――――― 


『きっと、今しかない』

「…よく分からないんですが」

 意味深なことを言われる。あの男といいこの武者といい、最近は変なことを言い残すことが流行っているのか。

 ただ、あの言葉と違って、例えようのない重みがある。挑発的でもなく、上っ面だけの言葉でなく、私にとってとても重要な、そんな言葉。


「…はい」

 意味も分からず頷いた。武者の目が笑った。

『それならよし………彼はきっと、君の為ならなんでもしたいと思っているし、できる』

「……まだ半年くらいしか経ってないんですけどね」

『そんなのは関係ない。彼が君の幸福に向ける比率は――――――きっと、世界よりも上だろう』

 世界―――――流石に言い過ぎだと思う。私が彼に向けるなら兎も角、彼にとって私がそこまで重要なのだろうか。

 ただ、これまで身を挺して守って来てくれたのを見ると――――……否定はできなかった。きっと、そうであって欲しいという私の願望も含まれているからだ。だから否定したくないのだ。


「……そうだといいなって思います」

『だといいな、じゃない。そうなんだよ』

 根拠も無いのにはっきり言いきられる。力強い言葉を聞くと、本当にそうだと思い込んでしまいそうになる。

 恋煩い中の身には威力のある言葉だった。



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