回答?
彼と一緒に寝室へ移動した。その前に手を洗ってくるように言われ、洗面台へ。…何か"それ"で変なことをするとでも思われたのか、常に彼に監視されていた。
「………」
『………』
お互いベッドの上で向かい合う。――――まず、背中を曲げて謝った。
「変なことして…ごめんなさい……」
平謝りだった。きっと、かなり苦しかっただろう。気づかない内に、結構奥へ指を侵入させてしまった。
『……――――』
何をしたかったのかと言われた。
「……その……――――……」
『…………』
無言で見つめられる。自然と焦りが生まれるが、どうしても説明ができない。大した理由があった訳でなく、なんとなく、でやってしまったことだ。理由づけるのは難しい。
『…―――……』
今度は、なんとなくでもいいから理由を、と言われる。…拒否はできない。全部私が悪かったから。
「…えっと」
なんとなく――――それが全てだ。でも、それは理由にならない。……考えて考えて、少し見えて来た。
「……まず…寂しかったから……だと思う」
事の始まりは、一人が寂しくて彼の元に来たこと。彼に触れたくなったのも"寂しい"の延長線だったかもしれない。
一つの理由を見つけると、後はスルスル糸を引くように言葉が這い出てきた。
「…一人で寝るのが……少し怖くて、それで………貴方に触って…安心したくなった」
あの男の言葉など色々理由はあるが、最終的にはそこに帰属する。"安心感"が私は欲しかった。理由があることの安心感、距離的な安心感、肉体的な安心感。それが欲しくて、あんな行動に出たのだ
一度漏れ出すと言葉は止まってくれない。
「なにか、理由があるなら………言って貰える?……もし直せるなら直すし、そういう問題じゃないとしたら、諦めるから………」
『…―――……』
彼が何かを迷うような仕草を見せる。言っていいのか駄目なのか、葛藤しているように見える。
『……――――』
やがて開いた彼の口からは、思っていた以上に正当な言葉が出てきた。
「…点滴が危ないから?」
黙って頷く。確かに私の腕には点滴の針がいつも刺さっている。今日が例外なだけで、普段は起きている時も寝ている時も常にだ。
寝相が悪い訳じゃないが、もし彼が寝返りを打った時に手首に触れ、針を刺激したりして折れたりなんてことがあったら――――――そう考えて、別々で寝ているとのこと。
―――――本当にそれだけなのか疑問だった。
(それなら予め説明すればよかったのに)
流石の私もそういう理由なら素直に諦めるし、それでもと頼むほど馬鹿じゃない。それは彼もきっと分かっている筈だ。
なのにどうしてそんな簡単なことを初めに言わなかったのか……疑っている訳じゃないが、なにか隠し事があるような気もする。
「……それだけ?」
『…――――』
それだけ、と返される。
「………」
『………―――』
(…"後は"……?)
『―――――』
(え)
"間違い"が起こったらいけないから―――――そんなことを言った。
(間違い……間違い………?)
【間違い】……言い方を変えているが、つまりは、
「……そういう意味?」
『……――』
少しの間を置いて、彼が首を縦に振る。…間の伸び方からしても、きっと"そう"だった。
(……性的な意味ってこと?)
そういう意味だ。間違いがあってはいけないから、一緒に寝ていない。そういうことだった。…仮に意味をはき違えていたとしても、それは彼の表現にも非があるせい。
メモ越しじゃない、実際に彼の口から聞いたせいか、感じた印象は全然違った。…いや、メモ越しでも、私はきっと同じような状態になっていたと思うが。
意味的には間違いを起こすのは"私"ではなく"彼自身"だと言っているようなもの。それはつまり―――――
(………そういう対象としても見られてる?)
恋愛感情とかは抜きにして、子供ではなく、一人の女として見てくれていると考えていいのだろうか。もしそうなら――――――嬉しい気がする。
(……あ………凄い恥ずかしい)
意識しだすと急に恥ずかしくなってきた。大胆にも口内に手を入れた感触を思い出す。胸を触り、腹部を撫でたあの感触も同時に蘇る。
暗闇だったからか、触感はかなり敏感になっていた。特に舌の"ぬるり"とした感覚。あれは特に鮮明に残っている。
気まずいのか知らないが、彼は窓の外を見ている。気まずいのは私の方だというのに。
「……ね」
いつまでも私を見ない彼の腕にそっと触れた。私から彼の腕に触れたのは、そういえば初めてかもしれない。
「…細い」
握り絞めたその腕は細く、筋肉はあっても後少しで指が回り切ってしまいそうだ。感触自体は人の腕と本当に変わらない。
「………一緒に寝てもいい?」
このまま一緒に寝れば、もっと明確に答えが掴めそうだった。
『……』
「…点滴してないし……」
嫌がっても、強請るつもりだった。それに今じゃないと決定的な何かを掴めない。そう感じていた。
変に動いたりしないように、と条件付きの許可だ。何が原因でチューブが割れたり針が折れたりするか分からない。仕方のないことだ。
で、隣で寝てくれている。献血の疲れで、すぐに眠ってしまった。起きる気配が全くない。
それでも念を入れて、そっと優しく彼に触れる。
横になってたくさん考える。私にとって彼が必要な理由を。
間違いなく私から彼に向けているのは『好印象』というもの。ただ、好印象は好印象でも、『好き』と『嫌いじゃない』はきっと違う。天と地ほど……とは言わないが、結構な差がそこにはあると思う。
突飛な考えだが、仮に彼に抱かれることになったとする。多分私は普通に彼を受け入れると思う。行為のイメージは全くつかないが、彼なら大丈夫だと根拠のない確信がある。
ただそれは、"彼だからしたい"のか、"行為が嫌いじゃない"からしたいのか。そこが分からなかった。果たしてどちらなのか、経験の無い私には見当もつかない。
さっきの彼への弁明は本心だが全てじゃない。怖くて一人で寝れないだけなら、あんなことをする必要はなかった。
気付けば、触れるだけのつもりがほぼ密着していた。肩に手を置いて、背に体を近づけて、また考える。心臓がやけにうるさい。
できるなら彼とずっと一緒にいたい。離れないで欲しい、いなくならないで欲しい。母のように、父のように、私を捨てないで欲しい。奴隷的でもペット的でもいい。捨てないでほしい。
離れたくない――――――なのにここまで惹かれる理由が分からないのが辛い。
(………まさか…)
恋慕の情か―――――つまりは、恋か。異性として意識しているのか。だから抱かれてもいいと思えるのか。
信じられなかった。生まれてこの方、恋なんてしたことがない。
(……でも)
一度恋愛感情に当てはめれば、要所要所がしっくりときた。ケーブルをコンセントに挿し込み、電流が行き渡った。そんな感触。
それに恋をしたことがないからこそ、これがそうなのか分からないだけで、意外と合っていたりするかもしれない。よくある恋愛ドラマの表現に、離れたくない、ずっと一緒にいたい、というフレーズは常連だ。まさしく今の私だった。
(…私、恋してるんだ)
起こさないようにそっと抱き締めた。…幸福感が染み出してくる。触れれば触れるほど、近づけば近づくほどそれは強く、強く染み出す。
「……ふ…………ふ……」
口元が歪む。自然と笑みが漏れた。おおよそ綺麗と言える笑い方じゃないが、これが私の笑い方だ。
今なら、彼になんでも捧げられる気がした。腕が欲しいと言われれば腕を、足が欲しければ足を、処女ならば処女を……心臓なら、心臓を。
「……離れないでね」
背に顔を埋めて言う。勿論、返答はなかった。
とてもキレイな気分だった。暗闇から解放された気がした。楽になれた。幸福と共に妙な興奮があった。心臓がかなりうるさい。
これも全て、あの邪魔な一言のお陰だ。
(嫌いだけど、感謝しないと)
あの男の余計な言葉が、私に気付かせてくれた。そこだけは、感謝してもいいと思った。
御蔭で私は――――――こうやって答えを――――――――
「死体が出たことはもうご存知でしょうか」
話しかける。それに対し女は頷いた。
「死亡したのは黒妖犬を使役していた構成員です。頭部を鈍器のようなもので破壊され、ゴミ捨て場に放置されているところを確認されました」
周囲への被害は―――――女が言った。
「…発見者はただの一般市民です。精神的ショックは免れませんでしょうが……まぁ…問題はないでしょう」
男は淡々と語る。
「……殺され方が奇妙だと警察では議論の的になってました。殺害現場は間違いなく違う場所なのに、どうやって運ばれたのか全く見当がつかないと……」
資料を女に渡す。女が目を走らせる。
「昔は兎も角、今現在の日本の警察は優秀です。ネット小説やドラマなどではよく無能扱いされますが、現実、相当な雲隠れでもしない限りは殺人犯を見つけることはたやすい。……ですが、それでも死体の運搬方法が分からない」
一泊の間を置き、男が言った。
「まるで―――――何者かに瞬間移動させられたかのようです」
女が微かに笑った。男も笑った。だが、冗談ではなかった。それが原因なのだから。
「死因は置いておき……間違いなく、"アレ"の仕業でしょう。死体の腕に埋め込まれていた黒妖犬の目玉も、しっかり潰されていました」
リサイクルは無理かと聞いた。男が肩を竦める。
「流石にあそこまでされると再利用はできませんが………それ以上の働きを彼らはしてくれました。御蔭で、確信を持って―――――アレを引き込める」
捨て駒にしたことに後悔はないのかと女が聞く。
「元々、文字通りの噛ませ犬として飛ばしたんです。だから私たちの本当の目的は知らないし、理解してもいない。処分だ保護と息巻いていましたが、そんなの、上っ面ですから」
冷たく言い放つ。そこには、何の情もない。
「それじゃあ、本格的に動き出しましょう。場所の準備は、お願いします」
女が頷き、奥の扉へ消えていった。男も踵を返して歩き出す。その足取りは軽やかだった。
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