身代
「最初は偶然、学校にコイツを忍ばせている時だったよ」
いきなり、男性が語りだした。
「この犬の特徴は、体中の無数の目の一つ一つを色々な場所に置けるのが特徴。瞼を開いているときは誰にも見える。閉じている時は誰にも見えない。使い勝手がいいのか悪いのか微妙だが…便利なのは間違いない」
目――――色々な場所に置ける目――――――…。
「……目…って……――――確か……」
登校を再開したばかりのあの日。どこかの隙間から此方を覗いている目を見た覚えがあった。
男性が――――男が続ける。
「あの時は校庭の"鎧"を見張っていたつもりが……いつの間にかいなくなっていて本当に困った」
「ヨロイ…」
「それで思った。何かが鎧に干渉して、学校から退出させたんじゃないかと」
校庭の鎧といえば心当たりは一つしかない。あの刀の修復を頼んできた、彼だ。確かに鎧武者がいなくなった日と隙間から覗く目を見た日は大体は合致する。
「それからは風俗の店前で妙な気配を感じて、ずっとソレを追っていた。……そしてあの日、公園で、ソイツの腕の一部を食い千切ってやれた」
風俗は死神の件の時に彼と一緒に行った。明日死ぬと言われた少女の母親を迎えにいった時だ。
次の公園は、もう忘れようがない。あの日、私は彼以外の人外と関わるのを避けるようになった。しっかり、覚えていた。
「…どうして…何の目的で」
「目的は三つ。一般人に見えてない危険生物の保護。それによる人間への被害抑制。そして、危険レベルの生物の処分。そういうことを目的とした一つの組織。一つの機関」
「……」
にわかには、信じがたい。大学とかでありそうなサークルというか何というか。オカルト研究部に似た匂いを感じる。
でも、男の目は笑っていない。犬も怪しく笑って私を見ている。
「それにしても珍しいんだよな」
何が、とは聞かなかった。後ろに退く。
「……」
「よく手なづけられたなと思っている。そんな危険生物と一緒にいるなんて、正気を疑う」
かなり嫌な言い方に心中穏やかでいられない。
「…危険なんて…そんな――――」
「そんな風に見えないけど危険な奴なんて一杯いるんだよ。特にソイツはかなり不味い。"あの人"が言っているんだから、間違いない」
「……あの人…?」
「だから―――――」
強風が過ぎ去っていった――――――黒い液体が周りに跳ぶ。
「処分しなきゃ」
彼の腕が宙を舞っていた。
「……サドッ!!」
抱き抱えられたまま勢いよく後退する。目の前では犬が彼の腕を咥えて立っていた。
思い切り睨みつける。
「どうして…っ」
「言ったろう。保護だけじゃない。処分も仕事だ」
ソレが彼の腕をかみ砕いたと思えば飲み込んだ。私の方をみて嗤って見せる。おおよそ動物らしくない、犬らしくない不気味な顔をしていた。
(…この傷……)
彼の腕を見る。よく見覚えがある傷だった。デュラハンの時、いきなり後ろから現れた何かにやられた傷とそっくりだった。
あの速さにこの傷。ようやく何によってあの酷い目に遭わされたのかが理解できた。
『………』
ぼたぼた落ちる液体を押さえながら彼は立ち上がる。足取りは、今はしっかりして見えた。
『………』
男を見た。余裕そうに、首を鳴らしてそこに立っている。
「…処分って――――」
「殺すんだよ。やれる時にやらないと、ソイツみたいなタイプはヤバイ。この場合は人間への被害抑制と完全処分が適用される」
嗤いながら犬が近づいてくる。全身の目、全てが私達を見ていた。
「でも――――……?!」
後退り、逃げようとしたところで――――――いきなり腰を掴まれたと思えばいきなり体が宙に浮かんだ。
「は――――」
正確には跳んでいた。彼に抱き抱えられたままジャンプしていた――――――状況に気付いた時、私達はホテルの屋上に立っていた。
呆然と立ち尽くす。驚く間もなかった。いきなりすぎて声も出ない。
(何メートル…跳んで……)
向かい風も何も感じず、気付いたら本当にここに立っていた。
『…………』
「…………最悪…」
あの犬は、既にいた。
黒い血が地面に跳ぶ。
『…ッ』
噛みついてきた犬の顔面を蹴り飛ばしたが、特に負傷も無く、犬はまた彼に襲い掛かる。
屋上に避難してからは、さらによく分からない状況の連続だった。彼が犬を殴り飛ばしたと思えば、すぐに犬が彼に噛みつく。それを彼が追い払えば今度は違う方向から噛みつく――――――その繰り返し。
彼も大概異常だが、あの犬もただの犬じゃない。動きの速さ、彼の腕を簡単に引きちぎった顎の力。何より全身の目玉が常にギョロギョロとせわしなく動いている。かなり不気味だ。
そして彼の方が不利に見えた。空中に隙間を作れないせいだ。彼は自分の手で掴める場所じゃないと隙間を作れない。壁があるならまだしも、ここは完全に平たい屋上。障害物がまったくなかった。
こうして私が状況把握に手間取っている間も攻防は続く。
『…―――――』
『…ィシ…ィ…ィ』
彼の腕は変わらず千切られたまま。足は……大きく抉れ、立つのすら困難な状態だ。身体からは液体が零れ、地面にシミをつける。犬の方は多少怪我を負っている…が、彼に比べれば全く大したものじゃない。不敵に嗤い続けている。
階段を上がる音が聞こえてきた。男が息を切らして現れる。
「…よし」
優勢なことを悟ったのか、そんな声が聞こえてきた。
(……なにか…しないと)
私は何もできず、立ち尽くすばかり。何ができるのか考えても、何もできないことだけが分かる。どうするもこうするも、どうしようもない。
見守ることしかできない。
「…………」
「……どうして」
「ん」
「どうして…殺さないといけないの」
不気味なくらい、冷静な声が漏れた。別にあの人に向けていったわけじゃない。無意識に零れた声だった。
「危ないから殺すんだ。ああいうタイプは保護したところで到底拘束し続けられない。仮に一時的に拘束できたとして、あのレベルだと維持費が信じられないくらい掛かりかねない。だから、殺す」
「……―――でも…」
「実際、危険だと思ったことはあるんじゃないのか」
危険――――そんなこと、一度たりとも思ったことが無い。彼はただ、少し人より大きくて、隙間を作ってそこを通れる"だけ"の存在。私の、一番身近な存在。
…その先の言葉が出てこない。認めたくないけど、私は彼についてまだまだ知らないことだらけ。下手をすればこの男の方が私よりよく知っている可能性もある。
そうなると、そこから先は私にはわからない世界になってしまう。どんなことが定石なのか私は知らない。もしそうなら、いくら訴えたところで無駄だった。
こうして考えている間も攻防は続く。
ついに彼が片膝をついてしまった。
「そろそろ終わりか……よし」
言ってから何かを取り出した。一本の注射器だった。
犬も終わりを悟ったのか大きく退く。その丁度直線状に男は立って、膝をついた彼に向って歩き出す。
「心配するなよ。コイツを処分した後、アンタは"普通"に戻してやれる。"あの人"が方法を見つけている」
アレを打たれたら確実に不味いことになる――――――本能的に察し、脳内が焦りだす。どうしていいか、混乱に潰される。
考えてみた。
この人は正しいのかもしれない。確かに彼の隙間の能力は使いようによってはとても危険な気はしないでもない。でもだからといって彼が私の傍からいなくなるのは、絶対に嫌だった。
(…これ……簡単なことだった)
冷静に考えたら呆気なく答えは出た。というより、元々助ける以外の選択肢はなかった。それに気づいただけだった。
それに彼は私を助けてくれた。
(……助けてくれた)
教会。心臓病。病院。公園。他にもたくさん。そして―――今。
こんなに助けてくれたのに私は何も返せていない。お礼もろくに言えていない。お返しもできていない。私はまだ、何もしていない。
男が彼の前に立つ。
(…うん)
多分、正しいとか正しくないとかじゃない。私は、彼に返さなきゃいけない。
注射器を振り上げて―――――振り下ろす前に、私は走り出した。
それが振り下ろされた瞬間、彼の方に体当たりをする。そして彼の身体を出来る限り私の身体で覆った。背に、鋭い痛みが走る。
(……よし…)
注射器は私の背中に深々と刺さり、中身が私に注がれた。これで一瞬とはいえ、彼を守れた。
なぜか、意識がとおのいていく
(………あ…やった…)
妙に掠れる視界の中、彼が焦る男の顔を抉る姿が見えた。顔全体の内、半分以上を抉り取られている。
叫ぶ男の後ろから現れた犬は、牙が届く寸前のところで首を掴んで、そのまま地面に頭から押し潰した。なぜか聞こえにくい耳でも、はっきりと骨が砕ける音がした。
体に力が入らない。彼に完全にもたれ掛かる形になった。
ようやく、あの注射器のせいだと気付いた。貧血の酷い時というか、例えようのない気だるさ。力がまったく入らない。
視界が霞む。彼に支えられる感覚だけを感じて、目を閉じた。
なんともいえない、強い充実感だけがあった。
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