ブラックドッグ

「どうしようかな……」

 目の前の、大量の紙を睨みつける。今まで溜まってきた大量の雑誌と新聞。それを乱雑にまとめた山だった。

 金曜日が終わって一日目の休日。そろそろ周りを片付け始めないといけないと思って、まずは雑誌類の整理から始めようとしていた――――



 ――――が、集めていくうちに量がかなりのものになってしまった。これまで処分を先送りにして来たツケが回って来た。重いし多いし面倒だし、とやる気が起きない要素ばかりだった。

 紐はある。でも縛り付けるのすら一苦労だ。


 正直、不満だ。確かにこれを放置し続けたのは私だが、元はといえば―――――


「……文句いってもしょうがないか」


 言い聞かせるようにして声に出す。先送りを諦めて紐を伸ばしつつ、山の一部に手を伸ばしたところで――――

「………あれ」

 何故か一瞬で山が消えた。

「??」

 いくらなんでも……そう思って辺りを見渡すと、原因がそこにいた。おそらくあの山は今頃、資源回収車の荷台中だ。

 彼は、そういうことができる存在だから。

「……おかえりー」

『………』

 どこかに出かけていたサドが後ろにいた。いつの間にか帰ってきていたらしい。それにしては玄関扉の開く音もしなかったが、まぁ彼なら玄関から入る必要もない。どこからでも入ってこれるのだから。

「どこいってたの?」

 そう聞けばチラシを見せられた。どうやら食材を買いに行っていたらしい。 

 リビングの方に行ってしまう。きっと、冷蔵庫が目的だ。




 彼はたまに私から離れ、こうやってスーパーやデパートに出かけるようになった。以前はどんな時も私から離れなかったのに――――

「………」

 そこに寂しさを覚える私がいる。いつからか、彼が傍にいるのが当たり前になっていた。

 だから寂しいのだ。でもこの歳にもなって寂しいからずっと傍に、なんて言うのは恥ずかしい。だから何も言わないと決めていた。

 まだ半年も経っていないのに最早家族の一員のように感じていた。


(…一員どころか、唯一になるけど)

 彼だけが身近で、後は遠縁。人種どころか生物として一線を画している。それなのに家族に最も近い存在とは、もう苦笑いするしかなかった。


(……それより終わらせないと)

 まだ残っている紙類を集める。早く片付けてしまいたい。

 チラシと雑誌を分ける中、一枚の新聞紙が目に止まった。


「…ああ、あの時の」

 やけに見覚えがあると思ったら、あの時の新聞だ。私が教会で襲われたあの日、彼と初めて出会ったあの日のことが載った新聞。確か、病院でなんとなく見ていた記憶がある。

 懐かしさで開いてみる。思っていたより記憶はしっかりしていて、あの事件の記事はすぐに見つけられた。

 発見された死亡者は三人。中村亮介(34)篠原由紀子(43)西片晴美(37)。軽傷者が私。とても見覚えがある。


「…………?」


 ―――――そこに妙な違和感を感じた。死亡者の欄だ。そこに、何故か、妙な違和感がある。

 具体的には、分からない。それでもかなり大きな違和感があった。


 思い出せず四苦八苦していると、ノック音が聞こえた。彼が後ろに立っていた。

 私の隣にきて、隙間を大きく開けて紙を中に入れてしまった。

「あ」

『?』

「…や、なんでもない」


 あの新聞も一緒に捨てられてしまった。…でも、大したものでもないし、特に愛着も無い。だから何も言わない。

 違和感の正体については、はっきり言ってどうでもいい気がしてきた。振り返るのは"今更"というもの。それにあの時のことは被害者である私が一番知っている。

 あそこで彼と出会うことが出来た。それだけだ。振り返ってもしょうがない。

「一応…終わったね」

 彼が頷いてリビングに向かう。その後を私も追った。


 違和感についての執着は、ほぼ消え失せていた。









 暇だったので出かけることにした。いつも通りに彼も一緒についてきた。

 行き先は適当に、ふらふらと歩く。彼は隙間の中にいた。…流石に日中は出てこられない。顔は包帯でどうにかできでも、この高身長だけはどうにもならない。目立ちすぎる。

 いつか気兼ねせず一緒に歩ける日がくるといいが、そう上手くも行かない。難しい問題だった。


 で、どこに行くでもなくふらふらして数十分。そろそろ行き先を決めたくなってきた。これ以上用も無く歩き回るのは彼に嫌な想いをさせかねない。

「………あそこ行こうかな」

 ちょっと考えて――――久しぶりに行ってみようかと思う場所があった。それに関連する物を見つけたことだし、気分が乗っていた。

 ここから先、そんなに遠くない筈―――――そこなら、彼も出てこられる可能性があった。






「………」

『……』

 彼が隙間から顔を覗かせる。

「…今なら大丈夫だよ」

 手を差し伸べれば、少しの間の後に掴んでくれた。そして隙間から這い出て来る。

 行ってみたかった場所。それは、"教会"だ。そう、あの日、あの時、彼に救われたあの教会。ボロボロの廃墟に私たちは立っていた。

 昼だから内装がよく見える。記憶よりも色々な場所が風化していて、崩れていた。


「…懐かしい」

 上を見上げれば、壊れたシャンデリアがあった。あの化け物が座っていたシャンデリア。そこも記憶より古びて見えた。

 祭壇の方に向かう。彼は珍しくそこで立ち止まって辺りを見渡していた。

 祭壇周りはほこりだらけで、色々な物が散乱していた。


(確か、私がグチャグチャにしたんだっけ)

 立ち上がろうとして失敗して、色々な物が頭に振ってきた。警察の手が入っている筈なのに、そこはあの時のままだった。


 振り返って彼の方をみる。そのはるか上にはステンドグラスがあった。やっぱり一部壊れてはいたけど、光が差し込んで綺麗だった。

 彼が私の方に歩いてくる。その姿を追っている時、ふと思った。


(どうしてあの人たち、ここに入ったんだろう)


 いかにも怪し気な様子でこの教会に先に入っていった人たち。あの事件で死亡した人たち。あの人たちは何を目的にここに入って来たのか。そこが分からなかった。

 大したものはここにはなさそうだし、見た目からして祈るような場所でもない。仮に信仰関係だったとして、あんな時間に来るものなのか。

 彼が私の傍に来て、祭壇を調べている。そういえば彼はここから現れた。あの時、私の後ろにあったものはこの祭壇だけ。そこから出て来たと考えていいだろう。


(なんでこんなところから…)

 今更ながら思う。どうして彼はここから現れたのかと。ここが根城だから…という可能性はあるのか。

 しかしそれなら何かしら愛着を見せてももおかしくない。でも彼はずっとこの場所に無頓着だった。…もしかしたら私が見ていないだけで、意外と隙間を通って来ていたのかもしれないが。


(………私、何も知らないんだった)

 私は、彼についてほとんど知らないことを改めて実感した。


「………」

『…?』

 彼を見つめていると、不思議そうな様子で見つめ返してきた。

 不思議なのは貴方の方だと言いたい。どうして貴方は私から離れず、私と一緒にいてくれるのか。


(守ってもくれるし)

 これまでなんども彼には助けて貰った。日常から人外関連の事件まで、幅広く世話をしてくれた。それはどうしてなのか。一度でいいから聞いてみたかった。



「…………今はいいや」

『?』

「なんでもない」


 でも今は止めておいた。彼にとって何か深い意味があるのかもしれない。ならそこに突っ込むのは野暮というもの。

 いつか彼から打ち明けてくれる日を待つのもよさそうだ。それまで彼が一緒にいてくれるかは分からないけれど、下手に聞いて気まずくはなりたくない。


「……帰ろっか」


 頷いて返された。隙間を開き、中へと消えていく。私は独り、残された。












 帰り道。もう日は傾いて、夜が近かった。あの後、実は色々と寄り道をしたのでここまで時間が経っていた。

 急いで帰らないと――――自然と早足になっていたのがいけなかった。

「お」

「わ」

 誤って人にぶつかってしまった。

「すみません…」

 急いで謝ると、その人が振り返って顔が見えた。優しそうな顔をした男性――――そんな印象だった。

「いや、こっちこそ」

 そう言って笑うその足元から何かが出て来た。


(……犬だ)

 黒い犬が息を切らして私を見ていた。妙に大きく、尻尾を揺らしている。

(……………犬………いや、犬だけど…)

 ――――妙な気分だった。まるでどこかで会ったことがあるような、そんな印象を犬から受けた。

(………あれ……これって…)

 どこかで、それも最近―――――



「………なにか?」

 男性の声で我に返った。



「や、その犬――――――――」

 言いかけたところでいきなり後ろに引っ張られた。

「え…な……サド…っ」

 彼が姿を現していた。それも顔に包帯も巻かず、素面のままで。

(何してるの…)

 不味いことになった。一般人に顔のない姿を見られるのは不味い。急いで逃げるかしないと不味いことになる。





 なのに、彼は動かない。顔を見られ、隙間を見られ、人間じゃない証拠を次々出しているのに―――――何故か逃げない。

「…??……」

 訳も分からず困惑していると、




「ああ、やっぱり」





 目の前の男性が笑った。


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