価値

 ぼさぼさの髪を直して、顔を洗って食事を済ませて、歯を磨いて学校鞄の中身を確認する。

 彼は私の後を追うようにして、洗面台の掃除、食器の洗浄、テーブル上の整理を流れるように済ませる。病院でもそうだったけれど、彼は甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。焼いてくれる。

 今まで一人で暮らしていた時よりは断然楽だった。家事を分担できるとここまで楽になるのかと驚いた。


 そして幸運…といっていいのか、彼には恥じらいとかそういう感情は無さそうだった。だから普通に私の洗濯物も洗ってくれる。服もスカートも下着も全部。一切恥じらいは無かった。この前の買い出しでは何食わぬ様子で私の生理用品を籠に入れていた。

 異性の…そういったものを手に取ることに何かしら抵抗はないのかと最初の内は悩んだ。けれど、よくよく考えれば簡単なことだった。


 そもそも私と彼の間には"種族"という大きすぎる違いがある。いくら人間味があるとはいえ彼は人間の外側の生物。つまりは人外といえる存在。人間では無い。


 つまり種族が違う以上、恥じらいなんてないに決まっていた。等身大のペットみたいな感覚なのだと思う。いくらサイズが違ってもペットはペットだ――――――と、私は勝手に納得していた。

 で、一度納得してしまえば後は気楽。今では普通に毎日を送れている。


 思えば、"あの日"からそこそこの時間が経過していた。教会で出会った"あの日"。それからもう何度も彼には助けられてきた。

 それだけで十分だった。十分、満足する要素を私は与えられていた。

 これ以上は望まないようにしよう。言い聞かせるように頭の中で繰り返す。私はもう、十分に幸せだった。












 学校も夕食も洗濯も入浴も終えて、ようやく夜の十時。最近散らかり気味だった部屋の片づけをしつつ物思いに耽る。

 もう十分とは言ったが、どこか引っ掛かりがあるので改めて考えてみた。私と彼はどういう関係性なのかと。

 朝は一応主人とペット的な―――――と表現した。でも、よくよく考えてみれば一言でいえるようなもの…ではない気がしてきた。

 需要と供給…とは言い難い。私は彼に守られている。でも私は彼を守ったりはできない。なので違うと思う。もし私が彼に何かを供給しているのなら話は別だけど、これといった何かを渡してはいない。

 じゃあ何なのだろうか。"しっかりと言葉にできない関係"、なんてきっと普通の人なら大して気にしない。普通と違う私にとっては大きな問題だった。とても不安な要素は、できるなら、一つだけでもいいから消しておきたい。

 呆れられたら、きっと私は――――――




 まぁ片付けと同時進行している時点でまともな考え方をできる訳がなく、答えは欠片も見つけられなかった。

 そのなんだか妙な気持ちのまま就寝―――――――したものの、何故か深夜に起きてしまった。午前十二時三十分。床についてから一時間も経っていなかった。


「………あれ…」

 横を向いたところ、彼の姿がないことに気が付いた。布団の少し捲れたところを触ると、まだほんのり温かい。

 リビングにいるのかとベッドから這い出、寝室から出る。

 予想通り彼の姿がそこにあった。食卓テーブルの椅子に腰かけ、ノートパソコンを弄っている。ちなみにこのパソコンは私の物じゃない。数日前に彼が隙間から取り出した物だった。

(あの隙間ってどこにでも繋がってるのかな……)

 能力の詳細を考えつつ彼の元に向かう。私の足音に気付いて振り返る。


『―――』


 寝れないのか―――――そう言いたげに私を見る。


「…ちょっと寝れない」 

 答えて彼に近づく。その隣の椅子を引き、座った。




 キーボートを叩く音だけが聞こえる。文字は全部英語。私の頭じゃ殆ど理解できない文量だった。


 彼の体温とキーボートの音を子守唄にでもしたのか、少しずつ視界が虚ろになってきた。そのせいか、舌がうまく回らず、頭の回転が鈍い。

「……私って…なに…?」

 鈍いので、変なことを聞いてしまう。

『………?』

 タイピングの音が止まった。沈黙が続き、私をじっと見つめてくる。

「女……人間………友達……うん………ペットとか、そーゆう………なんだろ…」

 回らない舌と回らない頭で絞り出した。…案の定うまく伝わらず、彼は困惑しているらしかった。

 今更ながらどうして今日こんなことを聞いたのか分からなくなってきた。色々な迷いがあったのは確かだが――――――今聞くようなことだろうか。

 とは思いつつ、ここまで話したらもう退けない。ので、働かない頭で"伝え方"を考えてみた。


「…………私って、大事?」

 そう言い方を変えてみたらいきなりタイピングが始まった。その音で僅かに脳が動き始める。

 英語だらけの文面の中、一文だけ"平仮名"の列があった。




 『――――――とても――――――』 一言、それだけが打ち込まれていた。




「…そっか………とても…か…」


 なにかが無性に嬉しくて顔が緩んだ。ついでに体も緩み、彼に体を預ける形になる。―――――誰かに大事にされることは、とてもうれしいことだった。

 種族の違いからくる諸々なんてなんだかどうでもよく思えてきた。少なくとも今は保留していい。

 私の重さも気にせず、また文字を打ち込んでいく。その音がなんだか心地よくて、力が抜けていく。


 十秒かからず、私は意識を手放した。
















 ベッドに寝かせてから、リビングに戻った。――――パソコンの元に戻ろうとして、行き先を変えた。



   『  脳無しが動いている  』


 死神の言葉を思い出す。ベランダの方を見て、察した。遠く、しかし、確かだった。


 寝室に戻り、彼女の隣に座った。少し開けた布団を掛け直す。


 何があっても眠らないことに決めていた。何かあれば、何もかもを捨て置いてでも共に逃げる手筈だった。







 眠る彼女の胸に手を当てた。鼓動が手のひらに伝わる。しっかり、強い鼓動が。



 彼女がいなければ"目的"を叶えられない。その為に、そのためだけに、こうして立っている。大事な、一生を賭けた"目的"。吸血鬼、鎧の協力は取り付けた。後は、"相手"。使えるのならば、壊れたとしても、使わせてもらう。


 全てが流れに沿って、流れている。  傍から見れば退屈な流れだ。だが、しかし、これは―――――


 当事者からすれば、最も"濃密"な流れ。これは全て、そのためにあった。




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