【格】
地面にできた隙間からゆっくり顔を覗かせる。隙間の向こうは、吸血鬼を運んだあの公園に繋がっていた。その中でも本当に隅に隙間はできている。今は昼間なので、人目につかないことを考慮してのことだと思う。
約束通り、吸血鬼はそこで待っていた。予め、彼が場所を教えていたのだろう。
『あ……どうだった…』
早速、結果を聞いてくる。
「……ごめん、なさい」
言いづらいが、言わないといけない。見つけられなかったと、正直に―――――
『…………それ……いや、そうか……』
失望される…そう思っていたのに、何故か驚いたような顔で私を見て来た。
私、ではなく、私の腕をつかんでいるこの死体の手。それを思い切り凝視していた。
彼がその手を掴むと、自然と私から離れていく。それを吸血鬼に手渡した。
『……予想は、していたんだ』
小さく呟く。
『…絶対、碌な管理の仕方はしていないだろうし、遺体の大半は崩れている可能性は考えてあった……考えて、いたんだ』
吸血鬼が笑う。ただ、とても乾いた笑い方だった。
もしかして、と聞く。
「……これが……遺体……?」
『………だな。間違いない。あの人の、腕だ』
「…どうして、腕だけが」
てっきり全身が揃っているとばかり思っていたのに、まさか、腕だけなんて思わなかった。話の内容からしても、全身がそのまま盗まれたとばかり、思っていた。
『…本当は、全身だったんだ』
「……え」
『前に説明したように、俺達は流れる水の上は直接渡れないし、教会とか宗教に弱いし、日光も苦手だ。…死体になっても、それは変わらないんだ』
ミイラの腕を見つめる。話の流れが読めて来た。本来、丁重に管理しなければいけない遺体だったのだ。でも、運ばれた時、あの場所に置かれていた時間、環境。なにもかもが悪影響になり、腕しか残らなかったという訳だ。
『これじゃ…持って帰れないか』
残念そうに言った。
「また、水の上を渡るから?」
『だな……きっと、飛行機に乗って、離陸の段階で崩れる』
「…なら、サドの隙間で――――」
『アンタは大丈夫でも俺達みたいな奴には毒なんだよ。その隙間は』
「…?」
アンタは大丈夫でも……気になる言葉だった。が、またもや問いただす前に話題が移ってしまう。
『とにかく―――――こいつには悪いけど、日本で埋葬するしかないな。飛行機は無理だし、船なんて言語道断だ』
海から遠い飛行機で無理なら船なんて以ての外……言いたいことはよくわかる。
こうなった以上、もう私に出来ることといえば、
「…せめて……埋葬するなら、いい場所を探してみる」
『いいのか』
「……ん」
埋葬場所を見つけてあげることくらいだった。
後ろから肩をたたかれた。
「……どうしたの?」
振り向くと同時にメモを渡された。すると顎で吸血鬼を指す。読んでくれ……そういう意味だった。
「…えっと……」
墓のあった場所はどこか――――メモの内容だった。
「墓があった場所はどこ……って聞いてる」
吸血鬼が顔を上げる。微妙な表情をしているが、答えてくれた。
国名はともかく、そこから先は私が聞いたことのない場所だった。
『―――』
彼が考え込んでいる。
しばらくして、メモを取り出して書いて、今度は吸血鬼自身に手渡した。
『……なにするんだ?』
訝し気に聞くものの、彼は既に地面に隙間を作り始めている。
「…行っていいの?」
私の問いにも答えず、手を取って中へ入っていく。隙間は自宅の玄関に繋がっていた。
隙間を通るギリギリで見えた吸血鬼の顔は、困惑に満ちていた。
『……きたのか』
吸血鬼が言った。その手には布で巻いた遺体を抱えている。
今立っている場所は例によってあの公園。今度は木の下じゃなく、広場の方に繋がっていた。空を見上げればしっかり月が見える。
(なにするんだろ)
深夜、彼に普段着に着替えて欲しいと言われて着替えると、靴を履かされて隙間で移動することになった。それで今、何もわからず私はここに立っている。
『…それで…何をするんだ?』
吸血鬼が聞く。どうやら彼もサドからは内容を聞かされていないらしい。
予め用意していたのか、メモではなくメモ帳を吸血鬼に手渡す。リビングで何を書いているのかと思えば、この為だったようだ。
それを開いて読み始めていくと、たまに首を傾げてはいたが、読み終えると何を伝えたかったのかは理解できたらしい。
『できる…のか?というより、やってくれるのか…?』
その問いにも答えず、彼がスーツの懐から何かを取り出す。何かと思えば、折り畳み式のナイフだった。
彼が何かを差し出せと言わんばかりに手を出す。躊躇いつつも吸血鬼が自分の腕を差し出す。
『悪い、少し、もっていて欲しい』
「…ん」
遺体を差し出されたので受け取った。しっかり抱え、成り行きを見守る。
『…――――』
『……よし…いいぞ…』
彼がナイフを吸血鬼の手首に押し当てる。それに対し、いいぞ、と答えた瞬間、彼がそのままナイフを押し入れた。
『痛…っ…!』
「あ」
かなり深めに切ったのか、そこそこの量の血が溢れて来る。
『…ちょ…こっち、来てくれ……』
呼ばれたので急いで近づくと、彼が片手で遺体の布を剥がし、その上に血だらけの腕を固定した。
『…痛ぇ…』
「……………」
『……』
傷口を下に、流れる血を遺体に垂らしていく。私にはそれを見守ることしかできない。
ある程度血で染まってから、腕を遺体から遠ざけた。今度は私に遺体を地面に置くよう促してくる。
「うん…」
ゆっくり置くと、今度は離れるよう合図された。
『…――』
三歩退くと、今度は彼が彼自身の手にナイフを突き立てた。先程のように手首…ではなく、手の平を思い切り突き、貫通させた。
「な……なんで…っ」
彼の元に歩こうとすれば、来るなと合図をされる。…仕方なく、元の位置に戻る。
『………』
かなりの量の血が流れるのも気にせず、遺体の上にそれを垂らしていく。彼の血は黒く、墨のような色をしていた。
十秒近く経って、彼が手を離す。ナイフを捨て、懐からハンカチを取り出して遺体を拭いていく――――――その血を彼が拭き取ると、
「………なんで…」
『…これ…は…』
そこにあったのは、まるで生きている人間の手そのもの。やせ細ってはいるが、明らかに人のものだった。
(…どういうこと)
全然ついていけない。吸血鬼も、私と似た顔をしていた。
『アンタ…やっぱり……』
信じられないという目で彼を見ている。私も同じだった。完全にボロボロでどうにもならなかった筈が、血を垂らしただけで元に戻るなんて信じがたい。
(や、でも…)
彼らは私の知識の及ばない存在。常識に当てはめる方がおかしい……そう考えるべきかもしれない。
静かな公園に鈴虫の羽音が反響する。私たちが何をしていたのか知るのは、空に浮かぶ月だけだ。
「…あれって…なんだったの」
帰宅して、落ち着いてから聞いてみた。既に私は寝間着。彼は新しいワイシャツに着替えていた。
「なにか特別なことを?」
間髪入れず、首を横に振られた。見せられたメモに違う、と書いてある。
「…違うの?」
続きを書く。それを目で追っていくと、そもそも吸血鬼の腕である以上、吸血鬼の血液を垂らせばああして元に戻るらしい。
それならどうしてあの吸血鬼はそうしなかったのか。それについては体に流れている血液が少し厄介なものに変化していたからとのこと。
「……厄介…」
『―――」
頷き返された。彼曰く、あの吸血鬼の場合は無理をしすぎて人間でもなければ人外ともいえない、中途半端な体になっている。海を渡るわ日中動くわ普通に血液を吸わないで人間の食べ物を食べたりするせいで吸血鬼としての"格"が急暴落したため、身体が人間と人外の微妙なラインに落ち着いてしまった。
つまりあの吸血鬼は本来の道を大きく外れたせいで血が吸血鬼のものではなくなったので復活させることはできなかったということ。
ただ、それならどうして彼の血と混ぜることで元に戻せたのか。それはちょっと分かりにくいようで、悩みながら書き出していた。
難しいので凄く単純にまとめると、性質が変わったとはいえ吸血鬼の遺伝子そのものは含まれているので、それを垂らした上で人外である彼の血を投入することで無理やり吸血鬼レベルの血液に昇華…というのが流れだった。
ようは"格"のある血液なら良し、とされるらしい。吸血鬼の血が混じってさえいれば、問題はない。ただ血の割合が吸血鬼三割、彼七割みたいな状態なので、あまり長持ちはしないとも書いてある。それでも、飛行機の離陸時間程度ならどうにかなるようで、安心した。
大量の書き出しに疲れたのか、肩を鳴らして立ち上がる。
「ごめんね、たくさんありがとう…」
今回も結局は助けられてばかりになってしまった。それも込めて、頭を下げる。
『…』
私の頭をポンポン叩いて、寝室に歩き出す。
「…寝よっか」
その背を追いかける。―――――ただ話を振り返ってみると、要所要所に引っかかりがあることに気が付いた。
("格"のある血って……どういうこと?)
話の中では吸血鬼レベルの格の血であればオーケーとあったが、あの吸血鬼は色々あって凄くその"格"が下がっていた。
なら、その格をどうやって上げたのか。彼がやったことは自分の血と格の下がった吸血鬼の血を混ぜただけ。別に何か特別なものを投入しているようにも見えなかった。内容からしても、普通の人外の血なら混ぜても意味がない気がする。
そうなると格を上げたのは――――――自然と彼の血ということになる。
(…もしかして―――――)
彼は結構、格が高い人外…なのか。私は彼のことを全く知らないので、その可能性を否定できない。
加えて今回、彼は思っていたより積極的に動いていた。前まではどちらかというと後手後手に行動していた。なのに今回は違う。動きは全体的に積極的、自分の身体を使って別の人外を助ける……こてまでの彼を見ている身としては違和感を覚える一件だった。
それかこれが彼の"優しい本性"なのかもしれないが―――――それも違う気がしていた。
(サドのこと、なんにも知らないんだ…)
本当に私は彼について何も知らない。何が目的で、何を想って私と一緒にいるのかまったく掴めない。
(………まぁ、いいや)
とは言っても、別に知っていても知らなくて私に不都合はない。その辺りに強い興味はない。言ってくれるなら言ってくれた方がいいが、そこまで強くも求めない。私にとっては"彼が隣にいる"ことが重要であって、それ以上は……あまり求めていない。
過去も今も何も知らない。さらに人間でもない。そんな不確かな存在を家に上げ、共に暮らして、こうやって信用している。傍から見れば私の行動は『異様』かもしれない。
ただ、他にとっては『異様』でも私にとっては『通常』だ。それにこれは私の問題。誰かに指摘される筋合いは無い。私自身もどうしてここまで彼を信用しているのか分かってないが、どうでもいいことだった。
また一人にされるくらいなら、そんなのは些細なことだった。
空港の入り口。吸血鬼は遺体と共に立っていた。その隣の柱の影に、ソレは立っていた。
『…今回は、悪かった』
吸血鬼が言った。ソレが、影からメモを渡す。
受け取ったメモを見て、嘆息した。
『……変わったことを頼んでくるな。いや、勿論、やってもいいけど………』
それは置いといて――――吸血鬼が言った。
『アンタが何なのか…あの子の前では言わなかったし、知らない振りしてたけど……良かったんだよな』
ソレが頷いた。
『あの子については今のところ順調に見えるが…ただアンタ……かなり弱ったな。出会い頭に突っ込んだ時に食らった蹴り、昔に比べてあんまり痛くなかったぞ。俺もあまり言えた立場じゃないけど……きっと"コイツ"も今のアンタを見たら違う意味で驚くだろう。…まぁ、吸血鬼の"真祖"も今じゃこんな格好だし、お相子って言うかもしれないが』
吸血鬼が遺体を見つめて言うと、ソレは肩を竦めた。
『………大切な"者"に向ける代償は…お互い大きかったな』
無言だ。
『……それじゃあ、アレが必要になったら、故郷に来てくれ。その時まで、さよならだ』
赤いコートを翻し、空港内へと歩き出す。
『俺はアンタを支持するさ。必死になる気持ちは、すごい分かるから』
ソレの前を通った時、一言だけ言葉を残して去って行った。
吸血鬼が去るのをソレは黙って見送った。やがて完全に見えなくなって、ソレは影の中へと歩き出した。
瞬き一瞬。そこには何者もいなくなった。
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