始動

 天井から降りて来たと思うと、真っ直ぐ私の顔の横に蹴りを入れた。

『ンブブッ!?』

 妙な悲鳴と共に横にあった何かが吹っ飛ぶ。間髪入れずに腰を掴まれ、天井の裂け目に連れられた。

 上の階に上がってからも抱えられていた。下ろされることなく、廊下を抱かれたまま走り抜け、階段を一段飛ばしで駆け上がる。

 行き先は知らないが、確かこれ以上の階はない筈だった。


(おく、じょう?)


 これ以上の階といえば屋上だけだ。案の定、それらしい扉が階段の終わりに見えて来た。

 ドアを彼が蹴破る。予想通りの場所だった。……これからどうするのかは、流石に知らない。


 あの足音が聞こえる。階段を上る音。


「――――え…」


 真っ直ぐ扉を見つめていると不意に体を持ち上げられ、後ろを向かされた。膝を曲げられ、その場に座らされる。

 何をしようとしているのか横の彼を見れば、顔を正面に矯正される。

 目の前に移動して来た彼が人差し指を口元(?)に持っていく。よく知っている、静かに、というサイン。


(……こんな仕草もするんだ)


 妙なところに感心する。だって、今までの印象は『寡黙で淡々』だったから。


(考えてる場合じゃない……っ)


 もうすぐ近くにまできているらしい。階段を上がる音が止んだ。

 不安でもう一度目の前を見れば、彼はそこにいなかった。一瞬の出来事だった。隠れる場所なんてどこにもないのに、いなかった。


 足音は近い。


(………見捨てたわけじゃなさそうだけど)


 多分見捨てられたわけではない。もし見捨てるのなら、あそこで私を助けた意味がない。

 あの隙間を開くアレでどこかに隠れている、と考えるのが妥当だと思う。私は……待っていればいい――――――言い聞かせる。

 こうしてどこか疑ってしまうのは、まだ完全に信じきれない証拠だろう。…いや、助けてくれたことはもうとても感謝している。でも、流石にこんな短期間で信頼を抱くのは――――――難しいものがあるのは仕方ない。


(…また意識飛んでた)


 足音はすぐ傍に聞こえていた。恐怖は一周回ってほとんど感じない。どうでもいいことを考えるのは、そうでもしないと平静を保てないから。



(……でも)


 肩を掴まれた瞬間――――――――



("信頼"はまだだけど――――――――)


 何かがかなりの勢いで後ろから近づいて――――――――


("信用"、できるから)


 私の横を打ち抜いた。











 私の目の前を凄い勢いで"何か"が飛んでいく。横を見れば長い足があった。

「…あ」

 彼の右足だった。真っ直ぐ伸びていて、蹴り飛ばしたのだと分かった。


 なぜ一瞬いなくなったのか気になった、が、そんな場合じゃなかった。目の前の何か―――――化け物に目を向ける。最初に見た通り、確かに子どもだった。…その"顔以外"は子供に見えた。


「………ひどい」


 その顔は半分以上が腐り落ちていた。飛んで行った軌跡を辿れば所々に肉片が散らばっている。地面にぶつかっただけで崩れ落ちてしまう。それくらい脆いらしい。

 顔にみえる部分はもう殆ど見えない。いったい何があったのか。何者なのか。疑問はソレを見るたび増す一方。


『ァ……ババ………ゥァァ…』

「………」


 憎々しい―――――そんな目で化け物は唸る。手を伸ばしながら睨まれる。

 どうすればいいのか。呆然とする中、溶けるようにして化け物が崩れていく。

 私に向かって大きく手を伸ばした。…それに対し思わず伸ばしかけた手を彼に掴まれた。止めろ、と暗に言われている気がした。



 やがて、その場には泥水のような液体と衣服だけが残された。




「………どう、しよう」



 明らかに人間じゃなかった。生物…であっても、殺人に該当するとは――――――失礼だけれど、思えなかった。

 分からないことだらけだ。教会の一件。この病院での一件。隣の彼の一件。

 私の知識の及ばない存在がいる。妖怪・幽霊・怪物・UMAのどれとも一概にはいえない存在。これまで十数年間生きてきて一度も見たことがない存在たち。なのにいきなり私の前に現れ始めた存在たち。

 これからどうなるのかわからない。彼が何を目的にして動いているのかもまだわからない。


 何も分からないことだけが今の私に分かること。




「―――――」

『―――――』

「…………」




 彼の行動を思い返す。よくわからないけれど、私を守ってくれた。それだけは確かなこと。病室では身の回りの世話もしてくれた。

 だから、信じてもいいような気がする。今も私を守ってくれた。だから――――――


「……ありがと」


 受け入れてみようと思った。


















 あの一件の翌日。早朝に看護師にお礼を言って病院から出る。隣には頭に包帯を巻いた彼の姿。彼の容姿に何事かと囁き声が聞こえてくる。それを無視して彼の手を引く。

「じゃあ、とりあえず家に…」

 結論は既に出ていた。彼を家にしばらく置く。

 ああいった類の化け物がまた現れないとも限らない。その時、私だけなら絶対どうにもできない。でも彼がいれば今回のように助けてくれる…と思う。

 彼自身も私から離れるつもりはないようなので、丁度いい。誰かが家にいれば私も寂しくない。良いことずくめだった。



「……あ…そうだ。名前」


 今更ながら彼の名を知らないことに気付く。これから一緒にいる以上、知らないと不便だ。

 と、聞いてみたが彼は首を横に振る。名前がない――――――そういうことだった。


「…一応、決めとこうか」


 私に指をさす。


「……決めて良いの?」


 頷かれたので肯定だった。少し、考える。




 考えた。









 考え終わった。


「サド」


 少し言い難いけれど、これがよかった。英語のside―――傍から取った。

 私の傍から離れない。そのまんまの意味。


『……―――――』


 OK。指でサインを返してきた。受け入れてくれたのがうれしくて、なんだか嬉しくなった。


「いこっか」


 袖を引き、歩き出す。


 今はどこも痛くはない。

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