起床
「それでは、何かあればこのボタンを押して呼んでください」
「……はい」
そう言い残して看護師が部屋から消えていく。完全に消えたところで、傍に置かれた新聞を取った。
最初に目についたのは、ある宗教の金銭問題。なんでも、これまではギリギリグレーゾーンだったのが遂に踏み込んではいけないところにまで来てしまった、らしい。
…そんなことはどうでもよかった。私が見たいのは、そんなどうでもいいことじゃない。
宗教記事の下……そこに小さく、それは載っていた。
昨日の教会での件だ。発見された死亡者は三人。中村亮介(34)篠原由紀子(43)西片晴美(37)。軽傷―――幸村凪紗――――――私の名前だった。
何が原因か数時間前に警察が事情聴取に来た。見たまま―――――は、流石に伝えられなかった。というより、信じて貰えないと思ったので、どうも記憶が曖昧だからよく覚えていない、で乗り切った。
納得はしていないようなので、多分明日以降にでもまた来ると思う。…その時までに色々と考えないといけない。
私自身、よくわからないことだらけだった。あそこにあったのは、死体と、化け物と、水。そして私と――――――
「……貴方だけ」
ずるり、なんて音を出しつつ、天井からソレは現れた。まずは手で、壁をこじ開けるようにして現れた。真っ白な顔が隙間から覗く。
ゆっくり、音を出さないように私のベッドに足を置く。靴は―――――履いたまま。両足を乗せた後はその場にしゃがみ、私を見つめて来る。…語弊があった。"多分"見つめているというべきだった。
ソレには顔がなかった。髪も無ければ耳も無く、鼻も、何もかもが欠損していた。唯一あるのはその耳まで裂けた口。身長も、少なくとも私の1.5倍はあるくらいには大きい。私で160なので、2mくらい。
「…靴、脱ごうよ」
今日も聞き入れてはくれない。
簡単に詳細を説明すると、あの事件の日の後、私は病院に運ばれた。誰が救急車を呼んだのかはしらない。でも、誰かが呼んでくれたらしい。
そして事件から二日後、私は覚醒。身体の一部には包帯を巻かれ、点滴を受けていた。
…ここまでならまだ普通の話で済むが、二つ、ヤバイことになっていた。それが、この謎の生物。
確かにあの教会で私を助けてくれた何かであることは疑う余地がない。しかし、なぜか私に付いてきてしまった。ピッタリと。
人間でないことは明らか。もう、妖怪かエイリアンとでも呼ぶべきか、という容姿に謎の能力。もう全てに理解を追いつかなかった私は、驚くことを諦めてしまったようだった。これがまず、一つ目のヤバいこと。
次のヤバいこと……についてはある意味ヤバイことだった。良い方向にヤバイ。
私の心臓病が完治していた―――――――そう、あの心臓病が完治していた。もう移植でもしない限りは一年と持たない…なんて言われていた病気が治っていた。
医者にもよく分からない事態ということで、いまも検査が続いている。検査を行う度、その結果は私が健康であることを証明してくれた。
で、今がある。…便宜上、彼と呼ぶが、その彼が私に引っ付いてくるようになったこと。心臓病の完治で自由になったこと。それだけだ。
あの化け物の正体は分からない。彼なら何か知ってると思って聞いてみたら無反応で終わった。話す気は無いらしい。
…ここで彼についての説明をさせて貰うと、容姿を除き、普段は人間と変わらない。普通に人にも見えている(うろつく時は顔に包帯を巻いていた)。…一線を画す点と言えば、先程見せたアレだ。
いきなり天井を裂くようにして現れたアレ。顔に包帯を巻いていない時は大体アレでどこかに隠れている。…いまのところ、アレが私が確認した異常な所。後は――――――
(教会の時の紐…)
あの化け物を縛り付けていた変な紐(紐でいいと思う)。たまに体から出ているのを見かけるが、アレはなんなのか。…そもそも、彼自体何者なのか。何が目的で私に付いてきてるのか。
「………」
『――――――』
今もこうして、ただ私の隣でリンゴを剥いている。完全にお世話役にしか見えない。
「……ぁー」
口を開けるように促され、取りあえず開ける。やけに大きなリンゴが突き込まれた。
病院での生活は今日で四日目。後二日程度で退院の許可が下りるらしいので、周りの整理を始めることにした。
結局この四日間。彼が私の傍から離れることはほとんどなかった。いつも傍でかいがいしく世話を焼いてきた。目的はいまだ不明なまま。
もう夜の十時を回った。二時間後には五日目に突入する。彼が私から離れる気配は一向にない。
(…家にまで付いてくるのかな)
それは、なにか嫌だった。いや、普通に嫌だ。よくわからない謎の生物を家に招き入れるのにはいくらなんでも抵抗がある。
しかし離れる気が無さそうなのも事実であり……どうするべきなのか。悪霊とか妖怪的な生き物だとすれば神社的な場所に行くべきなのか。
……新生物…の可能性はどうだろう。人の遺伝子をやたら滅多に改良したらこうなった――――――とか………
(そんな研究機関なんてあるとは思えないけど)
あまりに現実的じゃない。
(あー…でも、彼もそうか)
とは考えつつも、彼は彼で明らかに生物を越えたような行動をしている。天井に隠れることができたり顔が無かったり身長が異常に高かったり――――――挙げていけばキリがない。
彼は今ここにはいない。どこにいったのか、少なくともこの病室にはいない気がする。珍しいことだった。
彼の扱いについては少し迷うが、一応、命を救ってくれた(心臓の件は彼が何かしたとしか思えない)相手。無下にするというのは駄目な気がしている。
(……しばらく置いといてもいいか)
見た感じ、特に危害を加えて来る気配はない。悪い夢をみたり、身体に大きな不調が―――――とかもない。寧ろ健康だ。
それなら居て貰った方がいいような気がしていた。家の都合上、私一人では少し寂しいものがある。家族…ではないけれど、同居人が増えることに嫌悪感はない。部屋もある。ベッドもある。何も問題はない。それに―――――――
(どうせもう帰ってこないし)
もう、諦めてる。
あれから三十分。まだ彼は戻ってこない。本当に珍しいことだった。いつもなら離席しても五分経てば帰って来る。なのに今日は三十分。
(何かあったのかな)
一旦ベッドから起き、ゆっくり廊下へのドアを開ける。もう消灯時間だ。あまり音は立てられない。
ドアを開いて外を見れば、どこもかしこも真っ暗だった。灯りといえば非常灯くらい。当然人の話し声なんて聞こえない。とても静かだった。
彼の姿も見えない。
「……戻ろ」
声を零してドアを閉じようとした。―――――何かが走るのが見えた。
(?)
ペタペタと軽い足取りで目の前を通り過ぎていく。見た感じからしてまだ子供だった。
(えぇ…)
足音が遠ざかる。…どこまで行くつもりなのか見当もつかない。
「…………」
少し迷ったものの、後を追うことに決めた。あの様子だと病室から暇で抜け出したという感じだ。親はいないか、既に寝落ちているかできっと気付いていない。
それにこのままだと周りへの迷惑になる。多分誰かが止めないといけないし、この視界の悪さからして色々危険だ。もし誤って階段から落ちたりしたら――――――目も当てられない。
ドアの隙間を縫うようにして、スリッパをしっかり履き直して外に出た。そのまま、後を追った。
(おかしい…)
暗い廊下を歩きながら考える。もう五分は経ったか……まだあの子には追い付けないでいた。
(いや、それは仕方ないけど)
私が歩きに対してあの子は子供とはいえ走っている。それならまだ追いつけないのも無理はない。……追いつけないことに関しては理解できる。
私が理解できないのは――――――
(なんで足音が止まらない…)
ずっと一定のスピードであの子のものと思われる足音が聞こえている。"五分間"、"ずっと"。
いくらなんでもあり得るのか。五分間、まったく同じペースで走り続けることなんてできるのか。体力だけじゃない。病院の広さ的にもだ。
たくさんの病室に食堂が一つ。後はほぼ廊下だけの空間とはいえ、ずっと走っていられるような場所とは思えない。行き止まりだってあるし、仮にそこでUターンしたとして少しは足音に変化があってもいい筈。
なのに私の耳に聞こえてくるのはいつも同じ。……今更ながら不気味に思えてきた。
(あと、何かがおかしい…………)
ナースステーションに夜勤の人が誰もいなかったことは確かに変だった。でもそれ以上に何かがおかしい。
こうして考えている間もあの子の足音は止まない。ずっとずっと同じ音が聞こえて――――――
(…………同じ……音………?)
何かが引っ掛かった。
向こうは走っている。それは足音の回数的に分かる。私は歩いている。それは私自身の感覚で分かる。
それなら何故、ずっと同じ音が私に聞こえてくるのか。
普通は向こうが走っている以上、速度的には向こうが速い。だから自然と音も遠ざかっていく。遠ざからないのは変だ。
…もう一つの可能性として、その場でずっと足踏みをしていてそれが偶然私の歩く速度と同じになっているから―――――なんてものもあるが、それならそれで変な部分がある。いくらなんでも、足音も速度も回数も何もかもずっと同じ状態を保っていられる子供がいるだろうか。
病室の扉から見えた姿はまだ幼稚園に通っているくらいの年齢。そんな子供がここまで体力があるのか……??………。
ナースステーションも変だった。人もいなければ灯りも点いていない。最低でも灯りくらいは点いていないとおかしいと思う。…経営方針がそういうものなんです、と言われたらそれまでだけど。
(………戻ろう)
あの子には悪いけれど、正直嫌な予感しかしない。教会での一件を思い出す。あの時も興味本位で近づいた結果、下手をすれば死んでいた。
それに今は彼がいない。あの時の化け物は彼がどうにかしてくれた。でも今は私一人。現場に直面しても何もできない。
足音はまだ聞こえてくる。一定の音量を保ったままだ。
「…ごめん」
半歩後退り、少し早足で踵を返す。
足音が止んだ。
「……ッ!?」
不意に止まったと思えばいきなり聞こえ始めた。音はさっきよりも大きく反響し、その方向は―――――――
(こっちに来てる…)
確実に近づいてきていた。
兎に角走った。スリッパが脱げるのも、病室への被害も気にせず走った。後ろからはまだ音が聞こえる。
(来てる…っ)
もうすぐ傍に来ていてもおかしくない。音が近い。
結構な距離を走った。息切れしながら走った。走ったのに―――――――
(帰れない―――)
そろそろ私の病室に着いてる筈なのに、見覚えのある場所にすらたどり着けない。あのナースステーションも見えない。
一瞬近くの病室のネームプレートが見えた………何故か何も書いていない。白いカードが差し込まれているだけだった。まるで同じところをグルグル回っているような感覚。
疲労で足を止めた瞬間、察した。
「…………」
「――――――」
(……いる)
後ろに何かが立っている。振り向くことが、できない。
(振り向いたら………ダメだ……)
後ろを見れば何かが終わってしまう。あの日、教会で感じた気配。アレに似ている。
肩を掴まれる。
「…―――……」
どうしようもなくて動けない。目も前を向くだけ。後ろを確認する勇気なんて毛ほども残っていなかった。
「い…っ……―――…」
肩が痛む。子供とは思えない力に思わず声を漏らす。
(……は……や…く…)
早く来てくれないと―――――――本当に不味い。
顔らしきものが目の端に小さく映り始めた。必死に目を動かして宙を見上げた―――――――――そこに、来ていた。
「…遅…い―――――じゃん」
私の声は震えていた。天井。そこを両手で裂き広げた、"彼"がいた。
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